挺対協が中心となっている慰安婦問題、何が真実なのか? (1)
挺対協が中心となっている慰安婦問題、何が真実なのか? (1)
慰安婦問題をどのように見るのか、そして慰安婦の概念の解釈と論証のジレンマ
メディアウォッチ編集部
▲慰安婦少女像に傘をかぶせている挺対協のユンミヒャン代表。愛国陣営は昔から、ユンミヒャン代表が反日を盾にして従北の傾向を隠してきたのではないかと疑っている。
最近、「帝国の慰安婦」の著者のパクユハ起訴論議や、韓日慰安婦交渉の妥結などのイシューがあるなか、「純粋な慰安婦問題」とは別に、少なくとも「挺対協中心の慰安婦問題」に対してだけは、国益のため、客観的な事実関係を明らかにしなければならないという世論が愛国陣営の一角から出ています。
それで「メディアウォッチ」は、インターネット上でこの問題についての苦戦の隊列に上がったチンミョンヘン先生の貴重なレポートを、チン先生の許可を得て、改めて編集して紹介する機会を持つことにしました。
たくさんの方の閲覧を願っています。
慰安婦問題をどのように見るか?
慰安婦問題にアプローチする視覚はいろいろ違う。
歴史的な文脈で見るのか、女性学のジェンダー(GENDER)的な次元で見るのか、または戦争犯罪を扱う規範的な側面から見るのか、など。
歴史的な文脈で見るのか、女性学のジェンダー(GENDER)的な次元で見るのか、または戦争犯罪を扱う規範的な側面から見るのか、など。
不学無識な私がこの大きな談話の中へと飛び込むのは、かなりの負担である。
そして、少しでも暴言だと思われると、まっすぐに社会から埋葬される韓国の議論風土からしても、このトピックはあまり言及したくないテーマでもある。
そして、少しでも暴言だと思われると、まっすぐに社会から埋葬される韓国の議論風土からしても、このトピックはあまり言及したくないテーマでもある。
従軍慰安婦が外交的問題に問題化してからかなり長い時間が経った。
しかし研究成果は足踏み状態である。
論文はあふれているが、既存の資料の焼き直しがほとんどであり、いろいろな種類の言葉遊びをしているだけで、意味のある研究実績は見当たらない。
現存する1次史料が不足しているため、口述証言に依存した研究になるので、限界があるのもやむを得ない側面はある。
しかし研究成果は足踏み状態である。
論文はあふれているが、既存の資料の焼き直しがほとんどであり、いろいろな種類の言葉遊びをしているだけで、意味のある研究実績は見当たらない。
現存する1次史料が不足しているため、口述証言に依存した研究になるので、限界があるのもやむを得ない側面はある。
日本大使館の前で行われている水曜集会は1000回を超えたという。
おばあさんの要求は終始一貫している。
「謝罪せよ、賠償せよ」二つだ。
謝罪をしろと言うが、「先祖の蛮行によって被害を受けた人のためにみじめさ感じていて死ぬほどの罪を犯しました」と頭を下げるのは謝罪ではないようだ。
日本の首相は遺憾表明をすでに何度もしているからである。
おばあさんの要求は終始一貫している。
「謝罪せよ、賠償せよ」二つだ。
謝罪をしろと言うが、「先祖の蛮行によって被害を受けた人のためにみじめさ感じていて死ぬほどの罪を犯しました」と頭を下げるのは謝罪ではないようだ。
日本の首相は遺憾表明をすでに何度もしているからである。
そうか、では賠償をしてこそ真の謝罪か。
日本がこれを拒否しているので、外交葛藤が毎回繰り返されるということか。
日本は朴正煕大統領当時、韓日国交正常化協議をして、戦争に関連する一切の賠償を終えたという主張で一貫している。
したがって韓国としては、これに関連し、認めることは認め、要求すべきは要求し、適切な合意点を見つけなければ、永遠にこの問題を解決することができないだろうと思われる。
日本がこれを拒否しているので、外交葛藤が毎回繰り返されるということか。
日本は朴正煕大統領当時、韓日国交正常化協議をして、戦争に関連する一切の賠償を終えたという主張で一貫している。
したがって韓国としては、これに関連し、認めることは認め、要求すべきは要求し、適切な合意点を見つけなければ、永遠にこの問題を解決することができないだろうと思われる。
2015年11月のASEAN + 3首脳会議での安倍晋三首相と朴槿恵大統領。朴槿恵大統領は最終的に安倍首相から慰安婦問題に関連して謝罪と実質的賠償を受けた。
水曜集会に出入りしている団体や人物を見ると、進歩左派の人々が多い。
彼らを見ていると、他人の痛みや過去の歴史を暴き出し、葛藤と反目をあおり、そこから出てくる政治的利益を食べようとしているのではないかと疑わしい。
もし慰安婦たちがすべて亡くなっても、彼らはおばあさんの代わりに、黄色のベストを着て水曜集会に出てデモを続けることができるだろうか?
水曜集会に出入りしている団体や人物を見ると、進歩左派の人々が多い。
彼らを見ていると、他人の痛みや過去の歴史を暴き出し、葛藤と反目をあおり、そこから出てくる政治的利益を食べようとしているのではないかと疑わしい。
もし慰安婦たちがすべて亡くなっても、彼らはおばあさんの代わりに、黄色のベストを着て水曜集会に出てデモを続けることができるだろうか?
韓日の歴史問題を解決するための最も基本的なアプローチは、「何が事実なのか」についての合意をもとに、「この事実をどのように見るか」という解釈の問題へと転換していくことが望ましい。
ところが、韓国の学界の風土を見ると、事実など影も形もなく、解釈だけが飛び交っている。しかも一方的な解釈だけが。
かつてのイヨンフン教授の事例でも分かるように、反論する学者は一瞬にして埋葬される。
恐ろしい国としか言えない。
ところが、韓国の学界の風土を見ると、事実など影も形もなく、解釈だけが飛び交っている。しかも一方的な解釈だけが。
かつてのイヨンフン教授の事例でも分かるように、反論する学者は一瞬にして埋葬される。
恐ろしい国としか言えない。
慰安婦問題の最大の争点は、第一は、慰安婦の募集において国家的強制の有無があったのかという問題である。第二は、慰安婦の処遇について運営上適正だったのかという問題である。
この問題を解決するため、韓国と日本の学者たちの主張をすべて調査する必要があるし、相違点があるのなら、1次的なデータがあれば実証し、存在しないなら状況資料をしらべて論理の妥当性を分析するのが正しいやり方だ。
この問題を解決するため、韓国と日本の学者たちの主張をすべて調査する必要があるし、相違点があるのなら、1次的なデータがあれば実証し、存在しないなら状況資料をしらべて論理の妥当性を分析するのが正しいやり方だ。
韓国で慰安婦問題が世間に知られ始めたのは1990年末で、韓国挺身隊問題対策協議会という組織が発足し、金学順おばあさんが最初に証言してからである。
ところで、金学順おばあさんの証言資料を読んでみると、驚くべきことに、この方は軍慰安婦の被害者ではないというのが簡単に分かるのだ。
ところで、金学順おばあさんの証言資料を読んでみると、驚くべきことに、この方は軍慰安婦の被害者ではないというのが簡単に分かるのだ。
この方は14歳でキーセン(売春婦)の養成所だった券番に養女として売られた後、17歳でキーセンになる。
しかし年齢が若くて法的に寄生営業許可が出なかったので、継父について中国に渡って慰安所に売られて被害を受けたケースだが、人身売買なのか拉致なのか、証言内容だけでは分からない。
しかし年齢が若くて法的に寄生営業許可が出なかったので、継父について中国に渡って慰安所に売られて被害を受けたケースだが、人身売買なのか拉致なのか、証言内容だけでは分からない。
しかも挺身隊は昭和18年に正式に発足したもので、金学順おばあさんの事例は昭和14年のことなので、挺身隊とはまったく何の関係もなく、いくら被害事例が類似していたとしても、募集や斡旋によって組織的に強行された従軍慰安婦とは言えない。
良心のある学者なら、このような事実関係を整理して、違う証拠事例を発掘すべきなのに、いまだに金学順おばあさんを「挺身隊被害者第1号」に指定しているのだ。
あまりにも情けないことである。
良心のある学者なら、このような事実関係を整理して、違う証拠事例を発掘すべきなのに、いまだに金学順おばあさんを「挺身隊被害者第1号」に指定しているのだ。
あまりにも情けないことである。
ネイバー百科事典によると、日本軍慰安婦とは、「日本帝国主義占領期に日本によって軍慰安所に引きずられていって性奴隷生活を強要された女性」だと書かれている。
しかし、上記のような概念の説明が、規範的または歴史的に妥当なアプローチなのかという点にいうて、いろいろな疑問が浮かぶ。
しかし、上記のような概念の説明が、規範的または歴史的に妥当なアプローチなのかという点にいうて、いろいろな疑問が浮かぶ。
第一に、「引きずられていった」という表現に示されている恣意的な設定に問題がある。
慰安婦になった経緯を見ると、ほとんどが募集業者らによる「就職詐欺」が主をなしていて、拉致や誘拐などの物理的な強制力を伴うケースは極めてマレだった。
したがって「引きずられていった」という言葉を使うのは不適当だ。
就職詐欺まで間接的に「引きずられていった」ケースに含めるのかについて議論するのが、事実関係を明らかにするにおいて重要だと思う。
したがって「引きずられていった」という言葉を使うのは不適当だ。
就職詐欺まで間接的に「引きずられていった」ケースに含めるのかについて議論するのが、事実関係を明らかにするにおいて重要だと思う。
第二に、「日本によって」という表現による主体のあいまいさである。
わずかながら発見されている日本の公文書を確認してみると、当時の日本の内務省は、慰安婦を不法に募集する行為を取り締まっていた。
だから日本全体が正式に加担したのかは非常に不明確というだけでなく、そもそも当時慰安婦を募集していたのは相当数が「朝鮮人」の業者だったということを指摘しないわけにはいかない。
だから日本全体が正式に加担したのかは非常に不明確というだけでなく、そもそも当時慰安婦を募集していたのは相当数が「朝鮮人」の業者だったということを指摘しないわけにはいかない。
彼らの不法募集による行為について、責任の所在を考えるとき、日本軍部と募集朝鮮人の共犯と見るか、正犯と教唆犯と見るのか、様々な解析は可能だが、一つ確実に言えるのは、少なくとも不法募集に加担した朝鮮人の責任はないという根拠など存在しないというのは当然のことである。
したがって、慰安婦問題の加害者を単に「日本」に限定して考察するのは、偏狭な自己暗示的な錯覚に過ぎない。
したがって、慰安婦問題の加害者を単に「日本」に限定して考察するのは、偏狭な自己暗示的な錯覚に過ぎない。
第三に、「性奴隷」という表現が内包している一般化エラーの問題を挙げることができる。
初期の慰安所では、主に売春を仕事にする人々が営利目的のため参加していたという事実がある。
後述するが、ここには朝鮮人のキーセンや業者も進出していて、かれらを性奴隷のカテゴリに含めることができるのか?という問題がある。
後述するが、ここには朝鮮人のキーセンや業者も進出していて、かれらを性奴隷のカテゴリに含めることができるのか?という問題がある。
また、最初は詐欺や強制など、自らの意思に反して仕方なく慰安婦の仕事を強要されたが、後に自由の身となった後も、生活苦などによって再び自発的に慰安婦になったケースでも性奴隷ということができるのか、客観的に考えてみなければならない。
それだけでなく、性奴隷という表現が、ジェンダー的な次元の問題提起だと見ると、これは普遍的人権の視点で扱われなければならない問題で、民族的感情を発現させて、「朝鮮」や「植民地の歴史」的な視点でアプローチするのは矛盾としか言えない。
少なくとも日本人慰安婦は、その規模の面で、私たちを圧倒する被害者といえるからだ。
植民地の慰安婦はもっと問題だというような論理は我田引水式な発想である。
少なくとも日本人慰安婦は、その規模の面で、私たちを圧倒する被害者といえるからだ。
植民地の慰安婦はもっと問題だというような論理は我田引水式な発想である。
慰安婦問題に対する新たな話題を提示し、併せて挺対協の権力化問題を提起して話題になった世宗大のパクユハ教授の帝国の慰安婦
慰安婦の歴史的展開や論証に関連し、資料の不足によって明快な整理が困難な点は、非常に残念である。
ただし、先学によって発掘された既存の資料を解釈するにあたって、被害者中心の史観や民族主義的なバブルを取り払うのが、レオポルト・フォン・ランケが言明した「事実としての歴史学」を追求するために適切な態度だと思われる。
したがって本稿では、以下のようなテーマで論旨を展開しようと思う。
ちなみに私は、慰安婦動員被害事実を一方的に否定したり、日本側の立場を盲目的に庇護するつもりではないということを、事前に明らかにしておくものである。
ただし、先学によって発掘された既存の資料を解釈するにあたって、被害者中心の史観や民族主義的なバブルを取り払うのが、レオポルト・フォン・ランケが言明した「事実としての歴史学」を追求するために適切な態度だと思われる。
したがって本稿では、以下のようなテーマで論旨を展開しようと思う。
ちなみに私は、慰安婦動員被害事実を一方的に否定したり、日本側の立場を盲目的に庇護するつもりではないということを、事前に明らかにしておくものである。
1)挺身隊と慰安婦の混用や概念の問題
2)初期慰安婦の形態と自発性があったのかどうか
3)中期〜末期の慰安婦の募集方法と日本の対応
4)証言資料へのアクセスと認識的エラーの問題
5)慰安婦は違法募集か、朝鮮総督府が介入したのか
6)米軍捕虜尋問書から見る慰安婦の生活実態
メディアウォッチ編集部
引用ソース
http://www.mediawatch.kr/news/article.html?no=249563
メディアの捏造の問題、
これを政治的に利用することの問題、
安易な対処が被害を拡散させるという問題、
洗脳による思い込みの問題など、
いろんな視点から勉強できる。
全国民の必修としてこういうものを学生時代に教えておいてほしいよ。
秘密にしてるほうが幸せだから 今はコリアだけで secret love
キミに全然興味ない
ウソ you are my perfect guy
ウソツキは隠せない
ホントは気になって仕方ない
乞いに不気味よう 損なstyle
キミの前だと 別人みたい
誰にも言えない 秘密のまま
それでも I’m alright
乞いの行方なんて
誰にも わからないでしょ oh ohh
きっとこの乞いちゃんといつか叶うはず信じて
まだ it isn’t the last chance for me