(断想)日本のおかげで冤罪を受けずに済んだ有色人種(?)
朝鮮中期以降に該当する日本の江戸が樹立した世界記録あれこれ
15世紀に日本に派遣されて帰国した朝鮮人のレポート
趙甲濟(チョ・ガプジェ)の超少数派サイトからバンダービルドさん。
(断想)日本のおかげで冤罪を受けずに済んだ有色人種(?)
バンダービルド
19世紀後半に誕生した優生学は、優れた遺伝子と劣った遺伝子があるので、劣った遺伝子を排撃しなければならないという思想を広めた。
これによって当時の西洋諸国は、病人や精神薄弱者、障害児童などを生物学的に「去勢」を実施するという近代的な措置をした。
また、優生学から派生した「人種優生学」は、白人は優越していて、残りの有色人種は劣っているという思想を広めた。
これを基に、米国は有色人種を差別する移民法まで作った。
ドイツのナチスがユダヤ人を虐殺したのも、このような「人種優生学」に影響を受けたものである。
しかし、もし日本という国が地球上になかったと仮定すれば、このような前近代的な「人種優生学」はいまだに地球上で跋扈していたかもしれない。
日本は有色人種で唯一、今日G7(先進7カ国)のメンバーである。
日本は有色人種でありながら、1902年に自尊心の鼻っ柱を高くしていた大英帝国とお互いに同盟関係を結ぶ水準だった。
1905年には有色人種として全面戦(陸軍、海軍)を介し、ロシアを制圧し、世界を驚かせた。
歴代のノーベル賞受賞の実績で10位以内に入っているのは、有色人種としては日本が唯一だ。
こういった側面から、もし日本という存在が地球上にいなかったと仮定すれば、「人種優生学」が誤った学説だということを証明するのが非常に難しくて強情に存在していた可能性も排除できないだろう。
さらに日本がいなかったら、相当数の白人の歪んだ人種優越意識は、今日、今よりもはるかに露骨で、はるかにひどく展開していたかもしれない。
島国で、しかも周辺の隣国にはろくな国がなかった日本が、ほぼ独りで文明国となり、世界に頭角を示すようになったのは、一種のミステリーに近いものに感じられる。
サミュエル・P・ハンティントン(政治学者、元ハーバード大学教授)
「世界で唯一日本は、一国で一大文明を築いた」
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朝鮮中期以降に該当する日本の江戸が樹立した世界記録あれこれ
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15世紀に日本に派遣されて帰国した朝鮮人のレポート
バンダービルド
引用ソース
https://www.chogabje.com/toron/toron22/view.asp?idx=&id=152629&table=TNTRCGJ&sub_table=TNTR01CGJ&cPage=1
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朝鮮中期以降に該当する日本の江戸が樹立した世界記録あれこれ
260年余りの間、大きな戦争もせず、太平の時代を享受していたのは、世界の歴史の中でも江戸時代(1603~1867)当時の日本が唯一である。
江戸というのは今の東京のことである。
¶世界一の識字率
日本の識字率は数百年に渡って世界一である。
江戸時代(1603〜1867)を見ると、武士はほぼ100%文章を読んで書くことが可能だった。
庶民層の場合も、男子の49〜54%は文章を読んで書くことが可能だった。
江戸時代、英国の下層庶民の場合は、ロンドン地域でも文章を読むことができる子供は10%もいなかった。
江戸時代の日本は、庶民の就学率と識字率が世界最高だった。
1850年頃の就学率は70〜86%で、田舎に住む子供たちでも勉強をしていない子供たちは男女ともに珍しかった。
江戸時代(1603〜1867)を見ると、武士はほぼ100%文章を読んで書くことが可能だった。
庶民層の場合も、男子の49〜54%は文章を読んで書くことが可能だった。
江戸時代、英国の下層庶民の場合は、ロンドン地域でも文章を読むことができる子供は10%もいなかった。
江戸時代の日本は、庶民の就学率と識字率が世界最高だった。
1850年頃の就学率は70〜86%で、田舎に住む子供たちでも勉強をしていない子供たちは男女ともに珍しかった。
日本橋、赤坂、本郷などの地域では、勉強する人数が、男子よりも女子の方が多かったという記録がある。
当時の「寺子屋」(江戸の庶民の子供が通う私立教育機関)は義務教育ではなかった。
「寺子屋」制度は庶民自らの熱意によって自発的に発生したもので、世界的にも珍しいケースだ。
当時の日本は、「重要なことは国家(官庁)が解決しなければならない」という発想のようなものを持たず、自分自身にとって重要なことは自分たちの自治で運営するのが当然であるという思考をしていた。
当時の「寺子屋」(江戸の庶民の子供が通う私立教育機関)は義務教育ではなかった。
「寺子屋」制度は庶民自らの熱意によって自発的に発生したもので、世界的にも珍しいケースだ。
当時の日本は、「重要なことは国家(官庁)が解決しなければならない」という発想のようなものを持たず、自分自身にとって重要なことは自分たちの自治で運営するのが当然であるという思考をしていた。
これに対して1837年頃の英国の大工業都市の就学率はわずか20〜25%だった。
19世紀半ばの英国の最全盛期のビクトリア時代ですら、ロンドンの下層階級の識字率は10%程度にとどまっている。
フランスは1794年に初等教育の授業料が無料になったが、10〜16歳の就学率はわずか1.4%に過ぎなかった。
19世紀半ばの英国の最全盛期のビクトリア時代ですら、ロンドンの下層階級の識字率は10%程度にとどまっている。
フランスは1794年に初等教育の授業料が無料になったが、10〜16歳の就学率はわずか1.4%に過ぎなかった。
多くの外国人が日本の識字率が高いことに驚いて、これに関する記録を残している。
米国から黒船を率いて1853年に日本を訪問した「ペリー」提督は、自分の日記(日本遠征記)に、「日本は文章を読んで書くことが普遍化していて、見聞を取得することに熱心である」と書いた。
ペリーは当時、日本の田舎にまで本屋(書店)が存在していることと、日本人が本を好きなことに驚いた。
米国から黒船を率いて1853年に日本を訪問した「ペリー」提督は、自分の日記(日本遠征記)に、「日本は文章を読んで書くことが普遍化していて、見聞を取得することに熱心である」と書いた。
ペリーは当時、日本の田舎にまで本屋(書店)が存在していることと、日本人が本を好きなことに驚いた。
1860年に通商条約を結ぶため日本を訪問したプロイセン海軍の「ラインホルト・ヴェルナー 」(エルベ号艦長)は、航海記にこう書いた。
「子どもの就学年齢は7歳、あるいは8歳に見えるが、子供たちはすぐに学習している。民衆の学校教育は中国よりも広く普及している。中国では民衆の中では男子だけが就学するのとは違い、日本の場合、中国と同じように私立学校しかないのに、女子も勉強している。日本では、小間使いなど低階層の女子同士でも、お互いに文章を書き、手紙をやりとりしているし、下層の肉体労働者でも文章を読んで書くことが可能で、私たちを驚かせた。日本の民衆教育と関連し、私たちが観察したところによると、文章を全く読めない文盲は1%しかいない。世界のどこにこんな国(文盲1%)があるだろうか?」
1861年に函館ロシア領事館所属の主任司祭として日本に赴任したロシア正教会の宣教師「ニコライ」は、8年間日本に滞在した。
彼は帰国後、ロシア雑誌「ロシア報告」に日本についてこのように書いた。
彼は帰国後、ロシア雑誌「ロシア報告」に日本についてこのように書いた。
「全層にわたって、地域を問わず、ほぼ同じレベルの教育が実施されている。日本は『孔子』が学習知識のかなりの部分を占めているが、学のある日本人は一字一句まで暗記していて、身分が最も低い庶民でさえ、その内容をかなり知っている。どこの田舎に行っても、頼朝、義経、楠正成など、歴史上の人物について知らない人がいなかった。文章を読んで書くことが可能で、読書することを知っている人の数において、日本は西ヨーロッパの国々のどこにも負けていない。日本人は文字を学ぶことに本当に熱心である。」
トロイ遺跡の発掘で有名なドイツの考古学者「シュリーマン」は1865年に日本を訪問した時の印象を自分の著書にこう書いた。
「教育は欧州の文明国家レベル以上に実施されている。中国を含む他のアジア諸国の場合は、女子が無知の中で放置されているのに対し、日本では女子と男子の両方が平仮名と漢字で読み書きができる。」
¶世界一の都市人口
¶世界一の都市人口
- フランスのパリ(1802年頃)の人口:62万人
- イギリスのロンドン(1801年頃)の人口:86万人
- 日本の江戸(1725年頃)の人口:112万人
☞当時、江戸は世界一の都市だった
¶世界一の教育
- イギリスの就学率(1837年頃):20%
- フランスの就学率(1793年頃):2%
- 日本の江戸時代(1850年頃)の就学率:85%
¶世界一の衛生(清潔)
-1800年代、イギリスのテムズ側などのヨーロッパの川は、様々な排泄物などでひどく汚染されていて不潔だったので、伝染病などの原因となった。
- これに対して当時の日本の川はきれいだった。
理由は、排泄物が「窒素」と「リン」を含む優れた有機肥料という点で、当時の日本では排泄物が高い値段で取り引きされていたからである。
排泄物の価格が急騰し、後に幕府が介入して排泄物の価格を引き下げるように強制する法令まで制定して公布していた。
☞江戸時代、当時の日本を訪問したドイツの考古学者の「ハインリヒ・シュリーマン」は、「日本人が世界で最も清潔な国民だということについては、疑いの余地がない」と言及した。
¶世界一の水道
- 井戸は、通常は、地下水を汲み上げるものである。
しかし江戸はちょっと違っていた。
江戸は埋立地に形成されたところがあったので、地下水を飲料水として使用するのが困難だった。
このような背景のため、整備されたのが、川から水を引いてくる「上水施設」だった。
あちこちに木の材質でできた水道管(木樋)が設置されて、この水道管を介して引き込んだ水は、水道井戸などに保存されて使われていた。
- 当時の江戸市内の水道管を合計した長さは150キロに達していた。
ただし、江戸の水道は無料ではなかった。
身分に応じて水道料金が策定されていた。
武家の場合は石高(米収穫高)に応じて、水道料金が高く策定されていた。
その他、商人など通常の身分の場合は、それぞれ居住する住宅の大きさに応じて水道料金が策定された(当時の居住地住宅の大きさ1間当たりの水道料金は11文)。
- 現在を基準にしてみると、中間サイズの家屋の場合は、現在の金額の価値において400円程度の料金が策定された。
ところでこの料金は、月単位ではなくて、年間単位だった。
1年に一度だけ納付すれば終わりだったのだ。
江戸の普通の日本人は、1年に400円程度を支払えば、便利な上水道を存分に利用することができたのである。
- 当時のイギリスのロンドンの水道:週3日、1日7時間給水
- 当時の日本の江戸の水道:1日24時間年中給水
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15世紀に日本に派遣されて帰国した朝鮮人のレポート
1428年12月、使臣として日本に派遣されて1429年12月に帰国した「朴瑞生」(正3品、大使のような役職)という人物が世宗大王にあげた「日本関連報告書」の中の一部内容。
1)水車を朝鮮は使用していないので、一行は原理を把握しようとしましたが、、日本の水車は水の落ちる力を活用して水車が自然に回るようにしていて、水を汲み上げて田畑に水を供給しています。
私たちの川は流れが弱いですが、日本のように水車を作り、足で踏んで水を吸い上げれば、釣甁(桶)を使うよりも人の力を大幅に削減することができるでしょう。
日本の水車の様子を絵に描いてきたので、そのまま作って使用すればよいと思います。
2)私たちが綿布や穀物などで主に交易するのとは違って、日本では硬貨を一般的に使用しているため、遠くへ旅行に行く人も食料を持参せず、硬貨だけを腰につけて旅をしています。
また沿道には、旅行者が食べて寝ることのできる施設(旅館)が設置されていて、旅行者を客として迎えています。
宿屋の主人は旅行者から受け取った硬貨に対応する金額ぶんだけ、お客様に利便性を提供しています。
川沿いに住む住民たちは、船を互いにつないで橋を作っていて、橋を渡る人々からお金を取って生活費として使ったり、橋を補修する費用などにも使っています。
日本は、土地税から通行料に至るまで、すべてにおいて硬貨を使うことが習慣化され、定着していて、重い荷物を持参して長い道のりを移動する苦労をする必要がありません。
3)家ごとに風呂があったり、町ごとに銭湯があったりして、住民は銭湯を利用するときにお金を出して便利に利用しています。
私たちも、濟生院、惠民局などの医療機関や、人がたくさん通っている廣通橋と地方の診療所に風呂を設置すれば、人々の体もスッキリするし、お金を使う方法も学習できるので、良いと思います。
4)日本の商店街は、商人それぞれが自分の店に看板をかけ、棚を作り、その上に商品を陳列し、客は商品を確認し、簡単に選んで購入することができます。
陳列された商品は、お客様の身分の貴賤に関係なく、誰でも自由に買うことができます。
私たち朝鮮の市場は、乾いたものや濡れたものを区別せず、陳列もしておらず、魚や肉や野菜などすべてを地面にそのまま置いて売っていて、歩行者が商品の上に腰掛けたり、踏みつけて通過することもあります。
今後は鍾路から廣通橋までの店に陳列台を設置して、商品名を付けて配置することによって、どの棚にどの商品があるのか簡単に分かるように並べて、お客様が便利に商品を見て選んで買うことができるようにしなければなりません。
世宗46巻11年(1429年宣德4年)12月3日乙亥
バンダービルド
引用ソース
https://www.chogabje.com/toron/toron22/view.asp?idx=&id=152629&table=TNTRCGJ&sub_table=TNTR01CGJ&cPage=1
>>しかし、もし日本という国が地球上になかったと仮定すれば、このような前近代的な「人種優生学」はいまだに地球上で跋扈していたかもしれない。
>>日本は有色人種で唯一、今日G7(先進7カ国)のメンバーである。
>>日本は有色人種でありながら、1902年に自尊心の鼻っ柱を高くしていた大英帝国とお互いに同盟関係を結ぶ水準だった。
>>こういった側面から、もし日本という存在が地球上にいなかったと仮定すれば、「人種優生学」が誤った学説だということを証明するのが非常に難しくて強情に存在していた可能性も排除できないだろう。
>>さらに日本がいなかったら、相当数の白人の歪んだ人種優越意識は、今日、今よりもはるかに露骨で、はるかにひどく展開していたかもしれない。
>>島国で、しかも周辺の隣国にはろくな国がなかった日本が、ほぼ独りで文明国となり、世界に頭角を示すようになったのは、一種のミステリーに近いものに感じられる。
だからこそ日本はおそらく歴史上、有色人種にたいする差別を最もまともに肌で感じてた国だと思うよ。でも当時の日本は基本的に被害者として振舞おうとしなかった。振舞えない時代だったとも言えるけど。
有色人種国としてたった一国で世界と向き合うことになった当時の日本の圧倒的な孤独を考えると、私は胸が痛くなる。
そもそも「被害者として振舞おうとすること」と「強者になること」は両立できない。
そこに韓国は気づいていない。
韓国だけじゃなく、「被害者として利権を得ようとする」すべての国、すべての団体はなかなかそこに気づかない。日本にもそういう団体がたくさんある。
もちろん被害者として振舞うのは利益を得られたりどん底から抜け出せたり敵にダメージを与えたりすることができるので、作戦として間違ってるとは言わない。
だけど、そこに気持ちよさを感じてそこから抜け出せなくなったら、その上はないということ。
そこで利益を得て利権を得られる構造を作ってしまうと、被害を受けなくなっても被害を受けている状態を維持する必要が出てくる。だから「被害の捏造」までしてマウントを取る&同情をひこうとするようになってしまいがち。ミュンヒハウゼン症候群のようなものだね。
繰り返すけど、作戦として間違ってるとは思わない。
ただ、作戦だということを自覚して、どこかの段階で抜け出さないと、それ以上には行けない。
日本は国家として、言語化はしなくても、肌感覚としてそれを理解しているように思う。
でもあの国は、まったくそこに疑問を持っていないように思う。
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<丶`∀´>「ウリの知能指数は涅槃寂静ニダ」
信じるか信じないかはあなた次第!
この涅槃寂静は単位、数の意味の方です。