謝罪の抜けた日本の談話は、むしろ韓国にとってチャンス

趙甲濟(チョ・ガプジェ)の超少数派サイトから、井戸の外のバンダービルドさん。

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謝罪の抜けた日本の談話は、むしろ韓国にとってチャンス


バンダービルド


政府が8・15祝辞を一日前に発表される日本の談話の内容に応じて、違うものを準備しているという。
複数の祝辞を用意しておいて、期待に満たない談話が出た場合、「失望用の祝辞」を発表し、問題がなければ「満足用の祝辞」を選んで発表するということだ。
談話に「謝罪」表現がない場合、祝辞は日本に対する失望感を表明すると共に、歴史直視などを促す内容が盛り込まれるものと見られる。
特に、談話に対する国内世論の流れが格段に良くない場合、次の日の祝辞には、2013年初めの「千年の歳月が経っても」水準のメッセージが再登場する可能性も排除できない状況だ。
逆の場合(謝罪有)、祝辞は新しい韓日関係を志向する肯定的メッセージを中心に出てくることになり、以後、対日強硬基調は出口を模索する面を帯びることになる可能性が大きい。

ところが、現在は、日本側の談話に謝罪表現が含まれる可能​​性は高く見えない。
韓国、中国からの要求と、日本国内の左派中心の糾弾が高くなるほど、逆説的に安倍首相の「謝罪決断」は難しくなる。
なぜならば、むしろ韓国、中国、自国内の圧迫があまりない状態での謝罪なら、「大乗的決断」という式で肯定的評価を受けることができるが、今のような場合であれば、「圧力に屈服した政治家」としか評価されない状況になってしまったからだ。
高まった周辺圧力のため、安倍首相が押されて謝罪表現を入れる可能性があるという一抹の期待はありえるかもしれないが、これまでの安倍首相の傾向から見て、事実上、可能性は希薄に見える。
また、まれな場合として、「圧力に屈した政治家」に見える可能性があるると自ら知りつつ、大乗的次元の決断を下す場合がありえる。
しかしプロの政治家が、こういった「自己犠牲的」態度を取るのは容易ではないようだ。

最終的に、朴槿惠大統領は15日、「失望用の祝辞」を発表する可能性が現実的に大きく見える。
そうなると、韓日関係は、最低でも足踏みないし追加悪化する状況に入る可能性が大きくなる。
政府が出口を見つけるのは、当分は難しくなるだろうし、これに伴う外交隘路は持続するしかなくなる。
最終的に、大小の国益損傷がまた必然的になる。

今「限界突破的」決断を下すことに、政府はもう躊躇してはならない。
外部要因(​​謝罪するかどうかなど)によって、軽く行ったり来たりするような今のような国政運営は望ましくない
今回政府は、日本側の談話内容にこだわることなく正面突破する必要がある。
祝辞は日本に向けてのものではない。
祝辞はあくまでも、基本的に、私たち内部国民に向けたものである。
この点で、70周年祝辞は、特に私たちの国民が今後なすべき大韓民国の「最終的将来像」と、これを達成するための国民的な姿勢を提示する内容を中心にして構成されることがより好ましい。
したがって、祝辞は最上の内容を盛り込んだ「一つ」で十分である。
政府は、いくつかの複数の祝辞を準備するという無駄なことに頼らず、準備中の「失望用の祝辞」などがあるなら直ちにゴミ箱に投げ入れるべきである。
外部変数に基づいて内容が行ったり来たりするのは、プライドが傷つけられることでもある。

普段、私たち国民の老若男女が肌で共感できる「未来像」のようなビジョンが既に確実に与えられていたら、日本との関係も、少なくとも今のようなものではなかっただろう。
「大韓民国の未来像」がはっきりと提示されて、国民がその内容を確実に理解している状態なら、政府が推進する各種政策(対日外交を含む)がどういうものであろうが、国民は政府に向かって高レベルの信頼と受容性を見せてくれるだろう。
また、こういった目標(将来像)に対する意識がはっきりしていれば、国民は、従属変数(謝罪するかどうかなど)のような枝葉から解放されることができる。

「大きなこと(将来像)」が​​提示されると、その時から、残りは相対的に「小さなこと(謝罪するかどうかなど)」となる。
普段、「大きなこと」が与えられていないため、「小さなこと」がまるで大きなものであるかのようなフリをしてきたのだ。
政府は国民がより「大きなこと」に邁進できるよう、国情を導かなければならない。
今回の祝辞は、したがって、国民に今後達成すべき「大きなこと」を確実に提示する内容中心に満ちていなければならないと思う。

世界は、謝罪が抜けた日本談話に続く次の日の韓国の反応に注目を集めることになる。
この時、祝辞が予想通り「千年の歳月」式反日スタイルなら、世界の人々は韓国に何のインスピレーション(感動)も感じないだろう。
しかしこの時、予想を破る強力な未来志向のメッセージが出てくれば、世界は初めて韓国を再び見る。
韓国の反日に疲労感を感じていた一部の海外の見方も減少するきっかけになる。
朴槿惠大統領の立場でも、自身の新たな高み(寛容、配慮など)を米国や日本など国際社会に知らせる良いきっかけにすることができる。

このような事情を考慮すると、一日前に出てくる日本の談話にむしろ謝罪表現がないのが、逆説的に私たち韓国の寛容と未来志向の姿勢などを劇的に世界の中で浮上させる助けになる。
もし前日の談話に謝罪表現が入ってしまった状態だと、韓国のせっかくの大きな決断は、劇的効果が落ちるしかない。
簡単な言葉となり、まぬけなものとなる。
私たちが世界から恩恵を受け「賛辞」を受けなければならない状況なのに、一日前の日本(安倍首相)側が既に横取りした状態となる。
「謝罪の抜けた日本談話がむしろ韓国にとってはチャンス」という言葉が、これによって成立するのである。

朴槿惠大統領は任期中、二度とない今季(70周年)を迎えて、せっかく訪れた「確率の高いチャンス」(談話に謝罪の無い可能性が高い)を無にせずに、確実に生かして、「韓方の」偉大な指導者として、世界の中に聳え立つことを期待する。
父親は少なくとも小さなこと(親日派非難など)のため、大きなこと(将来の発展)を誤らせることはなかった。
そんな父親を持つ大統領だからこそ、やはり小さなこと(親日派非難など)のために、大きなこと(将来の発展)を誤らせることはないだろうと見る。

バンダービルド

引用ソース
https://www.chogabje.com/toron/toron22/view.asp?id=129859&cpage=1&no=113784


こないだ私、「謝罪しないことが日韓友好の役に立つ」と書きました。
バンダービルドさんと論理・発想は同じです。論理・発想は同じですが、目的は違う。
で、毎度これを書かないと誤解されるので書いておきますが、私は韓国は嫌いだし、日韓友好は望んでないし、それが可能だとも思ってません。
ただ、謝罪することこそ日韓友好をむしろ遠ざける行為であり、日本のサヨクが「謝罪を入れろ」という主張するのは、目の前しか見てない愚かさだという主張は一貫して変わりません。
目の前と足元だけを見てると、謝罪したほうが友好に役立つように思えるのかもしれません。
でも、いい加減、過去のこれまでの経緯を冷静に見よといいたい。
謝罪を繰り返せば繰り返すほど悪化してきた過去の経緯を見てください。
逆説的に、私は日韓友好論しか書いてないということです。
ゆえに私は「真の日韓友好なら支持する」と言い続けてるわけです。

バンダーさんは「安倍首相が談話に謝罪を入れるのが大乗的決断」と書きました。
これは違いますね。
「謝罪を入れないことこそ、未来まで見つめた大乗的決断」です。
もし安倍さんが謝罪を入れれば、それは目の前と足元しか見てない行為だといえる。
今、連立公明党から謝罪せよという要求がきていて、日本国民の世論調査でも「謝罪表現ぐらい別に入れておいたらいいんじゃないの?うるさいし・・・」という反応がきているこの状況。
支持率も下がってる今、はっきりいって、入れる決断をするほうがたやすいと思います。
私は、安倍さんは入れる可能性があると思っています。
安倍さんがバンダーさんの言うように「政治家としてのプライドのために入れない」性格なら心配ないけど、
そうじゃないのを知っているので。

そう。
バンダーさん、安倍さんは「プライドのために入れない」性格じゃないんですよ。
そういう韓国人的プライドは、日本の政治家にはあまりないんです。
だからこそ日本の政治家は、これまで「謝罪を繰り返すという過ち」を繰り返してきてしまったんです。

安倍さん、入れないでください。
それが「大乗的決断」です。
韓国がチャンスを生かそうが殺そうがどうでもいいことです。
日本の問題です。日本はもう過ちを繰り返すべきではない。





韓国の反応


・今回の記事は、いいね。


・良い文です。
一言で言えば名文です。
バンダービルド様のこの記事を、本当に、朴大統領がこの記事を見て、ちょっと悟ってくれたらいいのにと思います。
バンダー様~この記事を青瓦台の掲示板にも一度あげてみてください。


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