「菊と刀」(ルース・ベネディクト)

こないだのブックレビューが意外と評判が良かったので、こっちもやってみますね。
二つ紹介してますが、一つ目はまあまあ、二つ目は超胸クソ注意です。

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日本が歩んできた軌跡をまた歩む「菊と刀」(ルース・ベネディクト)


本の話に入る前に、私が日本に旅行に行ったときのことを話してみる。
私は休暇を迎えて、生まれて初めて大韓民国の領土を離れて、隣国へ旅行に行った。
日本。
今まで日本の話をたくさん聞いてきたし、私たちと日本が経験してきた歴史についても学んだ。
しかし、直接目で日本を見るのは初めてだった。
到着して初めて会った日本の第一印象は、清潔で、静かで、友好的な姿だった。
生まれ育った場所が大韓民国だから、私は韓国と日本を比較するしかなかったが、日本の道路は韓国の道路に比べてきれいだし、日本人は韓国人に比べて非常に静かだった。
階段を上がったり並ぶときは、必ず列を作っていた。
むやみにごみを捨てたり、路上でタバコを吸う人は、なかなか見つけられなかった。 

私は「日本人は幼い頃から、他人に害を及ぼす行動をしてはならないという教育を受けて育つ」という言葉を聞いた記憶を思い浮かべた。
だから日本人は、他人に害を及ぼす行動をしないのはもちろん、他人が自分のせいで少しでも不快感を感じないようにと常に気をもんでいるのだ。
実際、日本の地下鉄の中は水を打ったように静かだったし、人々は道を歩きながら、他人にぶつからないように注意して歩いていた。
私は気になった。
これだけ親切で、他人との関係ではまるで怖気づいたかのような行動をとる人々が、どうして帝国主義の野望に染まって植民地の国に、あんなふうに残酷になれたのだろう?
日本人が持つこのような二面性は、どこに起因しており、この二面性はどこに基準を置いて別々に作動するのだろうか?

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ルース・ベネディクトの本「菊と刀」も、こういった疑問から出発した本である。
太平洋戦争の最中の1944年6月当時、米国務省は、戦争が米国に有利になっていく状況の中でも、自分の予想とは全く異なる動きをする日本軍に大きく戸惑っていた。
全滅が確実な状況の中でも、天皇万歳を叫んで敵陣に突進する兵士たちの無謀なほどの積極的な姿と、自分の主君と家族のために命を尽くす献身的な姿は、西洋人の目には全く意味が分からない民族性であった。
そして米国務省は、コロンビア大学で人類学を専攻していたルース・ベネディクトに、日本人と日本文化の著書を執筆することを委嘱した。
戦時状況の中で著者は、日本に直接訪問することはなかったが、彼女はそういう日本に対する研究著書を、1946年に出版するに至る。 

ルース・ベネディクトは、米国に居住する日本人移住者とのインタビュー、米国内の日本学研究者との協力、映画や文献を通じた資料の調査で、日本について研究した。 
「文化人類学者として私は、どんなに平凡で隔絶のある行動であっても、他の行動と組織的に連携させることができると確信していた。」(35ページ)

彼女が最初に発見したのは、日本人が持つ特有の構造的な階層意識だった。
古代から日本はいわゆる「天皇」を頂点に置いて、その下に将軍、大名、武士、庶民、賤民などの身分が存在する社会制度を確立していて、20世紀初頭まで続いてきた。
もちろん1868年の明治維新を介して将軍の身分階層が消えたものの、日本人に階層意識はしっかりとあった。
そして、その階層意識に起因した正名論に基づいて、自分の身分にふさわしい生活を送った。
「万物はそれぞれ自分がいるべき場所にいなければならない」という意識だった。
そして、その階層や身分の構造の中で、頂点に位置する天皇は、無視することのできない力を持っていた。 

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ルース・ベネディクト 


こんなふうに、先天的に帰属される身分構造で社会を構成した国は、日本以外でも簡単に見つけることができる。
インドのカースト(caste)制度が代表的である。
しかし日本の身分構造は、他の国とは区別されるもう一つの特性が存在する。
それがまさに「恩」と「忠」、そして「義理」の存在である。 

ルース・ベネディクトによると、「恩」は簡単に言うと債務意識である。
日本人は他人に世話になったり、他人の好意を受けたときはもちろんのこと、生まれた瞬間から自分は「恩」を受けていると考えており、数式で等号の両側が同じ値でなければならないように、受けた「恩」を完全に返さなければならないと考えるということである。
そしてこの「恩」は、上の人が下の人に恩恵的に下賜する概念である。
この「恩」は、子が親に受けた恩もあるし、子孫が先祖から受けた恵みもあるし、民が天皇に受けた恵みでもある。
日本人はこの「恩」を返すことがものすごく負担なので、他人に「恩」を受けること自体を嫌がる傾向を示すこともあるという。

「日本人は、教師や主人の『恩』にも応えようとする。彼らは世界をよりよく生きていけるように、自分の成長を助けてくれた恩人だからである。したがって彼らが困難に直面したとき、助けの手を差し伸べるし、彼らが他界すれば、残った家族を守らなければならない。日本人は「恩」に応え、「義務」を果たすため、最善を尽くさなければならず、歳月が流れたからといって、その義務が減ったり消えることはない。むしろ時間が経つにつれて、雪だるま式に増えるのである。」(164ページ) 

特に天皇から受ける「恩」は「皇恩」として、これがストレートに「忠」へと接続されている。
明治維新直後の日本の首脳部は、民の「忠」を「天皇」へと帰すため、不断の努力を傾けた。
日本の一般的な行政管理の面で、「忠」は、死から納税に至るまで、すべてのことを制約した。
日本の収税院、警察、地方の官吏は、すべての臣民が天皇に「忠」を捧げるよう仲介者の役割をした。
法律を遵守することは、日本人が「皇恩」に報いる道であった​​。 

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こういった日本人の「忠」は、日帝が敗亡した後、アメリカの占領軍が日本本土に入ってくる中でも、民が全く反抗せず、むしろ米軍を受け入れた事実を説明できる一つの原因になる。
天皇が放送を介して降伏を宣言し、敗北を認めたからだった。
民は「忠」に基づいて、戦闘を一斉に放棄するのだ。 
 
「天皇が降伏を宣言すると、戦争は驚くべきことに、一瞬にして終わってしまった。天皇の降伏調書が正式に放送されるまでは、強硬な降伏反対論者が皇居の周りを取り囲み、停戦宣言を阻止しようとしていたが、ひとたび天皇の調書が宣言されると、すべての日本人がその決定に無条件に服従したのだ。…さらに、日本の飛行場に着陸した米軍が、日本人の丁寧な歓迎を受けたほどだった。」(203ページ)

「恩」と「忠」とは別に、日本人の文化の中にだけある「義理」もある。
この「義理」は、社会への義理と名誉への義理に二分化される。
社会への義理は、自分の職分に合わせて生活を導き、社会と家族のために責任意識を持ち、彼らに献身することをいう。
社会への義理が人類の普遍的感情だとしたら、名誉への義理はユニークである。
自身に恥や侮辱を与えた相手に必ず仕返しをし、その侮辱を拭う行為をもって、名誉への義理を守るということだ。
本で紹介されたいくつかの例を見ると、米国の宣教師に侮辱を受けた日本の少年が、切歯腐心(*悔しがる)して米国で成功した話や、「47人の侍」という名前で有名な話も出てくる。 

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こういった日本人たちの根深い感情は、彼らが楽しんで読んでいた物語からも調べることができる。
西洋人たちの物語や小説では、「善と悪の対決」が主に使われるが、日本人は「善と悪の対決」には関心がない。
日本人は「義理と忠義の対決」「義理と人情の対決」「義理と義理の対決」などが物語の素材となるのである。
代表的な話としては、自分の主君である大名に将軍を斬れという命令を受けた舞踊家の話だ。
舞踊家は、自分の主君と将軍のどちらに「忠」を捧げるべきか悩む。
結局舞踊家は将軍を選び、自らは崩れる建物の中で大名と一緒に死ぬのだ。
より大きな義理のため、小さな義理を捨てたのだ。

「菊と刀」という本の名前も、このようなことから由来したものである。
日本民族の魂の奥深くに隠れている全く別の特徴。
著者が表現したように、日本人は礼儀正しくて従順で控え目だが、荒くて未開で、菊を栽培することに深く傾倒して美しさを追求しつつ、しかし武士道と剣の名誉にも執着する。
「恩」と「忠」、「義理」のようないくつかの感情が、相互に衝突しながら醸し出す二面性である。 

ルース・ベネディクトは、このような日本人の感情を西洋人たちの感情と区別するために、「罪の文化」と「恥の文化」という概念を使った。
罪の文化は自分の罪悪感が先行している要素であるのに対して、恥の文化は他人の視線が強制力として作用し、先行するという説明である。
このうち日本人は、恥の文化に属している民族とされ、これが「恩」や「忠」、そして「義理」という感情を発現させるきっかけとなった。
「恥は日本人の生活の中で、重要な意義を占めている。恥を真剣に考える部族や民族がそうであるように、日本人も自分に対する他人の評価に気を使う。日本人は他人の判断を推測し、その判断に基づいて自分の行動を調整する。」(329ページ)

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△名誉の回復のために時には切腹を選択する場合もあった。 


著者は、これら恥の文化が定着したのは、子供の頃から受けてきた教育の影響が大きいと分析した。
西洋の場合、幼児の頃、親は子供に生活に適応できる訓練をさせることを中心に育児を行うが、日本は慎重に自制と、そして世人の期待に応えることを教育する。
日本人にとって生活の基準は善と悪ではなく、世の期待となってしまうのである。 
「菊と刀」は最後の章に入って、結論として「日本はどうしてあんなふうに他の国を侵略し、降伏後どうしてあんなにすぐに占領軍への敵意をなくし、迅速に適応することができたのか」を説明する。 

「プライドを守って自重する人にとっては、生活の基準は「善」と「悪」ではなく、世人の「期待に応えるのか」あるいは「期待に応えないのか」である。彼らは集団の「期待」に応えるために個人的な要求を放棄するのだ。このような人こそ「恥を知る」慎重かつ善良な人であり、自分の家、故郷、祖国の名誉をより一層輝かせることができる人である。ここから派生した緊張感は、水位が非常に高くて、日本を東洋の指導者であり、世界強国にするという巨大な野望として表出した。」(425~426ページ)

「降伏後五日目、米軍が日本に上陸する前に、東京の有力日刊紙『毎日新聞』は、敗戦がもたらす政治的変化について大々的に報道した。社説は、『しかし敗戦は、最終的に日本を救うことなので、日本人にとって悪いことばかりではない』と書かれていた。」(441ページ)

結局「恩」と「忠」、「義理」などの感情を発現させた「恥の文化」が、菊と刀のように相反する「膨張主義の野望」と「名誉ある世界の一員になろうという欲望」として現われることになったのだ。

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前にも話したように、ルース・ベネディクトの「菊と刀」には限界が存在する。
著者が戦時という状況下で、日本への訪問ができなかった点である。
直接その国の慣習や風土を体験してみないで、文献や居住経験者の証言で本を作ったので、物足りなさが残る。
しかし著者は日本社会を、政治構造、社会階層、遊興、処世術、子供の教育など、さまざまな領域に分類して分析し、整然とした論理でその結果を記述した。
たとえ本の執筆の動機が、侵略のための戦略情報という名分で起草されていたものだとしても、著者は執拗なまでに日本文化について掘り下げているのである。

日本民族の血に流れる普遍的な特性を見つけるためのルース・ベネディクトの努力は、本のいたるところで発見できる。
日本人移民が子供の頃に経験したエピソードから始まって、日本で有名な文学や音楽に至るまで。
戦争が終わった後にこの本が翻訳されて、日本に紹介されると、日本人たちの大きな関心を呼び起こしたという事実も、決して偶然ではないだろう。
ただし、西洋人の視点から日本人を見て、それを再び西洋人に伝えなければならないという難点があったので、本のいくつかの説明は難解で曖昧だったのは残念だ。

やや退屈な本という世間の評とは異なって、私にはかなり刺激的だった本『菊と刀』。
この本の始まりは、米国務省の戦略資料だったが、今に至れば『菊と刀』が持つ意義は大変大きい。
つまり、日本文化に慣れていない人にとっては慣れない可能性のある本だが、第二次世界大戦終盤のアメリカ人の視点から見た東洋のある特異な国の話は、今日の日本を研究したり、日本に対して関心ある人にとって、大きな宝物であることに間違いはないだろう。

(キム・ジョンソク『日本政治論』授業の課題)

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引用ソース
http://swordsoul8.egloos.com/2774592

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菊と刀、日本の二重性 


太平洋戦争の終わり頃、米軍は日本軍の心理を理解することができなかった。
戦闘中は残らず死を覚悟して戦っていたのに、捕虜になった後は味方を徹底的に裏切る日本軍の豹変を、理解することができなかった。
米国務省の要請で書いた日本文化レポートが、ルース・ベネディクトの「菊と刀」である。 

「菊」は、お茶を飲むにも「道」を云々する日本人の繊細な美的世界を象徴している。
一方「刀」は、残酷に相手を破壊する未開な行動を意味する。
「菊と刀」という矛盾したタイトルの中に、日本人の二重性がよく含まれている。
いわれてみれば、胸の内(本音)と外側の表情(建前)が違うということは、日本人も自分たちの特性として認識しているところだ。
ただし、「奸慝」という悪い言葉の漢字である「慝」が、「匿(*隠れる)」と「心」が合わさった文字であるように、韓国や中国では、表と裏が違う二重性を卑劣なものだと考えている。 

人の言葉には一貫性があるからこそ、信頼ができ、お互いに信じあうことができる。
状況に応じて言葉が変われば、それは人の「言葉」ではなく、獣が出す「音」に過ぎない。
言葉であって言葉ではないのだ。
信頼を意味する漢字の「信」は、「人」と「言」で作られているのも、そういう理由なのだ。
だから日本人の二重性は、アメリカ人には理解しにくい程度で終わるのかも知れないが、仕方なく隣接して生きなければならない東アジア人にとって、普通は耐え難いことなのである。

最近日本国の安倍首相が、相次いで「妄言」を言っている。
一昨日は「侵略の定義は見方によって違う」、昨日はまた「どのような脅威にも屈してはいけない」と靖国神社を参拝した閣僚たちの行為を擁護した。
侵略が見方に依存するなら、侵略によって恩恵があるということだ。
いわゆる西洋化、近代化を成し遂げてあげる「ために」自ら朝鮮と中国にお出ましになったという意味だ。
まったく理解できない日本人の特性の一つは、二重性でも面従腹背でもなく、自分たちだけで通じる話を隣国や他の民族にまで適用しようとするという点にある。
そうして「お前のためにした」といい、まるで恩恵を施したかのように行動するのは、可哀想で見るに忍びない。

米国のペリー提督に開港させられたときは、一日も早く西洋化しようとして、脱亜入欧「アジアを脱してヨーロッパになろう」とし、不利になれば鬼畜米英「鬼と獣のようなアメリカとイギリスの奴ら」を殲滅する聖戦をしようとし、少年たちまで連れて行って死に追いやったのが、日本の現代史だ。
日露戦争から太平洋戦争にいたるまで、野を骨の山にし、島を人の血で染めておいて、戦没者の霊を慰めるといって急造したのが靖国神社であった​。
自分たちの民だけではなく、大東亜「大きな東アジア」と隣国の人間まで連れて行って殺しておいて、「国のために死んだ魂を慰める」と言うのだ。 

「恥のない者は獣」と孟子は言った。
時によって言葉を変えて、違う言葉を言いながらも、恥ずかしさを感じないのは人ではないという意味である。
原則と信頼がなければ、付き合うのは不可能である。
これを儒教文化圏では義と呼んでいて、孟子が特に重視した交わりの原則であった​​。
そういえば、日本は一度も儒教の国であったことがない。
それどころか、唯一孟子を嫌っていたのだ。
「孟子の本を積んでいく船は沈没する」ということわざがあるほどだった。 

日本が孟子を嫌いになったのは、実は深い本音がある。
易姓革命を当然視する孟子の政治哲学が口に合わなかったからである。
明治時代以降、日本は2000年の同じ血筋の王を祀ることを光栄に思っていて、また、千年万年ずっと続けようといいながら、万世一系を唱えた。
だから孟子の「暴君は当然処罰されるべきで、暴君は王ではなく、単なる一夫に過ぎない」とう言葉を嫌うしかなかったのであろう。 

革命を一度もしなかった人が、どうして民主主義を実現することができるか。
「菊と刀」の著者も、この点を指摘した。
「日本人は私益の追求や不正に対して反抗する事はあるが、決して革命家にはならない。彼らは世界の組織を破壊しようとしない。彼らは革命的な人ではない。」

しかし、「菊と刀」の二重性には一貫した何かがある。
簡潔に言えば、力強い者に追従する勢力の原理が良いということだ。
力の強い者が君臨すれば、すぐに尾を下げて忠誠を捧げるということだ。
これは、一見矛盾して見える「菊」と「刀」を一点でつなげる「和」の原理だ。
ただし常識的な人は、こんな原理を「犬の倫理」と呼ぶ。(ワタナベヒロシ東京大学教授) 

帝国主義時代「少年兵学校」を素材にした日本の軍歌は優しいメロディーでこう歌う。
「桜の花のように咲いて、桜の花のように散ろう」と。
そうして「死んだ後に靖国神社で会おう」と。
死にすら美学を発見する者たちの驚くべき軍歌だ。
自国民をあんなに殺しておいて、国のために死んだなどと「風変わりな視点」で見ているから、他の国に対して何を言おうがどうしようもないのかと思うこともある。
しかし桜は既に散ったし、春は行ったのだ。

<ペ・ビョンサム/ヨンサン大教授・政治思想>
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引用ソース
 http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=004&oid=032&aid=0002331119

*非常に韓国人らしいコラムですね。
物の見方が、あまりにもぺらい。

 
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>>質問です。 
日本語、ハングル両方通じてるみずきさんは、 
本件とか、両言語の長短どう感じているのでしょうかね?


ハングルはよくひらがなって言われるけど、もっと正確にいうと、ローマ字です。
文字打ちは日本より韓国のほうがはやい。
ただ、読むのは日本のほうがはやい。
靴を脱ぐとき、車を駐車するとき、トイレットペーパーがなくなったときなどを考えてください。

ハングルは、そのまま脱いでそのまま入る。
日本の文字は、くるっとひっくり返って、靴のかかとをこちら側に並べて入る。

ハングルは、そのまま駐車場所に頭からつっこむ。
日本の文字は、車のお尻から駐車場にとめる

ハングルは、トイレットペーパーがなくなってもそのまま。
日本の文字は、次の人のためにトイレットペーパーを補充しておく。

あくまでも私個人のイメージですが。笑
日本の場合、私たちはもう慣れててなんとも思ってないけど、入力段階での手間が相当ある文字だと思う。でもそれは、出力段階での利便性に繋がる。
どっちも長短がありますが、どっちも民族性にあった文字を使ってると思ってます。