日本の「令和」とムンジェインの所得主導の成長の違い

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日本の「令和」とムンジェインの所得主導の成長の違い

既存の日王が退いて、もうすぐ新しい日王が即位する変化の街角です。
日本は首相が指導して議会で政策を決定する議員内閣制国家だが、それでもその「象徴的」な存在である日王が占める意味がそれなりにあるので、日本人は明仁日王の時代を閉じて徳仁日王の治世が開かれることに少なくない意味を付与している局面です。
その一つの兆候が年号の変更でしょう。

明仁日王の前に君臨していたのは裕仁日王であり、昭和という年号を使用していました。
もう明仁日王の時代が終わるので、今まで使っていた平成を下ろして、新しい日王の時代を表示する年号を使うようになります。
その年号が最近決定しましたが、非常に大きな意味があります。

新たに使用される年号は「令和」です。
「人々が美しく心を一つにすれば文化が生まれ育つ」という意味だといいます。
秩序、平和、さらに文化という概念まで入っています。
さらに重要なのは、日本の古典的な「万葉集」から取った表現という点です。
これまで日本の年号は、中国の古典で表現にちなんで定めてきましたが、「まさに初めて」今回は中国のものではなく日本の古典から引用したといいます。

これはすさまじい日本人の文化的な自負心の結晶ではないかと思います。
日本は中国と韓国から文化を受け入れて成長してきた東アジアの辺境で、西洋化を一番最初にした「脱亜入欧」国で、急速に変身してきました。
その中でも、第二次世界大戦の主軸になるほど眩しく成長したりしたし、それには敗れましたが、再びすばやい戦後復興を遂げて、新たに先進国の隊列に参加するという怪力まで誇示しました。

そんな長い旅の中でも、伝統的に中国の古典に基づく年号を使っていた日本が、今回初めて日本の古典から良い文字を取ってきて年号を決めるに至りました。

このすさまじく長い待ち時間と、ついに取り出した刃の鋭さに、私たちは注目しなければならないと思います。

このような中で、我が国では改めて政策の「流れ」の議論がありました。

ムンジェイン大統領が最近「所得主導の成長は世界的な流れ」と言ったものであり、これは「最低賃金(上昇)には罪がない」という既存の青瓦台の立場を代弁したもので、チャンハソン元青瓦台政策室長を長く苦しめてきた「所得主導成長論の問題点」指摘に対する雇用者としての抗議でもあります。

ムン大統領は進歩団体の関係者たちに会った席でこの話を取り出しました。
質問に回答する形式でしたが、「決心」して言ったものと見る余地があるという評価です。
ムン大統領はいつも言う「所得主導成長論」を俗称「ドッボザブ(聞いたことも見たこともないゴミ話)」程度として扱う国内の主流の経済学者たちやメディアに疲れて爆発したものと見ることもできます。

ところがです。
ムン大統領がこのように所得主導成長論を推し進めたいと本当に思っているなら、「流れ」の話を持ち出すのではなく、今までの期間の中間成績表を適切に作る必要があるのがないでしょうか?
実験をしたら、その実験の結果を見るのが重要だということです。

所得主導の成長というムンジェイン政権の核心政策が本当に正しい流れだというなら、今消費と投資が増えて、仕事も増えている必要があるのではないですか?

政府の経済への介入について好意的なケインズ学派のチョン・ウンチャン元ソウル大教授でさえ、3日、ムンジェイン政権の所得主導の成長について、「所得主導の成長政策を、経済政策というよりも人権政策だと思っている」と皮肉ったことを、大統領府は骨に凍みるほど受け入れなければならないでしょう。

チョン元教授は「所得主導の成長政策で、雇用を維持している人々の所得が増えたとしても、自営業者や中小商工に関する雇用が減ってしまったので、全体の所得が増えるているのか増えていないのかは知る術がない」とし「現時点で増えたという証拠があまりない」と言ったんです。

日本の「行き過ぎと思うほど」長い期間待ち続け、その上で初めて誇りを見せる仕事の処理。
その日本のやり方の結晶が、「史上初」の今回の令和という年号だと見なした記者としては、政策の流れ云々言う青瓦台の態度があまりにも性急に感じられます。
濃縮された結果と、それによって得られる多くの成果のために必要なのは、多くの点検と確認の時間がではないでしょうか?
そうしてこそ一気に「ぴったり」溢れ出る力を見せることができるのがないでしょうか?

もちろん年号と経済政策は違うものです。
日本のこうしたクライマックスを見せる決定力、長く待つことができる忍耐力、そして何よりもその基礎となる世界最強の実力と優れた結果。
しかしこれは日本にしか持てないものではないはずです。
ムンジェイン政権は今、そういうものを内部で企画して忍耐して推進する楽しみよりも、外側にショーのように見せる楽しみばかりを求めているのではないか、杞憂しています。
日本の新しい年号の決定事例をきっかけに、善戦と奮闘を祈願してみます。 

引用ソース
http://www.newsprime.co.kr/news/article.html?no=450329





*韓国人のこの手の「謎論理」、わりと好きだったりする。 


まあ、そもそも韓国マスコミさん色んな意味で元号に食いつきすぎでしょーとは思いますが。
食いつくってことはなにか引っかかる部分があるんだろうなとも思いましたが。
なんでここまで食いつくんだろうっていろいろ考えてみたけどよく分かんないやってなってました。
でもこの記事を読みながら、やっぱこれも韓国人の持つ歴史的コンプレックスの一種なのかもしれないなと感じました。