簡単な植民地近代化論:教授イヨンフン
簡単な植民地近代化論:教授イヨンフン
正解と不正解
(3)植民地収奪論vs植民地近代化論<解放戦後史再認識>特講(3)
日本の朝鮮同化政策が生んだ朝鮮近代化[イヨンフン/ 2006-06-21 12:08]
自由主義に基づいた新たな歴史認識とナショナリズムに基づく古い歴史認識は、1905-1945年の日本統治下の植民地期をどのように理解するかで大きく分かれます。
現在の国史学界で主流を占めている民族主義的な歴史認識は、日本が大韓帝国の国権を侵奪し、朝鮮の土地と食糧と資源と労働力を収奪することで、私たちの民族の生存権を否定し、私たちの民族の正常な発展の道を歪曲したと主張しています。
現在の国史学界で主流を占めている民族主義的な歴史認識は、日本が大韓帝国の国権を侵奪し、朝鮮の土地と食糧と資源と労働力を収奪することで、私たちの民族の生存権を否定し、私たちの民族の正常な発展の道を歪曲したと主張しています。
これを指して「植民地収奪論」といいます。
これは、歴史を階級的観点から搾取関係として認識するマルクス主義的歴史学や経済学が大きな影響を与えました。
例えば韓国で、近代的な歴史学や経済学は1930年代から始まったと言えますが、その初期の歴史学者と経済学者を見ると、唯物史観に基づいたマルクス主義の場合が多かったのです。
これは、歴史を階級的観点から搾取関係として認識するマルクス主義的歴史学や経済学が大きな影響を与えました。
例えば韓国で、近代的な歴史学や経済学は1930年代から始まったと言えますが、その初期の歴史学者と経済学者を見ると、唯物史観に基づいたマルクス主義の場合が多かったのです。
収奪論を具体的に紹介すると、次のとおりです。
日本は土地調査事業(1910-1918)を実施するに当たって、農民たちに所有する農地を申告させました。
ところが、申告が何なのか知らない農民は、申告期限を逃した人が多かったのです。
だから、驚くことに、全国の農地の4割もの多くの土地が総督府の所有地として収奪され、これらの土地は日本から来た移民農家や東洋拓殖のような会社に安値で渡したというのです。
過去40年間、大韓民国の国史教科書は、学生にそのように教えてきました。
日本は土地調査事業(1910-1918)を実施するに当たって、農民たちに所有する農地を申告させました。
ところが、申告が何なのか知らない農民は、申告期限を逃した人が多かったのです。
だから、驚くことに、全国の農地の4割もの多くの土地が総督府の所有地として収奪され、これらの土地は日本から来た移民農家や東洋拓殖のような会社に安値で渡したというのです。
過去40年間、大韓民国の国史教科書は、学生にそのように教えてきました。
また国史教科書では、日本は生産した米の半分を奪って日本に運んだと書いています。
作った農作物を日本の警察と憲兵が銃剣を突きつけて半分奪ったと、そのように直接は書いていなくとも、そのように解釈できるテキストで学生を教えてきました。
また日本は、朝鮮人の労働力を収奪したと書いています。
1940年代の前期(戦時期)に、約650万人の朝鮮人を前線や工場や炭鉱に強制連行し、引きずっていって、賃金を与えず奴隷のように働かせたということです。
その中には朝鮮の娘たちがいました。
挺身隊という名目で、朝鮮の娘たちを動員し、日本軍の慰安婦として使ったが、その数は数十万人になると教科書は記述しています。
作った農作物を日本の警察と憲兵が銃剣を突きつけて半分奪ったと、そのように直接は書いていなくとも、そのように解釈できるテキストで学生を教えてきました。
また日本は、朝鮮人の労働力を収奪したと書いています。
1940年代の前期(戦時期)に、約650万人の朝鮮人を前線や工場や炭鉱に強制連行し、引きずっていって、賃金を与えず奴隷のように働かせたということです。
その中には朝鮮の娘たちがいました。
挺身隊という名目で、朝鮮の娘たちを動員し、日本軍の慰安婦として使ったが、その数は数十万人になると教科書は記述しています。
しかし、このような話は、すべて事実ではありません。
驚かれる方が多いと思いますが、単刀直入に言うと、このような話はすべて教科書を書いた歴史学者たちによる作り話です。
解放後の歴史教科書を検討してみると、1960年代までこういった話はありませんでした。
1970年代に入って、特に1974年以降に、国定教科書システムに進み、上記のような乱暴な物語が教科書に登場し始めました。
(*ここですが、1974年に反日教科書化がはじまったということに注目してください。朴正煕の治世下で準備されてはじまったものです。これは、私がしつこいほど「朴正煕は親日じゃない。日本をうまく利用した有能な政治家に過ぎない。今の異常な韓国の反日の大きな原因は朴正煕にある」と主張している理由の一つでもあります。反日も親日も朴正煕にとったらツールだったのでしょう。)
これについて、ここでこれ以上詳しく説明する暇はありませんが、気になる方は私の前の論文を参照してください。(イヨンフン「国史教科書に描かれた日帝の収奪とその神話性」)
驚かれる方が多いと思いますが、単刀直入に言うと、このような話はすべて教科書を書いた歴史学者たちによる作り話です。
解放後の歴史教科書を検討してみると、1960年代までこういった話はありませんでした。
1970年代に入って、特に1974年以降に、国定教科書システムに進み、上記のような乱暴な物語が教科書に登場し始めました。
(*ここですが、1974年に反日教科書化がはじまったということに注目してください。朴正煕の治世下で準備されてはじまったものです。これは、私がしつこいほど「朴正煕は親日じゃない。日本をうまく利用した有能な政治家に過ぎない。今の異常な韓国の反日の大きな原因は朴正煕にある」と主張している理由の一つでもあります。反日も親日も朴正煕にとったらツールだったのでしょう。)
これについて、ここでこれ以上詳しく説明する暇はありませんが、気になる方は私の前の論文を参照してください。(イヨンフン「国史教科書に描かれた日帝の収奪とその神話性」)
先に紹介したように、収奪論そのものは1930年代からありました。
しかし、その当時の収奪論は、一種の理論的なものであって、マルクス主義的な収奪のことでした。
ところが1970年代からはじまった収奪論は、何の対価を支払うこともなく、そのまま暴力的に奪い取っていったという文字通り「裸の略奪」ということができます。
しかしそれは事実ではありません。
このような「裸の略奪」の収奪論が1970年代から教科書に登場したのは、韓国の歴史学界がいまだに日本統治下の植民地期について、科学的に認識する能力や姿勢がないことを示しています。
しかし、その当時の収奪論は、一種の理論的なものであって、マルクス主義的な収奪のことでした。
ところが1970年代からはじまった収奪論は、何の対価を支払うこともなく、そのまま暴力的に奪い取っていったという文字通り「裸の略奪」ということができます。
しかしそれは事実ではありません。
このような「裸の略奪」の収奪論が1970年代から教科書に登場したのは、韓国の歴史学界がいまだに日本統治下の植民地期について、科学的に認識する能力や姿勢がないことを示しています。
正当な対価を支払うことなく土地と米を奪っていけば、その結果はどのようになるでしょうか。
まるで風船から空気が抜けていくように、そこの経済は萎縮するしかありません。
これはあまりにも当然の事実なので、あえて証明する手間すら必要ないほど明白な事実です。
それに応じて人々はますます貧しくなります。
人口は減りますね。
まるで風船から空気が抜けていくように、そこの経済は萎縮するしかありません。
これはあまりにも当然の事実なので、あえて証明する手間すら必要ないほど明白な事実です。
それに応じて人々はますます貧しくなります。
人口は減りますね。
ところが、実際にはどうだったでしょうか。
正反対でした。
1910年の朝鮮人の人口は約1600-1700万人ほどでした。
1940年には2400万人でした。
日本と満州に行った人を合わせると、2600万人ほどでした。
わずか30年という短期間で50%以上もの人口が増大したわけですが、この人口増加現象は、経済が潰れていたら想像することもできなかったことでしょう。
正反対でした。
1910年の朝鮮人の人口は約1600-1700万人ほどでした。
1940年には2400万人でした。
日本と満州に行った人を合わせると、2600万人ほどでした。
わずか30年という短期間で50%以上もの人口が増大したわけですが、この人口増加現象は、経済が潰れていたら想像することもできなかったことでしょう。
その他経済史研究者の正確な統計的な推定によると、植民地期の1910-1940年、朝鮮半島の総所得は年平均で3.7%のペースで成長を続けています。
これは当時、世界的にも高いレベルでした。
20世紀前半の世界の資本主義は、停滞と危機の時代でした。
だから、先進国といっても、通常は2%前後の低い成長率しか示せませんでした。
ところが当時、日本だけは唯一3-4%の高い成長率を見せていました。
我々朝鮮半島は日本の領土に編入されていたので、日本本土と同じように、そのレベルの経済成長率を見せることができたのです。
これは当時、世界的にも高いレベルでした。
20世紀前半の世界の資本主義は、停滞と危機の時代でした。
だから、先進国といっても、通常は2%前後の低い成長率しか示せませんでした。
ところが当時、日本だけは唯一3-4%の高い成長率を見せていました。
我々朝鮮半島は日本の領土に編入されていたので、日本本土と同じように、そのレベルの経済成長率を見せることができたのです。
あなたはもう私の話に不快感やイライラを感じるかもしれません。
しかし冷静に考えてみてください。
例えば大韓民国という国において、全羅道は年平均4%成長し続けるけど、慶尚道は年平均-4%後退し続けるということはないでしょう?
同様の原理なのです。
朝鮮半島は日本帝国の一部として日本の領土となっていました。
一つの領土になったことをめぐって、歴史学者たちが植民地だと言っているだけなのです。
そういった理由で、日本が経済成長していたのとまったく同じレベルで朝鮮半島も経済成長したのです。
引用ソース
https://www.chogabje.com/toron/toron22/view.asp?id=151433&cpage=1&no=132490
しかし冷静に考えてみてください。
例えば大韓民国という国において、全羅道は年平均4%成長し続けるけど、慶尚道は年平均-4%後退し続けるということはないでしょう?
同様の原理なのです。
朝鮮半島は日本帝国の一部として日本の領土となっていました。
一つの領土になったことをめぐって、歴史学者たちが植民地だと言っているだけなのです。
そういった理由で、日本が経済成長していたのとまったく同じレベルで朝鮮半島も経済成長したのです。
どうしてそうになったのでしょうか。
日本に米を奪われたのではなくて、日本へ米を輸出したからです。
当時は輸出ではなく「移出」と言っていました。
とにかく、日本の米の価格は朝鮮よりも値段が高かったので、市場原理に基づいて、日本に輸出されたのです。
その結果、輸出した朝鮮の農民や地主は、輸出による所得が発生することになったのです。
国内で米を売るよりも、多くの収入を得ることができたのです。
だから経済が成長したのです。
その輸出代金で、日本から綿製品などの工業製品を輸入し、満州から足りない食料を仕入れ、銀行や企業に投資して、工場も建てたのです。
(*余談ですが、朝鮮からの米の輸入(移入ですがあえて輸入と書きます)は日本の農家にとったら迷惑なものでした。日本の農家にとったら、安価な朝鮮米が国内で流通するのは大きな痛手です。当時、朝鮮米のせいで日本国内で米の価格が下がって、それに苦しめられた日本の農家は、朝鮮米の輸入制限を政府に強く要求しました。当然です。本来なら関税をつけるべきものです。当時、日本の農林省も、日本の農民の保護のため、輸入を制限する法案を作ろうとしました。なのに!なのに、朝鮮総督府がそれを阻止したんです。朝鮮総督府とその意見を取り入れた大日本帝国政府は「朝鮮農家を守るため。日本と朝鮮を差別しないため」に、日本の農民を苦しめる道を選んだんです。どんだけ甘いんだ、日本。…とにかくこういった歴史的事実を無視して米の収奪論を唱える人は、頭が腐ってます。アホです。まったくの逆です。)
日本に米を奪われたのではなくて、日本へ米を輸出したからです。
当時は輸出ではなく「移出」と言っていました。
とにかく、日本の米の価格は朝鮮よりも値段が高かったので、市場原理に基づいて、日本に輸出されたのです。
その結果、輸出した朝鮮の農民や地主は、輸出による所得が発生することになったのです。
国内で米を売るよりも、多くの収入を得ることができたのです。
だから経済が成長したのです。
その輸出代金で、日本から綿製品などの工業製品を輸入し、満州から足りない食料を仕入れ、銀行や企業に投資して、工場も建てたのです。
(*余談ですが、朝鮮からの米の輸入(移入ですがあえて輸入と書きます)は日本の農家にとったら迷惑なものでした。日本の農家にとったら、安価な朝鮮米が国内で流通するのは大きな痛手です。当時、朝鮮米のせいで日本国内で米の価格が下がって、それに苦しめられた日本の農家は、朝鮮米の輸入制限を政府に強く要求しました。当然です。本来なら関税をつけるべきものです。当時、日本の農林省も、日本の農民の保護のため、輸入を制限する法案を作ろうとしました。なのに!なのに、朝鮮総督府がそれを阻止したんです。朝鮮総督府とその意見を取り入れた大日本帝国政府は「朝鮮農家を守るため。日本と朝鮮を差別しないため」に、日本の農民を苦しめる道を選んだんです。どんだけ甘いんだ、日本。…とにかくこういった歴史的事実を無視して米の収奪論を唱える人は、頭が腐ってます。アホです。まったくの逆です。)
こういった経済的な変化を正しく知るため、私たちは、日本が朝鮮半島朝鮮を植民地支配した目的や方法を正しく知る必要があります。
日本が朝鮮半島を植民地支配した主な目的は、いわゆる「永久併合」でした。
日帝が残した統治史料を見ると、「永久併合」という言葉がうんざりするほどたくさん出てきます。
永久に日本の領土にするということです。
日本の人々は、2、30年間の短期間、併合しようとしたのではありません。永久併合が目的でした。
この点をまっすぐに見つめる必要があります。
日本が朝鮮半島を植民地支配した主な目的は、いわゆる「永久併合」でした。
日帝が残した統治史料を見ると、「永久併合」という言葉がうんざりするほどたくさん出てきます。
永久に日本の領土にするということです。
日本の人々は、2、30年間の短期間、併合しようとしたのではありません。永久併合が目的でした。
この点をまっすぐに見つめる必要があります。
「永久併合」の目的を達成するためにはどうすればよいでしょうか。
何よりも、朝鮮の社会と経済を、日本と同化させる必要があります。
そのような目的で、日本は自国の法制度を植民地である朝鮮に移植しました。
そうしてこそ、日本人が朝鮮に渡って来れるし、自国と同じように不便なく快適に暮らすことができるのです。
朝鮮人からその文化と精神を奪い、日本人にしてこそ、永久に結合することができます。
そのため朝鮮の文化と精神をそのままにしておくことはできなかったのです。
新しい文化と精神を朝鮮に導入し、朝鮮人を日本人に変える必要がありました。
そういった目的で、日本は近代的な法制度を朝鮮に移植したのです。
何よりも、朝鮮の社会と経済を、日本と同化させる必要があります。
そのような目的で、日本は自国の法制度を植民地である朝鮮に移植しました。
そうしてこそ、日本人が朝鮮に渡って来れるし、自国と同じように不便なく快適に暮らすことができるのです。
朝鮮人からその文化と精神を奪い、日本人にしてこそ、永久に結合することができます。
そのため朝鮮の文化と精神をそのままにしておくことはできなかったのです。
新しい文化と精神を朝鮮に導入し、朝鮮人を日本人に変える必要がありました。
そういった目的で、日本は近代的な法制度を朝鮮に移植したのです。
その代表的なものは、1912年の朝鮮民事令でした。
この時に施行された日本の民法は、今の大韓民国の民法へとつながっています。見比べれば、当初と表現が順番が変わっていないものが多いです。
ところで、近代的な民法の重要な原則は何でしょうか?
それについて民法学者たちは、「私的自由の原則」と言います。
もっと具体的に説明すると、人間は国や他人に拘束されない自由な存在として、その社会生活と経済生活を、自らの自由な意思で行えるということです。
これは財産権制度と関連していて、「所有権絶対の原則」として示されます。
所有権は絶対に不可侵であり、国家もこれを侵害したり制限することができないということです。
この時に施行された日本の民法は、今の大韓民国の民法へとつながっています。見比べれば、当初と表現が順番が変わっていないものが多いです。
ところで、近代的な民法の重要な原則は何でしょうか?
それについて民法学者たちは、「私的自由の原則」と言います。
もっと具体的に説明すると、人間は国や他人に拘束されない自由な存在として、その社会生活と経済生活を、自らの自由な意思で行えるということです。
これは財産権制度と関連していて、「所有権絶対の原則」として示されます。
所有権は絶対に不可侵であり、国家もこれを侵害したり制限することができないということです。
第二は「契約自由の原則」です。
これは、財産権を譲渡したり処分したりする場合において、所有者の自由意思に基づいた契約のみが法的に有効だということです。
前にも指摘しましたが、今日の大韓民国の国民が享受している財産権制度は、日本の民法が出発点なのです。
日帝は朝鮮の社会と経済を統合する政治原理で民主主義と自由主義を導入しませんでした。
日本自身が自由民主主義をまだ知らなかったということができます。
彼らは家族主義的であり、全体主義的な政治の原理を天皇制の形で発達させました。
これは、財産権を譲渡したり処分したりする場合において、所有者の自由意思に基づいた契約のみが法的に有効だということです。
前にも指摘しましたが、今日の大韓民国の国民が享受している財産権制度は、日本の民法が出発点なのです。
日帝は朝鮮の社会と経済を統合する政治原理で民主主義と自由主義を導入しませんでした。
日本自身が自由民主主義をまだ知らなかったということができます。
彼らは家族主義的であり、全体主義的な政治の原理を天皇制の形で発達させました。
日本が自由民主主義の政治原理を理解して実践するのは、米国で天皇制軍国主義が解体された1945年以降です。
しかしながら日本は、天皇制という政治体制の下で、社会生活と経済生活の原理として、近代的な民法を西ヨーロッパから導入し、自己式で定着させました。
だから大きく見て明治維新以降の日本を近代社会と呼ぶのです。
その西欧起源の近代の要素が、植民地期に朝鮮に移植されたのです。
まさに植民地朝鮮を永久に日本帝国の領土に編入し、併合し、さらに同化させる目的だったのです。
しかしながら日本は、天皇制という政治体制の下で、社会生活と経済生活の原理として、近代的な民法を西ヨーロッパから導入し、自己式で定着させました。
だから大きく見て明治維新以降の日本を近代社会と呼ぶのです。
その西欧起源の近代の要素が、植民地期に朝鮮に移植されたのです。
まさに植民地朝鮮を永久に日本帝国の領土に編入し、併合し、さらに同化させる目的だったのです。
経済的な側面の同化政策についてもっと説明します。
近代的な民法と商法が移植された植民地朝鮮は、結局日本と1つの市場に統合されました。
1920年までにすべての関税が廃止されました。
資本と商品が行き来するときの障害なくなりました。
それに応じて二つの地域間の貿易が大きく発展しました。
貿易が発達するとどうなるでしょうか。
皆さんもよくご存知のように、1960年代以降、韓国経済は輸出貿易主導で高度成長しました。
同じなんです。
貿易が増えれば経済は成長します。
近代的な民法と商法が移植された植民地朝鮮は、結局日本と1つの市場に統合されました。
1920年までにすべての関税が廃止されました。
資本と商品が行き来するときの障害なくなりました。
それに応じて二つの地域間の貿易が大きく発展しました。
貿易が発達するとどうなるでしょうか。
皆さんもよくご存知のように、1960年代以降、韓国経済は輸出貿易主導で高度成長しました。
同じなんです。
貿易が増えれば経済は成長します。
経済と家計と企業の間の財と労働力と所得の流れですね。
ここに輸出と輸入が加われば、循環の規模が大きくなります。
経済成長が持続して、一人当たりの所得水準も増加しました。
その過程で日本からの資本が入ってきて、朝鮮の農地を開墾して工場を建てました。
そんなふうに日本人が主体となった経済成長でした。
そうしてどんどん資本が入り、経済成長が持続すると、最終的にはどうなるか?
朝鮮の土地と地下資源と工業施設はますます日本人の所有となります。
まさにこのようなものが、経済学的には真の意味での植民地的収奪でしょう。
ここに輸出と輸入が加われば、循環の規模が大きくなります。
経済成長が持続して、一人当たりの所得水準も増加しました。
その過程で日本からの資本が入ってきて、朝鮮の農地を開墾して工場を建てました。
そんなふうに日本人が主体となった経済成長でした。
そうしてどんどん資本が入り、経済成長が持続すると、最終的にはどうなるか?
朝鮮の土地と地下資源と工業施設はますます日本人の所有となります。
まさにこのようなものが、経済学的には真の意味での植民地的収奪でしょう。
奪ったわけではなくて、投資して、韓半島の経済的資源を日本人の所有にしていくものです。
その点で、永久併合と同化政策による実質的な収奪の恐ろしい結果を示します。
もう一度言いますが、詐欺と暴力で人民の財産を奪うのは、古代の略奪国や中世の征服国のすることです。
日本はそのような野蛮な国ではありません。
彼らは近代社会であり、近代国家でした。
彼らは朝鮮半島を永久に日本の領土に編入しようとして、その目的のため投資をしたのです。
その点で、永久併合と同化政策による実質的な収奪の恐ろしい結果を示します。
もう一度言いますが、詐欺と暴力で人民の財産を奪うのは、古代の略奪国や中世の征服国のすることです。
日本はそのような野蛮な国ではありません。
彼らは近代社会であり、近代国家でした。
彼らは朝鮮半島を永久に日本の領土に編入しようとして、その目的のため投資をしたのです。
逆説的に聞こえるかもしれませんが、そのような植民地的収奪の結果として、朝鮮の社会と経済も近代化し始めました。
日本人が工場を建てて農場をはじめれば、朝鮮人が労働者、また小作農として雇われます。
それに応じて朝鮮人の所得が増加し始めます。
それだけでなく、朝鮮人の中にも日本人を見習って工場を建てたり起業家へと成長する層が発生します。
先に近代の民法の基本精神を言いました。
私的自由の原則です。
朝鮮人にもそのような私的自由の原則が適用されるのです。
それでこそ同化です。
日本人が工場を建てて農場をはじめれば、朝鮮人が労働者、また小作農として雇われます。
それに応じて朝鮮人の所得が増加し始めます。
それだけでなく、朝鮮人の中にも日本人を見習って工場を建てたり起業家へと成長する層が発生します。
先に近代の民法の基本精神を言いました。
私的自由の原則です。
朝鮮人にもそのような私的自由の原則が適用されるのです。
それでこそ同化です。
ところで、全人口の2-3%に過ぎない日本人が、朝鮮のすべての土地と資源をすべて所有することができるでしょうか?
絶対的にみると、朝鮮人所有の財産のほうが多かったです。
そして、朝鮮人資産家のなかに、日本人に学び、また日本に留学し、上級学校を卒業した近代的な人間の集団が生まれました。
今日サムスングループと現代グループを創業したイビョンチョル先生と鄭周永先生もみんな植民地期に企業を起こした人たちです。
絶対的にみると、朝鮮人所有の財産のほうが多かったです。
そして、朝鮮人資産家のなかに、日本人に学び、また日本に留学し、上級学校を卒業した近代的な人間の集団が生まれました。
今日サムスングループと現代グループを創業したイビョンチョル先生と鄭周永先生もみんな植民地期に企業を起こした人たちです。
1939年末になると、朝鮮人として工場を経営している人の数は、日本人より多い4千人を超えています。
近代化の主役はあくまでも日本人でしたが、多数の朝鮮人たちもそれに参加し始めたのです。
近代から差別され、近代を学習し、近代を実践し始めたのでしょう。
そうして生まれた近代的な人的資本をもとにして、後に日本がこの地から退いたとき、この地に私たちの力で近代経済と近代社会と近代国家を建設することができたのです。
近代化の主役はあくまでも日本人でしたが、多数の朝鮮人たちもそれに参加し始めたのです。
近代から差別され、近代を学習し、近代を実践し始めたのでしょう。
そうして生まれた近代的な人的資本をもとにして、後に日本がこの地から退いたとき、この地に私たちの力で近代経済と近代社会と近代国家を建設することができたのです。
人間の理性で歴史の偶然をすべて知ることはできません。
日本が永久併合しようとして同化政策を展開した結果がこうなるだなんて、誰が知っていたでしょうか。
これを歴史の奸智と言うのかもしれません。
日本が朝鮮を植民地支配した歴史の意義を、近代的な法制度の移植を通じた朝鮮の近代化から見つける学説を指して、「植民地近代化論」といいます。
日本が永久併合しようとして同化政策を展開した結果がこうなるだなんて、誰が知っていたでしょうか。
これを歴史の奸智と言うのかもしれません。
日本が朝鮮を植民地支配した歴史の意義を、近代的な法制度の移植を通じた朝鮮の近代化から見つける学説を指して、「植民地近代化論」といいます。
今放送をしている私のように、主に経済史を研究する人々がそのような主張をし始めましたが、いつのまにか知らず知らず私たちを批判する人たちがそのような名前を付けました。
「植民地近代化論」について、すなわち植民地期の経済の変化についえもっと詳しく知りたい方は、「解放戦後史の再認識」1巻に掲載されたキムナクニョンの「植民地時代の工業化再論」とチュイクジョンの「植民地時代の生活水準」という2つの論文を参照してください。
私の性急な説明よりもはるかに詳細で有益な説明をそこで読むことができます。
「植民地近代化論」について、すなわち植民地期の経済の変化についえもっと詳しく知りたい方は、「解放戦後史の再認識」1巻に掲載されたキムナクニョンの「植民地時代の工業化再論」とチュイクジョンの「植民地時代の生活水準」という2つの論文を参照してください。
私の性急な説明よりもはるかに詳細で有益な説明をそこで読むことができます。
イヨンフン(ソウル大教授)
引用ソース
https://www.chogabje.com/toron/toron22/view.asp?id=151433&cpage=1&no=132490
たかる涙の いやらしさ
その場しのぎの なぐさめ云って
南北地獄行き
電話髪ひく かなしい声を
背でたちきる 道しるべ
生きていても もうすぐ消える
夢では逢えるだろう