【火曜日に読む戦争史】日本が韓半島有事の際に派兵する歴史的根源となった「白村江の戦い」

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【火曜日に読む戦争史】日本が韓半島有事の際に派兵する歴史的根源となった「白村江の戦い」

[アジア経済 イ・ヒョヌ記者]

北朝鮮の継続的なミサイル挑発を契機にして、米・中・日・露の韓半島周辺の4つの列強の動きが忙しくなっている。
特に、韓半島危機論を利用して、有事の際に韓半島への自衛隊の進出などを検討している日本の歩みに関心が集まっている状況である。

事実、日本が韓半島有事の際に派兵した歴史的根源として選ばれる戦闘が一つある。
我が国では大きく扱われていない戦闘だが、日本軍が百済復興軍を支援して、新羅・唐の連合軍と戦った白村江の戦いが、前近代的な時代だった日本が韓半島に派兵した最初の戦闘として知られている。

白村江の戦いは西暦663年、日本にいた百済王子の扶余豊璋が、百済が滅亡したというニュースで帰国して、道琛や鬼室福信などの百済復興軍と連合して州柔城など全北一帯を掌握しようとすると、唐と新羅の連合軍がこれを攻撃し、百済復興軍と日本軍が連合して戦った古代の国際的な戦いを意味する。

同じ戦闘をめぐって、北東アジア三国が使う名前は少しずつ異なっている。
韓国では白村戦闘と呼ばれていて、日本は白村江の戦い、中国は白江口戦闘という名称で呼んでいる。
この戦闘で唐と新羅の連合軍が勝利して、百済は660年義慈王が降伏し、国内に残っていた残存勢力まで事実上完全に消滅する。

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日本の古代史を収集して整理した史書の日本書紀によると、当時に白村江の戦いに派遣された日本軍の兵力の数は2万7000人に達していて、三国史記の記録にも、倭兵が乗ってきた船が1000隻に達していたということから見ると、かなりの規模の兵力がこの韓半島へ派兵されたと分かる。

当時日本の百済派兵は、百済と日本の特殊な関係によって行われたもので、日本の立場では史上初めて海上輸送を介して韓半島に兵力を派兵した戦いだった。
倭軍は主に日本国内での戦闘にだけ慣れていて、大陸の先進的な戦略的、戦術理解や熟練度がかなり不足していたものと推定されており、戦闘自体も非常に薄い中身で終わった。

百済 - 倭連合軍は数的優位を利用して攻勢を繰り広げたが、唐と新羅の連合軍はじっくり火攻め作戦で敵の主力を分散させた後、4回の戦闘を繰り広げて壊滅させた。
それで、この戦いのために唐が記録した旧唐書の内容は短めである。
総司令官の劉仁軌が白村江で扶余豊璋と連合した倭人たちと戦って4回勝ち、船400隻を燃やしたという話がすべてだ。

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むしろ弱者の立場だった日本側の記録のほうがこれよりも詳細である。
当時唐軍は、劉仁軌が率いる1万の兵力と船は170隻に過ぎず、新羅側の兵力も詳細に記載されていないが、ほとんどが高句麗戦線に出ていた状況で多くはないものと推定される。

この時、倭兵が扶余豊璋に、一度突撃して敵の士気をくじいてから退くことを進言し、これによって倭兵は陣形をしっかり絞らずに無作為に突撃したという。
当時唐は有利な地形を先取りして陣形を完全に組んだ状態だった。
唐の船が左右から倭兵の船舶を取り囲んで戦うと、あっという間に倭兵は全滅したし、戦況が不利になると扶余豊璋は船に乗って高句麗に逃げたという。
これによって百済復興運動は完全に幕を下ろすことになる。

単発で幕を下ろした戦闘だが、この戦いは唐と新羅の連合軍の勝利に終わり、以後の歴史に大きな影響をおよぼすことになる。
百済復興運動が完全に幕を降ろし、唐と新羅の連合軍は高句麗戦線に戦力を向けることができるようになり、5年後に高句麗の平壌城が崩れ、結局は高句麗が滅亡することになる。

そして韓半島は激しい唐と新羅の戦争を再び経た後、唐と新羅の両者が戦争前に合意した通り、大同江 - 元山を起点に分割される。
北緯39度線に近い分割線は、後日モンゴル帝国が韓半島北部地域を分割して自国に強制的に編入させたとき、日清戦争と日露戦争前に韓半島の分割論が出てくるたび、基準点となる。
歴史は時代に応じて完全に繰り返されることはないが、遠い将来にも継続的に影響を与えることを示す事例だというわけだ。

引用ソース
http://news.naver.com/main/ranking/read.nhn?mid=etc&sid1=111&rankingType=popular_day&oid=277&aid=0003994322&date=20170516&type=1&rankingSeq=6&rankingSectionId=103
http://v.media.daum.net/v/20170516101038767


*その時代に日本はあれだけの大軍団を船で輸送するって、相当大きな国力がないと不可能と思うんだけど。

さて、韓国人はどう見るのか。









韓国人のコメント


・当時は倭は百済の植民地だった。
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・↑歴史をちょっとでも知ってたら、そんなこと言えないはずなのに…

・↑植民地のほうが4倍大きくて、軍事力は5倍多い?
百済の記録は燃え尽きたが、日本人の記録によると、百済軍といっても実際は百済軍1万で日本軍1万ほどだった。
当時の百済は漢城を失い、追われて王が臣下に殺されていた状況なのに、そんな百済が自分たちよりも大国の倭を植民地にしていたって?
自国を守るのも困難だった百済がどうやって遠い倭を支配できるのか?


・百済陥落当時、倭は百済の植民地でした。
百済から王子が倭に派遣されていた時代です。
倭は国家の概念もなかった時代です。
だから百済の植民地と見れば良いです。
百済の首都は陥落し、王と指導部は捕まったが、当時、唐や新羅は百済の全域を占領できませんでした。
だから後百済時代まで、百済復興軍がずっと活動をしてたんです。
白村江の戦いでの倭軍は、当時倭が保有していたすべての軍事力だったんです。母国を守るための。
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・↑百済の王子は日本に派遣されていたのではなくて、人質でした。
つまり、当時は倭が大国の役割だったんです。

・↑そもそも記者は何のためにこのような記事を書いたのか理解できない。

・↑もし倭が独立国だったら、当時自国のすべての軍事力を派兵しなかったでしょう。
倭の指導部が百済人だったので、倭のすべての軍事力を派兵したんです。
そして百済が完全に崩壊した後、日本は国家としての姿を備えるようになります。
天皇陛下が百済の子孫の理由の一つでもあります。


・倭は百済のおかげで文明開花したし、後には新羅と高句麗の影響で飛鳥文化ができてし、統一新羅のおかげで白鳳文化が花を咲かせた。
縄文時代はやはり百済の影響で、武寧王の時期に我が国が日本を植民地に編入させた。
倭にとって百済は祖国であり、唐 - 新羅東西連合に対抗して戦うのは領土権守護の概念だった。
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・記者はなぜ派兵したのかという根源的な理由を明らかにしていない。
歴史の知識がないか、あるいはニューライトなのだろう。
確かなのは、当時の日本が百済の属国だったということ。
現在の天皇の血筋も百済系だという明らかな証拠がある。
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・記事があまりにも親日的である。不純な記事である。
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・歴史で感じるのは、日本が助けてくれるとしても、なるべく助けられず、ただ口だけで感謝しなければならないということ!
助けてもやっかいごとを持ち込む。
そして歪曲した歴史のせいで、いつ後頭部を殴るか分からない。
ただ距離をおくのが最高だ。
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・それでも古代史であれほどの兵力を海上を使ってサポートしたなんて、どれだけ大変な努力が必要なのかを考慮すると、かなりの支援を受けたのは確かである。
現代だってあのレベルの規模の兵力が、海を渡って戦闘をするのは簡単ではないわけで、当時の時代ならなおさら大変だろう…
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・↑百済の立場から記事を書いているからそう思うのであって、相手国も韓国の古代国家の一つである新羅だった。
まるで日本が韓国を助けたかのような話をするんだな。

・↑当時の日本は事実上韓国だった。つまり日本は百済だった。


・古代の日本人は文字通り原始人レベルだった。
先進文物もなくて、自ら孤立していて、原始文化で、パンツだけを身につけていて、まともな武器もなくて、刀が少しあるだけで、船も船といえないほどのレベルで、原始的な野蛮人だった。
それに比べて大陸勢力は先進文物の影響で、組織的な騎兵と武器を保有していたので、少数の精鋭部隊でパンツだけを身につけていた野蛮人を簡単に掃討した。
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・↑朝鮮は大陸と接していたという理由だけで文化的利益を大きく受けた。
しかしその後、11世紀前後に国力が逆転したのを見ると情けない。

・↑パンツだけ身につけていた?
当時、新羅と倭の文明レベルはあまり差がなかったけど。

・↑日本と韓国が違う点は、韓国は朝鮮が事大主義朋党政治で腐ったが、日本は知識人たちが明治維新をしたこと。

・↑しかし日本は上から下に降りる改革しかなくて、革命がなくて、だから今の日本の政治はいまだに前近代的である。ふふふふふふ


・エヒョ…
最近は、韓米同盟に日本がひたすら寄生をしてるね…
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・↑現実には米日同盟>>>>>>>>>>>>>>>>>韓米同盟^^


・誰かが言っていたが、日本が100年の敵なら中国は5000年の敵。ふふふ
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・↑それなら500年前の壬辰倭乱は!?

・↑金正日が言った言葉だ。


・中国人も韓国人も、威張るのが好きで、周辺国を無条件に自分の下に見ようとする。
だから日本を無視してきた。
しかしその未開国の日本が今はアジア第一の先進国で、文化大国で、1940年代からアジアの軍事強国だということを考えると怒ってばかりじゃダメだ。
日本はいつも韓国の良い競争相手であり友好国でなければならない。
両国はそのためにも歴史と領土問題を解決しなければならない。
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・当然日本は百済を助けなくちゃ。
日本は百済の操り人形の国だったんだから。
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・日本は忠実な朝鮮半島の護衛武士だったんだね。ふふふ
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・日本は一度も助けになったことがない。
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・↑日本は台風は防いでくれる。

・↑日本は歴史の中で役立ったことが一度もない隣国。

・↑太平洋津波の防波堤レベルには助けになる。ふふふ

・↑京釜高速道路、昭陽湖、浦項製鉄、ソウル地下鉄1号線、各種貯水池、農業ダム等はすべてが日本の資金と日本の技術で作ったものであり、我が国の産業化第1世代は全部日本からの技術を移転を受けて、産業を引き起こした。
現代自動車は三菱、サムスン電子は三洋電機、浦項製鉄は新日鉄、三養食品は明星食品、同和製薬は森本産業と協和化学から技術移転を受けた。
こんなものが大量にある。
そして、韓国が日本のすべてをコピーしているとき、日本は知的財産権について噛み付いてきてない。
戦後の日本の経済協力は評価するに値します。


・百済の植民地だった倭が、母国の韓半島を取り戻そうとしてるんだ。
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・↑そもそも今の日本人の祖先が古朝鮮人だったので、彼らにとっては我が国が母国なんです^^


・朝鮮時代まで我が国は野蛮な日本を軽視していた。
野蛮人日本から盗難や略奪をされていた。
我が国は日本に性理学を教えてあげたので、ちょっとは日本も未開な獣から脱出していたのではないかと期待してしまったんです。
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・↑野蛮なのはむしろ朝鮮王朝だったけど。
妄想だらけの性理学を握りしめて座ったまま国を台無しにした。


・この白村江の戦いの後、日本は倭から日本に国号を変えて、その後に韓半​​島勢力と敵対勢力になった。
すなわち百済の後裔国の日本と、韓半島の末裔の新羅が、千年の敵になったんだ。
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・外勢に依存して滅びたのにいまだに学ばずに精神錯乱した韓民族。
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・百済が日本から支援?兵士を数万人サポート?
日本には武器がなくて百済が用意して武装させたのだろう。
我が国は三国時代に互いに競争と協力をしていたので、すさまじく発展していたと考えられる。
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・日本が成長したのは江戸の前の戦国時代からである。
それまでの日本はただの野蛮族だった。
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・百済の属国だった倭が唐の部隊と戦ったが、数が多かっただけで何の役にも立たなかった。
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・古代の韓半島人が日本に渡って、日本の原住民たちをすべて殺して(一部は混血として吸収)作った国が日本である。
それ以来、日本は外の世界とずっと隔離していて、古代韓半島人の遺伝因子を維持していた。
韓国人と最大の遺伝的類似性を持つ民族が日本人と満州族(女真族)である。
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・高句麗滅亡の原因も日本である。
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・チョッパリは古代から助けにならないね。
無作為に突撃して地獄に行って負けるのがすべての猿たち。
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・ふんどしパンツを履いてバンザイ突撃。
これが日本の伝統です。
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・大日本帝国万歳!
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・歴史はいつも繰り返される。
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・教訓。
チンパンジーは助けにならず、混乱だけを起こす。
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・当時、今日のような韓民族の概念があるのか。
百済 - 高句麗は東明王という共通点があるが、新羅は事実上他民族でしょう。
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・百済は親日国家だった。
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