非難されるようなこともないグループのメンバーの「日本年号」文

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非難されるようなこともないグループのメンバーの「日本年号」文

「平成生まれとして、平成が終わるのはどこかさみしいけど、平成お疲れ様でした!令和という新しいスタートに向けて、平成最後の今日はスッキリした1日にしましょう!」

人気アイドルTWICEの日本人メンバーのサナがソーシャルメディアに投稿したこの文は、1日と2日にポータルサイトと芸能のニュース欄を埋め尽くした。
論争のきっかけは「平成」「令和」という年号の使用だった。
数多くの主張があった。

平成、令和。
日本の年号の使用は、私たちには見慣れない。
生まれて一度も経験したことないので、それがどの程度の位相なのか全く感じをつかむことができない。
だから、読みたいように読む人が出てくるのも理解できないことではない。

しかし日本人にとって年号は、日常的な時代区分法である。
日本の芸能界でも「平成最高の曲」とか「平成最高の芸能人」のような世論調査の結果があふれ出た。
同一視することはできないが、「90年代を席巻した歌」を見る私たちの感情に近いものを日本人も感じる。

日本の芸能人は5月1日になる前の数日間、「令和」を歓迎するというソーシャルメディアの投稿を上げていた。
時代の流れの中で希望を語ったのだ。
年配の芸能人から10代の芸能人まで、性別や年齢を問わなかった。
まるで20世紀から21世紀に進むような感じだった。
年号の使用は、私たちには見慣れないが、日本人には日常である。

日本が年号を使用するのは、軍国主義や帝国主義ではないかという話については、専門家が既に言い尽くした。
私たちの不幸な歴史と無関係だということが明らかになったので、立場や態度を改めればよい。
どうしようもなく民族的感情がわき上がったものであり、知らなかったからこその間違いである。
それなら大丈夫である。

しかし、それとは違う理由がある。
「韓国市場でお金を稼いでいるのだから、(私の)顔色を見なさい」というものだ。
K-POPのパイが大きくなり、その中に外国人が増えたことによって新しく登場した「基準」である。

これは「甲の横暴」に発展する可能性が高い。
生計の問題を盾に人を振り回すのが「甲の横暴」である。
また文化の所有権を主張する態度である。
文化は誰でも享受することができる。
それが文化なのに、私が気に入るようにしてこそ認めてあげるという考え方である。
誰よりも世界の中のK-POPを誇りに思いながら、これは二重基準である。

日本と関連した葛藤は、少しの露出でも問題が大きくなる。
波及力が強力な文化部門ではなおさらだ。
葛藤が発生した場合、公正な議論の結果を受け入れればいいのに、してはならない主張をしてまで言い張る。

そんな反応は日本語に翻訳されて輸出される。
これが反韓感情を強化し、再び韓国に輸入されて反日感情を量産する。
無限に繰り返される悪循環だ。
その狭間で両国での文化を伝播して享受している人々の立地は狭くなる。

今この瞬間も、韓国文化は日本に行ってファンに会う。
かれらの間には他の感情はない。
お互いに申し訳ありませんと言えばいいだけだ。
もちろんとんでもない主張をする日本政府に対しては断固とするべきだが、敵を増やすことに同意するのは難しい。

引用ソース
http://www.vop.co.kr/A00001404780.html





*結論部分とかを読むと「やっぱ韓国人だな」って感じですが、


>>しかし、それとは違う理由がある。
「韓国市場でお金を稼いでいるのだから、(私の)顔色を見なさい」というものだ。
K-POPのパイが大きくなり、その中に外国人が増えたことによって新しく登場した「基準」である。
これは「甲の横暴」に発展する可能性が高い。


↑この部分は重要なポイントだと思います。
なにをどう説明しようが、結局はルールは「甲」が決めるものという意識ね。
「甲」なら論理など無視していいんです。

韓国が常に日本に対してマウンティングしている理由でもある。
日本がどういう説明しようが韓国が納得しない理由でもある。
韓国は日本の「甲」になりたいし、ゆえに日本の説明に納得してはいけないんです。そんなもの無視して押し通してこそ「甲」になれる。
てか韓国はすでに日本の「甲」だと思ってるんだけど。

狼の生態とか調べれば分かるけど、マウンティングは日々のルーティン、確認作業です。昨日も今日も明日もやる。

韓国も、昨日も今日も明日も反日をする。確認作業は永遠。