なぜ被爆者は米国を憎悪していないのか?

反応は少ないですが、記事を書いた日本学の教授とやら「分析」にモニョモニョしたので。

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中沢啓治(右)は、広島被爆で父と兄弟を失い、その経験を漫画「はだしのゲン」に入れた。初期の作品には、米国への怒りが激しくあらわれているが、「はだしのゲン」は、「平和」へのメッセージが主をなす。


[ハンギョレ21][レッド企画】代表的な反核平和漫画「はだしのゲン」を描いた中沢啓治の初期短編の主人公は、米国に対する憎悪を明らかにしていたが、被爆者たちは、1960年代を経て、民族も階級もジェンダーもない空虚な「主体」になった


2006年に広島、長崎の被爆者と話をする機会があった。
この席でいつも抱いていた疑問を被爆者に投げた。
「被爆者の手記を読んでみると、被爆者が原爆を落とした米国への怒りや復讐を、そのまま表現するケースを見つけるのが非常に困難です。誰もが一様に、被爆当時の惨状を証言して、平和への意志を込めたメッセージで結ぶのです。まるでみんなが『大人』のようです。原子爆弾の憎しみがあっても、米国やアメリカ人に対する憎悪をそのまま表出する記録を、見つけるのは難しいです。なぜそうなのでしょうか?」
答えはこうだった。
「最初は当然、米国への憎悪があったでしょう。英語の文字を見ても憎悪が生まれるほどでした。だから、英語の勉強を拒否したし、そのために大学進学に失敗したほどです。ところが近年、アメリカへの憎悪を表出する機会がなくなりました。日本が親米国家としての地位をして、繁栄を享受すると、アメリカを憎悪する言説は居場所を失うことになりました。」
 

見つけることができない復讐の意志

実際、広島や長崎の被爆経験から始まった日本の反核平和運動で、米国と米国人への直接の憎悪を込めた言説は見当たらない。
帝国主義あるいは覇権主義の問題として反米主義があったとしても、被曝経験に由来する憎悪を赤裸々に露出する被爆者の手記に触れる機会はあまり多くない。
しかし被爆者の被爆直後の証言からは、米国への憎悪と復讐の意志を露出しているのをたまに見ることができる。
「米国の奴ら」と、米国への憎悪をそのまま表したり、あるいは日本も原子爆弾を一日も早く作って、米国に復讐しなければならないという証言も、部分的にあらわれる。
しかし、概して1950年代半ばから、このような証言は跡を消す。
広島、長崎の被爆体験を、普遍的な反核平和主義に発展させるのに決定的な役割を果たした、1955年に始まった原水爆禁止世界大会の影響が一役買ったのだろう。

広島被爆体験を描いた中沢啓治(1939~2012)の「はだしのゲン」(1972~)は、日本で600万冊も売れた代表的な反核平和漫画だ。
ミュージカル・映画・演劇・アニメなどが作られて、英語版やインドネシア版が発行されたし、韓国でも翻訳されて紹介されたことがある。
この漫画の大衆的成功の秘訣は、この漫画が、米国・アメリカ人に対する憎悪ではなく、普遍的な反核平和主義を含んでいるという理由が大きく作用した。
在日朝鮮人に対する日本社会の根深い差別を述べて、天皇の戦争責任を提起すると同時に、米国の原爆投下責任を責めながらも、米国への憎悪や復讐を直接は露出しない。
しかし1960年代に発表された中沢の初期漫画は全くそうではなかった。

中沢は1939年に広島で生まれて、小学校1年生の時に被曝して父と兄弟を失った。
彼は看板書きの仕事をしながら漫画家になろうとして上京し、有名漫画家を補助する仕事をする。
上京初期は、被爆者に対する社会の痛い視線と差別を意識して、被爆者という事実を隠していたが、被爆の後遺症で苦しんでいた母の死(1967)を契機に、広島原爆の問題を本格的に描き始めた。
この時発表した二つの作品には、「はだしのゲン」には現れなかった米国とアメリカ人への憎悪が赤裸々に表れている。


「私の体の梅毒菌を、戦争屋たちに広めるのだ」

「黒い雨にうたれて」(1968)は、中沢が初めて原爆の問題を扱った短編漫画だ。
内容は極めて単純で強い。
広島で生まれて被ばくしたヒットマンが主人公である。
彼は原子爆弾で家族をすべて失い、被爆時の火傷で全身にケロイド(keloid)が残っている。
このため主人公は、米国を憎悪する。
彼はアルファベットで書いた看板を見るたび、怒りを炸裂させる。
お酒はウイスキーを飲まず、ただ日本酒だけを飲む。米国に対する怒りからである。
いや、米国への怒りを失った広島と日本に対する怒りからである。
生活のためにヒットマンになったが、彼が殺す対象は、唯一アメリカ人だけだ。
つまり日本人は殺さない。
ある日彼はアメリカ人が振り回したナイフで大きなケガをして、生死の境をさまよう。
そして、原爆少女の2歳に自分の目を寄付して、目を閉じる。



「黒い川の流れに」(1968)は、売春女性の人生を描く。
彼女は被爆者でありながら、アメリカ人に体を売る「ヤンゴンジュ」だ。
原爆で両親と弟を失った自分も、後遺症で時限付きの人生を苦痛の中で暮らしている。
結婚を約束した男性は、彼女が被爆者であるという事実を知ると、彼女のそばを去った。
彼女は死ぬ前に復讐を夢見る。
「私が生きている間に、私の体の梅毒菌を戦争屋たちに広める!そうしてそいつを梅毒で破滅させるのだ!」彼女の復讐は、梅毒菌を米軍に広めるというものである。

この二つの作品で繰り広げられる被爆者中沢の世界は、「はだしのゲン」で繰り広げられる非暴力反核平和主義とは距離が遠い。
「核兵器をなくそう!戦争をなくそう!」のような「高尚」な平和主義の理念を説いていない。
すさまじい復讐だけを描いている。
男性は殺人で、女性は梅毒菌!かといって、復讐する側が復讐を成功させて、勝利の喜びに包まれることもない。
復讐はただ、原爆で傷ついた体を介して行われ、自分を破滅させることによって完成される。
この時、復讐を極大化させるメタファーとして登場するのが、人種と女性である。

ヒットマンはアメリカ人にこう言う。 「貴様ら白人がひざまずいて懇願する姿を見たくてこの仕事をしている。」「ベトナムで汚れた足で、日本の地を闊歩しているのが我慢できない!」「貴様は口では格好のいいことをぺちゃくちゃ喋るが、内心は汚れた腸で満ちている!ナチスが犯したユダヤ人虐殺を許すことができないと言いながら、裏で貴様らヤンキーは、ナチスよりも酷い虐殺をした!ナチスより酷い殺人者だ!広島に観光に来る時間があるなら、貴様らの国の人種問題を解決しろ!」
広島や長崎への原爆投下を、軍事的・政治的問題としてではなく、ただ白人による日本人抹殺として描きつつ、被爆者を日本人と同一視し、これをベトナム人やユダヤ人や黒人へと拡大する。
広島への原爆投下はホロコーストであり、被爆者はユダヤ人である。
米国と戦争をした日本は侵略者ではなく、米国の侵略に対抗したベトナムだというのである。


親米国家の基盤が作られる時代を経た後

また、彼の作品に登場する女性は、ただ「純潔な女性」である。
いや、原子爆弾で全身に傷を負ったり、放射能汚染で結婚することができなくなって汚された「純潔でなければならない女性」である。
原子爆弾は、女性の「純潔」を破壊したので、悪である。
売春女性は次のように言う。
「原子爆弾のせいで結婚することができないという宿命に、私は泣いた。(…)ウェディングドレスを着た自分の姿を想像して、これを忘れることができなかった。ブティックの窓際に陳列されているウェディングドレス姿のマネキンを、我を忘れて引き裂きたくなった。」
当時、被爆者の女性は、被爆者でありながら、女性という理由で二重の差別にさらされていた。
井伏鱒二(1898~1993)の「黒い雨」(1965)という作品は、広島で被爆した女性が、被爆者という理由で結婚を約束していた男性から捨てられるという話を盛り込んでいる。
中沢はこのような「純潔でなければならない女性」を保護する役割を、被爆者の日本人男性にたくす。
その男性は、概して強くて正しくて暴力的である。
弱くて「純潔な」日本人女性を汚す存在として米国の白人を登場させ、これを暴力で制圧する男性を、その正反対に置くことによって、米国へ復讐する強い日本男性の復元という形で描き出す。

この二つの作品は、1970年代に出た「はだしのゲン」とは非常に異なっている。
人種主義的反米と復讐を、男性主義中心に荒々しく描いているからである。
このため、この二つの作品を気軽に出版する出版社を探すのに苦労したという。
特に有名出版社は、すべてが出版を拒絶した。
この作品が描かれた1960年代は、「親米国家」日本の基盤がほぼ作成られていた時点である。
高度成長で人生が豊かになって、米-日安保同盟が政治的反対運動を破り、社会的に根を下ろしていた時期だ。
米国との同盟の下で「うまくいっていた」当時の日本では、米国へのすさまじい復讐を描いたこの作品は、あまりにも不快だったのだ。

有名出版社がこの作品の出版を好まないように、「繁栄」に浮かれていた日本の人々は、被爆者の米国への怒りと憎悪を不快に思っていた。
米国に対する怒りは、平和主義と経済発展という「怪物」に流されてしまって、被爆者たちは皆、平和のみを望む優しい「大人」になってしまった。
被爆者たちの記憶は削られて整えられた。
そして、怒る空間と攻撃対象が消えてしまったのだ。
被爆者はすべて、平和の伝道師のような「大人」になった。
多様な記憶を持っていた被爆者は、みんな同じようになってしまったし、民族も階級もジェンダーもない超歴史的な空虚な「主体」になってしまった。
被爆の経験から、加害と被害の主体を特定して、その主体に責任を求めて怒りを表出する記憶の喚起や再生は、動作不能の状態に陥っている。

中沢も初期の作品で明らかにしていた憎悪を捨てて「はだしのゲン」を使って、この隊列に合流した。
だから成功を収めたのだ。
中沢の変身と成功は、それ自体をみると、日本に閉じ込められていた被爆の経験を、人類共通の反核平和主義へと拡張させるために大きな貢献をしたわけだが、同時に「平和国家」日本の「繁栄」と脈を同じにしていたと見ることもできる。



平和国家の繁栄をしつくすと、すぐに攻撃を開始

しかし21世紀の日本は、「平和国家」日本が「繁栄」をしつくして、「はだしのゲン」への攻撃が本格化される。
2012年以来、一部の教育委員会は、「はだしのゲン」は「描写が過度に過激」で「差別的な用語」があって、「事実に反する内容がある」という理由で、閲覧制限措置を取った。
日本文部科学省の長官も、この措置に問題がないことを確認するなど、「はだしのゲン」の受難は、日本の政治地形と相まって拡大の一途にある。
もちろん日本図書館協会と米国図書館協会などが、閲覧制限は一種の「検閲」に該当するという理由を挙げて抗議声明を出して、部分的に閲覧制限が撤回された。
しかし今、米国への憎悪どころか一般的な反核の意志を込めた「はだしのゲン」でさえ、日本の社会で否定されているわけである。
被爆者の怒りはどこに向かうべきなのだろうか?

グォン・ヒョクテ聖公会大日本学科教授

引用ソース
 http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=shm&sid1=104&oid=036&aid=0000033548


なんか…ムズムズするような「ズレ」を感じる分析ですね。

>>「繁栄」に浮かれていた日本の人々は、被爆者の米国への怒りと憎悪を不快に思っていた。

↑こういうのとか。
この韓国人教授はおそらく、占領下の日本では米国によって焚書がおこなわれ、言論がすべて検閲されており、それが解除された後もその影響から抜け出せなかったということを知らないのでしょう。


日本人が米国への復讐心を持っていない理由はいくつかあると思います。

①そもそも「子孫に憎しみを持つような教育をし、その憎しみを米国の子孫にぶつけるような教育」を、日本はしてこなかったから。(主に戦後世代)

②戦後、日本が高度経済成長していたとき、戦中世代には「米国との経済戦争を戦っている」という感覚があり、勝ち進むなかで代理満足があったため、復讐心が抜け落ちた。(主に戦中世代)

③さらに、この韓国人教授が言ってることも一部では正しくて、「多様な記憶を持っていた被爆者は、みんな同じようになってしまったし、民族も階級もジェンダーもない超歴史的な空虚な『主体』になってしまった。」というのは事実だと思います。
被曝者だけじゃなく、かつて日本人の持っていた米国への怒りの多くが、「空虚」で「高尚」な反戦平和運動へと転嫁されていったということ。その是非はともかくとして。

こんなもんかな。
①が一番の理由だと思います。とくに若い世代が復讐心を持ってない一番の理由がこれであり、韓国と大きく違う点でもある。



韓国人のコメント

・その憎悪を韓国に向けていますね。
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・米国にもう一度落とされれば、地図から消えるのに。
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【韓国の反応】韓国人「日本は?なぜ日本の名前がない?」~44の島国が、数十年以内に消える可能性


・誰が記事を書いたのか…日本人の内面を見ていないようです…
彼らは、力のある者には追従しつつ、内心にはたくさんのナイフを忍ばせている民族です…
日本の人々は原爆を絶対に忘れずにいます…
虎視眈々と機会を狙っている。
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【韓国の反応】日本人は「善と悪の戦い」より「義と忠の戦い」を好む~ルース・ベネディクト『菊と刀』


・原子爆弾とは比較にならないほどのらくさんの殺傷を韓国でしたくせに。
お前らが殺されたのは自業自得だ。
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・率直に言って、米国が怖いからじゃないの?嘲笑
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・日和見主義の民族なのに、どうしてそれを忘れるだろうか。
お前らの心の中には、昔からサムライの刀がある。
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・とにかく韓国人は無知で、話題の把握ができない…
原爆が他人事に見えるのか?
原爆の時、広島と長崎に住んでいた朝鮮人が数万人、一緒に死んだのを知らないの?
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・力がなくなったからだろう。
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・日本人の根性は、強い相手には頭を下げて、弱い相手には刃物を突き立てるんだ。
それが日本種の特性。
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・は?米国に対する怒りがない?
日本文学を読んだり、日本の人々と話をすると、自分たちが戦争を始めたという事実を除去して、自分たちは米国の覇権主義にやられた善良な被害者だと思っている。
そして日本が民族主義で固く団結して、まだ残っているトラウマを克服して、強い日本を再びろうとしている。
米国が強いから憎しみを見せないだけで、今でも機会さえあれば、善良な被害者のふりしながら、米国が悪かったとしゃべって回っている。
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・日本は本当に水で薄める民族だ。
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・原爆が二つだけしか落とされなかったのが残念だ。
50は落とす必要があった。
そうすれば、日本をおちぶれさせることができたのに。
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