過去の韓国のもう一つの姿
頭の中の固定観念と事実(Fact)の差

趙甲濟(チョ・ガプジェ)の超少数派サイトから井戸の外のバンダービルドさん。

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過去の韓国のもう一つの姿

バンダービルド

¶1938年~1943年、朝鮮人青年の日本軍への志願入隊の現況

1938年
400人の募集に対して2900人余りが志願(競争率7.2対1)

1939年
600人の募集に対して12,300人が志願(20.5対1)

1940年
3000人の募集に対して84,400人が志願(28.1対1)

1941年
3000人の募集に対して144,700人が志願(48.2対1)

1942年
4500人の募集に対して254,300人が志願(56.5対1)

1943年
5330人の募集に対して303,400人が志願(56.9対1)

☞1940年(競争率28.1対1)には、志願したのに脱落して入隊できなかった江原道横城郡の青年(宜昌万/フェン・ソングン)が、これを悲観して自殺するという事件が発生した。


¶中日戦争で発生した経済特需により、1938年に韓半島は超好況期を享受して、年末に大手企業などが全社員を対象にして年末ボーナスを支給した。

- 京城紡織:100%支給
- テドン鉱業:30%支給
- 朝鮮日報:20%支給
- 東亜証券:20%支給
- トン銀行:20%支給
- ファシン:20%支給
- 毎日新報:15%支給
- 朝鮮総督府:15%支給
- その他の官公署:15%支給
- 東亜日報:10%支給
- ポソン専門:10%支給

※「朝鮮駐屯日本軍の実像」(論文、戸部良一)と「植民地近代の熱い万華鏡」(チョン・ジョンファン他)の内容の中から


バンダービルド

引用ソース
https://www.chogabje.com/toron/toron22/view.asp?idx=&id=134198&table=TNTRCGJ&sub_table=TNTR01CGJ&cPage=1


*日本のサヨクさんたちは、歴史の事実を直視しなさい。




韓国人のコメント


正解と不正解(ハンドルネーム)
このような事実は無条件に嘘扱いです。
新聞で記事化されていたり、当時の他の文書によって確認された事項だとしても、
否定して偽りだと罵倒します。
なのに証拠もない慰安婦性奴隷20万のようなでたらめを信じる奇妙な人々。
いまや、軍に志願したという人が一人もいないという大韓民国。強制徴集された人だけがいるという。どちらが虚偽でどちらが事実なのか。


イムジョンムテ(ハンドルネーム)
極めて個人的な考えですが…
日本は朝鮮を植民地だと考えたのではなかったのではないかという考えを消すことができません。
朝鮮は日本王の配慮のもとで、日帝時代を通じて近代化されて、開花されて、それが近代化の土台になったという点は、否定できないと考えています。
併合という概念と植民地という概念は、明らかに違うようです。
日本側としては、朝鮮の所有者の王家なので、妥当に併合して、最後まで朝鮮を経営したのだと思います。
李王家の地位が日本国内でNO2だったという事実を見ても、植民地ではなくて、完全に一つだと認識していたものと思われます。
日本と朝鮮は植民地の関係ではなく、当時の国際状況や国内情勢、王室の財政に余裕がなかった高宗が、朝鮮が滅びることが既成事実化された中で、朝鮮の王室を維持しようという作戦で、日本から多大な対価を受けて、朝鮮経営を合法的に委託した事件だと思っています。
併合…すなわち合法的契約結婚をしたが、日本の敗亡と共に自動的に離婚した関係というのが個人的考えです。
  

未来指向(ハンドルネーム)
国定教科書を作るなら、こういう内容も入れるべきです。
若い世代がバランス感覚を身につけなければ。
日本に被害にあったことだけだとバランスがとれないです。
それに、天皇は天皇です。
日本の国王でもないのに日王と表記する人は、一体どこのソースからそういった言葉を持ってきたのか気になります。
漢字の意味だと天皇は太陽王という意味になるからダメだというが、どうして単語を変更して使っているのか理解ができません。



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頭の中の固定観念と事実(Fact)の差

バンダービルド

 
<日本が韓半島を支配するようになって、朝鮮人たちは日本や満州などに移住したが、これは日帝が土地収奪と過重な税金を課して、生きるのが難しくなったせいだ>

これは、韓国内の学校教育や各種情報(メディア、オンラインなど)などを介して、韓国人の頭の中に固定化された過去の認識(固定観念)の一つである。
しかし、比較的客観的な資料を確認してみると、朝鮮人たちは当時、大きなビジネスチャンス(金儲け)のために、日本や満州などに移住していったというのが、より正確な解釈である。
特に、満州地域に移動したのは、中日戦争などによる戦争特需(各種金儲けなど)を活用し、一攫千金を狙って移住したケースも少なくないのが事実である。

もちろん太平洋戦争末期などの特定の時点では、例えば韓半島内供出による困難のため、満州などの他の地域に移住していったという可能性がある。
しかし、このような特定の時点の一部のケースを、あたかも全体の事例であるかのように言って、「移住は土地収奪と過重な税金を課されて生きるのが難しくなったせいである」というふうに裁断する今日の反日主義者たちの態度は望ましくない。

客観的資料によると、日帝時代に朝鮮半島は無視できない経済成長率と人口増加率を見​​せた。
併せて日帝時代が始まって、当時の朝鮮人がはじめて享受した海外旅行の自由は、解放以後初期の韓国政府統治下よりも、はるかにレベルが高かったという話がある。

私たちには厳しい言葉かもしれないが、過去に日帝がなかったら、一般的な朝鮮人は、より大きなビジネスチャンスをつかむために外(海外)に出る自由どころか、朝鮮半島内部のみに閉じ込められて、両班などの少数支配層によって生涯「真の収奪」をされて送ることになっていたのだ。

見たことも生きたこともない「過去」について、十分に知らないのに、「憎悪の感情」(反日)だけを持って、勝手に裁断するのはあまりにも好ましくない。
考えてみれば、世の中でこれ(勝手に裁断する)ほど簡単で気楽なものもないので、その誘惑を簡単に振り払うって捨てることができないのは、全く理解できないわけではない。
しかし、タダではない。
そうなると、生涯を勘違いの中(井の中の蛙)で生きて行かなければならないという対価が伴う。

バンダービルド

引用ソース
https://www.chogabje.com/toron/toron22/view.asp?idx=&id=134216&table=TNTRCGJ&sub_table=TNTR01CGJ&cPage=1


韓国人のコメント


イムジョンムテ(ハンドルネーム)
日本時代、農地面積が、総督府の調査の結果、日本より朝鮮のほうが1.3倍多かったと言われてます。
総督府の土地収奪も明らかにあったと思います。
土地税が相対的に日本本土よりも非常に安価で、農業技術の開発をして、さらに日本本土とは違って国防の義務がなかったので人材が増加して、結果、米の対日本輸出が活発になったと思います。
米 - お金 - 間島などの地 - 移住(金儲け会)
土地収奪で困難になって移住した場合もあったと思います…
ビジネスのチャンスで移住した可能性もあったと思われます。


バンダービルドさんのコラム(一部)