[イムンヨンの歴史ファクトチェック]消えない「鉄杭怪談」の起源と類型②

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昨日の記事(【韓国の反応】「日本が『風水侵略』をしたという話を信じ、軍隊を動員してまで山々の鉄の杭を探して抜いてまわっていた韓国という国」)の続きです。
韓国において今、「日帝の呪いの杭伝説」は下火になってます。(ただし「朝鮮人の精気を奪うために日帝が○○をした」という話そのものは、ありとあらゆる過去の事象においてまだまだ元気に健在してます)
昨日の記事の段階ですでに「知る人はみんな嘘だと知っていた」なわけで、それで下火になっていくのかと思いきや、なんと、ここからさらに狂気の燃え広がりを見せるんです。
2002年の日韓ワールドカップの後も、ヨン様ブームの後も、ほんの10年前まで韓国は「日帝の呪いの杭」を必死こいて抜いてたんえす。



[イムンヨンの歴史ファクトチェック]消えない「鉄杭怪談」の起源と類型②

なんでもかんでも日帝の鉄の杭になる

しかし、このような記事が出てきたにもかかわらず、鉄の杭ブームは眠らなかった。
1995年の国政監査では、昌慶宮岩で鉄の杭が発見されたので、徹底的に調査するようにという主張が出てきたし、全羅北道金堤では城山展望台を立てる計画が、「民族の精気を壊す」という理由で市民団体が反対した。

1997年にも蔚山の大王岩公園に鉄の杭があるという主張が出てきたし、1998年3月には仁川放送で「日本の風水侵略への対処をしなければ」など引き続き問題提起がなされ、2000年に鉄の杭が引きぬかれた。
このようなことに鼓舞されたのか、2010年には蔚山大王岩に日帝の鉄の杭が打ち込まれているという記事が出た。

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2010年に日帝の鉄の杭が打ち込まれているとされた蔚山大王岩


当時の報道写真を見ても、鉄の杭ではないことがわかる。
何であれ、打ち込まれているものを発見したら、「民族の精気を毀損するもの」へと変身するのだ。
これについて、ソユンナ民族精気宣揚委員会委員長に助言を求めた結果、「これは日帝が我が国の意欲を失わせるために鉄の杭を打ち込んだものと推定される」との回答を受けた。
そしてその結果、これの除去作業をした。
しかし実際は、これは木材の電柱だった。
1960年代に軍事地域に建てられたもので、歳月が過ぎて黒くなっただけのものだった。

1999年には李会昌ハンナラ党総裁と李舜臣将軍の親の墓から鉄の杭が発見されて話題となった。
これは巫女が息子の病気が治ると考えてやったもので、日本とは何の関係もなかったが、結果的には「鉄の杭を打ち込めば精気が毀損される」という迷信が韓国内に広く知られるという結果を生んだ。
犯人は新羅王陵にも鉄の杭を置いていて、そのために全国各地で墓を確認する騒動が起きた。
1999年に東海市は30万ウォンの補償金を支給して、鉄の杭を探す作業に乗り出したが発見できなかった。
鶏龍山の通信鉄塔は、鉄杭のために精気が壊れると主張されて移転された。

このような現象を批判する本が1999年6月に出た。
歴史学者のイイファが書いた本「イイファの歴史風俗紀行」(歴史批評)である。
この本の中でイイファは、「日本の風水侵略という鉄の杭は、単なる測定に使用された杭である」として批判した。

メディアによって拡大再生産された「鉄の杭怪談」

しかし、それでも鉄の杭信者たちはびくともしなかった。
1999年<新東亜> 8月号で、ソユンナが、「鉄の杭は日本の司令官だったヤマシタ・トモユキが打ち込んだもので、彼の通訳だったシンセウの息子のシンドンシクから聞いた」という主張をした。
シンセウは戦犯裁判においてヤマシタの弁護をしたため、銃殺刑が絞首刑に減刑されたし、だからヤマシタはシンセウに感謝して、朝鮮の山や川に鉄の杭を打ち込んだことを打ち明けたという。
これについては、2005年月刊「言葉」でキムジェジュン記者が「発掘/日帝が打ち込んだ鉄の杭はない -理性を麻痺させた集団催眠の呪術、鉄の杭」という記事の中で反論している。

2001年にはピカデリー劇場の再建現場で発見された鉄の杭7つが、日帝が民族の精気を抹殺するために打ち込んだものと報道された。
根拠もないが、「劇場の敷地にまで鉄の杭を打ち込んだ日本の蛮行」ということになった。
北漢山でまた3つの鉄の杭を抜いたという記事が出た。

2004年には鉄の杭を除去する団体が江華島の山で見つかった鉄の杭を調査した。
当時の管理事務所のスタッフは、1978年度に階段工事をするとき打ち込んだものだと証言したが、その証言は認められなかった。
鉄の杭の由来を話しても、信じたくなければ信じないのだ。

2005年5月13日、ハンギョレ新聞は、キルユンヒョン記者が「鉄の杭に興奮しないようにしましょう」というコラムを載せて、非理性的な鉄の杭騒動を批判した。
当時チョンヤギョンの墓から鉄の杭が10個出てきて、「日帝の鉄の杭だ!」と大騒ぎしていた韓国マスコミに対する苦言だった。
宗親会はこれは巫女がやったことだと証言したが、マスコミは日帝がやったことと言って大騒ぎしていたのである。
李舜臣将軍の親の墓の事件の時は日本の仕業という話が出てこなかったが、この時は日本の仕業ということにされ、さらに広く鉄の杭伝説が広がっていった。

2005年10月24日にはSBSニュースが、28日にはKBSニュースが、南漢山城で発見された鉄の杭の話をした。
KBSのアンカーは鉄の杭を持ちながら日本の蛮行を糾弾した。
「鉄の杭除去の日」を作ろうという読者投稿が世界日報に掲載された。

鉄の杭を打ち込んだ人はヤマシタ陸軍大将?

2005年12月の月間<言葉>でキムジェジュン記者が「発掘/日帝が打ち込んだ鉄の杭はない -理性を麻痺させた集団催眠の呪術、鉄の杭」という記事を掲載した。
<月刊朝鮮>の記事から10年目にして、今度は進歩陣営のメディアが鉄の杭の問題を扱った。
ここでソユンナが主張していたヤマシタ陸軍大将の件は論破された。
ヤマシタの通訳はカバモトという日本人であり、戦犯裁判における銃殺刑の話などもすべてがでたらめだった。

ヤマシタは1936年の2.26クーデターに共鳴したとして朝鮮の龍山に駐留していた40旅団長に左遷された。
ヤマシタは37年に日中戦争が起きるとすぐに出征した。
つまり、左遷されて朝鮮にやってきたヤマシタは1年余りしか朝鮮におらず、その間に365カ所に鉄の杭の打ち込み作業を完了させたというあまりにも荒唐無稽な物語だったのである。

ソユンナは、鉄の杭の炭素年代を測定した結果、3万年と出ていて、これは石炭を使用した証拠であり、日本植民地時代に韓国は炭を使用していたが、日本は石炭を使用して鉄を製錬していたので、日本人が鉄の杭を打ち込んだことが証明されたという主張もしていた。
キムジェジュン記者はこの主張を検証するために、ソウル大AMS研究室ユンミンヨン博士とインタビューを行った。
ここでユンミンヨン博士はこう言った。

「2001年ごろにそのような依頼を受けたことはありますが、年代の測定をすることはできませんでした。炭素を抽出して年代を測定しようとしたところ、当時の鉄杭は軟鉄で、炭素量が極めて少なかったからです。事実、最近工業的に製鋼された鉄、つまり化石燃料を使用して作られた鉄は、炭素年代測定がほぼ不可能です。(中略)現在までに知られている方法で、該当の鉄の杭が日帝時代に作られたものか、その後に作られたものかを区別できる可能性は皆無に等しい。」

キム記者は南漢山城の鉄の杭でも現場取材をした。
ここの住民たちが日帝の鉄の杭の呪いについてたくさん証言しているという話があったからだ。
しかし、聞き込みをしてまわっても、住民たちはそういう話を知らなかった。

しかし、その後も鉄の杭を抜いて日本を断罪する行為は止まらなかった。
麗水で、原州雉岳山で、奉化清涼山で、瑞山トビ山で、日帝の鉄の杭を抜いたという記事が絶えず出てきた。
このような迷信は、以下のように積極的に報道された。

KBS 2011年11月19日
「日帝の鉄の杭、北朝鮮の山でも大量に発見される」



鉄の杭怪談の起源は朝鮮にさかのぼる

鉄の杭怪談の起源は<朝鮮王朝実録>太宗実録 6年7月16日付記事で見つけることができる。

羅州に仏像を貰いに行ったファンオムが、全羅道珍ウォンヒョン(今の全南長城郡)を通り過ぎて、そこの神霊な百枝樹に銅の釘を刺した。随行していた役人がそれに気づき、銅の釘を抜いた。
この話が示すように、鉄の杭の話に似たような話が既に記録されている。
木に銅の釘を刺すという話は後代になって崖に穴を掘ったという話に誇張されて「東国輿地勝覧」に載っている。

鉄の杭怪談は壬辰倭乱の時の話にも登場する。
1934年に採録された話をしよう。

壬辰倭乱の時、日本軍が慶尚道に来てしばらくそこにとどまっていたが、日本軍に地師があり、そこの山を調べてみると、朝鮮から多くの人材が出て朝鮮が興起するような様子を見せていた。だから日本軍は、この山の精気を殺す目的で大きな鉄杭を打ち込んで、その山の活気を殺した。そのせいでその地域から優秀な人材が出なくなったし、その周辺の村からも優秀な人材が出なくなった。

これだけではない。
朝鮮の改革の君主と呼ばれる正祖も以下のような言葉を語ったことがある。
1797年に正祖がイビョンモ(1742〜1806)と交わした会話だ。

「最近は優秀な人材がますます出なくなった。明の徐師昊が我が国にやって来て山川を見て、天子の気運がある山川に5本の鉄杭を打ち込んだ。優秀な人材が出なくなったのはそのせいである」

結局韓国に伝わっていたこのような伝説が日本の植民地時代とかみ合って、鉄杭怪談として復活したものである。

人材がいない理由は、人材を養成していない社会のせいだ。
鉄の杭のせいにすれば気分は楽だろう。
しかし、日帝が打ち込んだと信じ、それが民族の精気を毀損すると信じるその愚かさこそ嘲笑を受けるものである。
もし本当に日本がそのようなことをしたとすれば、私たちは大爆笑すればいいだけで、抜くためにお金を一銭も使う必要などない。

引用ソース
http://www.newstof.com/news/articleView.html?idxno=1484






*慰安婦のファクトチェックもこのぐらいきちんと進めばねえ・・・