「東海」を「韓国海」と呼ぼう
「Coreaの国号を回復すれば、独島・東海問題は解決する」

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「東海」を「韓国海」と呼ぼう

ドナルド・トランプ米国大統領が先月28日、日本横須賀の米国海軍基地を訪問し、演説で「日本海」に言及した。
これに国内メディアはみな批判的な記事を吐き出した。

韓国メディアがこれを問題にするとすぐ米国国務部は「米国政府は米国地名委員会(BGN)が決めた名称を使っており、BGNがその水域に承認した名称は『日本海』だ」と答えた。
バージニア州では日本海、東海併記を明文化したが、米国の公式立場はあくまでも「日本海」というのだ。 

私たちが「東海」名称に敏感に反応する理由はこの問題が独島(ドクト、日本名:竹島)領有権と関連すると考えるからだ。
しかし、これは冷静に確認してみなければならない。
「東海(East Sea)」という名称で国際社会を説得できるか。
基本的に「東西南北」の方位は相対的な概念だ。
私の東側は他の人の西側でありうる。
東海が韓半島の立場であっても「東側の海」であって、米国やヨーロッパの「東側の海」ではない。 

それで「海の名称」に「方位」を現わす言葉がつくケースは殆どない。
グーグルアース(Google Earth)を見ても「北海(North Sea)」しかない。
「北海」が公認されたのは英国が覇権国家で国際的規範を定めたためだ。
英国グリニッジ天文台が世界時間の基準点になったのと同じだ。 

北海を除いて「東西南北」がつくのは相対的な方位概念の時だ。
南太平洋、北太平洋、東シナ海のような場合だ。
中国は自ら「東海(East sea)」と呼ぶが、公式名称の「東シナ海(East China sea)」を問題にしない。
また私たちは西海(ソヘ)を「西海」と呼ぶが「黄河の海」を意味する「黄海(yellow sea)」という公認された名称を否定しない。
決して「東海」をあきらめようという意味ではない。 

「東海」の代わりに「韓国海(Korea Sea)」という名称で国際社会を説得しなければならない。 

この様な主張には歴史的正当性もある。
「日本海」が国際的に公認された名称になったのは1929年に国際水路機構(IHO)の決定に従ったものだ。
1929年は私たちが日本に植民支配を受けている時で当然、私たちに国際的な発言権がなかった。
だからこの決定を私たちは認定できず、日本海に対応する「韓国海」で対抗するのが妥当だ。 

1726年に出版されたジョナサン・スイフトの「ガリバー旅行記」第3部は「空飛ぶ島の国」での旅行記だ。
ガリバーがラピュタ、日本などから離れるが、第3部の最初のページに島国旅行地図が載っている。
地図に日本(Japon)があって、日本左側海の上にはSea of Corea、すなわち韓国海と書かれている。 

かなり以前から私たちが東海と呼ぶ海を外部世界では韓国海に呼んでいたということだ。
それでもロマンチックな名称「東海」が消えるわけではない。
公式名称ではないが、中国・ベトナム・インドは相変らず「東側の海」を東海と呼んでいる。 

引用ソース
https://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=110&oid=009&aid=0004367799


*ブレブレなんだよね。
もともとは「国名を海の名前にするのはおかしい!」という主張からはじまったこの運動、最近はすっかりそのことは忘れたようで。
「韓国海にしよう!」という主張は韓国人コメントでどんどん増えてきてるものなんだけどね。
むしろ説得力をなくすことに気づいてないのか。
いずれにせよ面白いのでこの運動は是非やってもらいたいです。





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「Coreaの国号を回復すれば、独島・東海問題は解決する」

「Coreaを使用すると、独島と東海問題は自然に解決できます!」

ニューヨークの民間史学家のキムテヨン(65)博士が、日帝残滓を清算するための最も基本的なことは国号を原状回復させることだと強調した。

キム博士は3.1節の朝、ニューシスとのインタビューで「韓国国号の起源は900年間アジア大陸を支配した『ガウリ』から始まった。ガウリは漢字でガ(高)ウ(句)リ(麗)、つまり高句麗だ」と紹介した。

ガウリは中世ヨーロッパのさまざまな文献で簡単に見つけることができる。
最初の韓国国号のラテン表記は1255年にフランスの宣教師ルがモンゴル王の即位式に出席し、ルイ9世に捧げたレポートに「支那(中国)の東にCaule(ガウリ)という国がある」と出てくる。

一方イタリアのマルコ・ポーロ(1254~1324)が元国で17年間留まって1292年に故郷に帰って出版した「東方見聞録」にも韓国はCauly(ガウリ)と表記された。

まさにこのCaule(Cauly)がCoreaの始まりということだ。

韓国の国号がCorea(あるいはCoree)として定着された記録は計り知れないほど多い。
いくつかの例を挙げると、1296年イタリア、1513年ポルトガルはもちろんのこと、1606年壬辰倭乱の時に捕えられた朝鮮少年の名前Antonio Coreaをはじめ、1594年のオランダ人の世界地図、1595年ポルトガルの地図、1705年にフランスの地図、1720年ドイツの世界地図、1851年イギリス人の東アジアの地図などすべてCoreaあるいはCoreeと記録している。

しかし日本は、1876年2月27日、日本の武力示威によって強圧的に締結した講和条約後、大韓帝国を植民地化するために、私たちの国号であるCoreaをKoreaに捏造しはじめた。

日帝が韓国の国号をCからKにした説得力のある主張としては、国際社会においてアルファベット順でJapanのJがCoreaのCよりも後部序列のため、日本の植民地であるCoreaが先にいるのは容認できなかったからというものがある。

1910年8月22日の韓日併合後、日本は一糸乱れずCoreaの代わりにKoreaを使用する。
それと共に韓国海(Sea of​​ Corea)を日本海(Sea of​​ Japan)と表記し始めた。
欧州の古地図は古いものほど「韓国海」表記が多く、Sea of​​ Corea、あるいはGulf of Coreaと表記する地図も存在した。

また日本海の論理の補完のため、独島を奪取するシナリオに入る。
島根県の漁師、中井養三郎を手先にして演劇を始めたのだ。
「1904年9月29日、中井養三郎から日本政府は独島を島根県に編入させてほしいという要請を受け、独島を島根県に所属させ、日本の領土に最初に編入させた」という主張だ。

日本はこのでたらめな演劇を合理化するために、1905年1月28日、日本内閣が独島を「竹島」という名称に変え、島根県の管轄に指定することを議決し、1905年2月22日の島根県告示第40号を出して独島領有権主張の根拠とした。

残念ながら解放後、日本が歪曲した歴史をすぐに正さなかった結果、独島と東海が日本のものという無理な主張が続いている。
キム博士は「日本人は言葉に霊的な力があり、言ったことが実現するという『言霊』の思想を固く信じている民族である。このような思想で武装した日本人たちだから、竹島と日本海を執拗に主張するのだろう」と指摘した。

キム博士は去る2012年に出版した「東夷倍達韓民族史」でもCorea国号回復の正当性を論理整然と主張している。

キム博士は「この本は現存するすべての歴史資料をもとにして、地名を見つけることに心血を注いだ」とし「日本が歪曲捏造抹殺した植民史学の奴隷になった講壇史学が解放70年過ぎても正しい民族史に帰らないので、志のある多くの人々が在野で民族史を明らかにするために奮闘している」と伝えた。

キム博士は「日帝が捏造、歪曲、操作したすべての歴史、政治、制度、言語、文化、生活習慣、風習の名残を所定の位置に戻す民族的な運動が展開されなければならない。そのはじまりがまさに韓国のローマ字国号のKoreaをCorea戻すこと」と強調した。

彼は「1250年代から世界の人々が使っていた私たちの国号Coreaに戻し、東海(East Sea)も韓国海(Sea of​​ Corea)と呼ぼう。独島は韓国海(Sea of​​ Corea)の中にある私たちのユニークな領土だ。これ以上話す必要もない」と力説した。

引用ソース
https://news.v.daum.net/v/20150302095306378



*病気。