趙甲済の「ヴォー・グエン・ザップ」の評価を見て、金鍾泌と許和平を思い出した

趙甲濟(チョ・ガプジェ)の超少数派サイトから太極党さんです。


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趙甲済の「ヴォー・グエン・ザップ」の評価を見て、金鍾泌と許和平を思い出した

太極党


去る2月末に趙甲済先生が書いた「ベトナム戦のヴォー・グエン・ザップ将軍(*ベトナムの軍人、政治家。救国の英雄とされる)の思い出」を読んだ。
色々なことを考えさせる良いコラムだった。
最後にふと、金鍾泌と許和平を思い出した。

ヴォー・グエン・ザップ将軍の回顧録を読んだ趙甲済先生は、彼がすべての功績を「ホー・チ・ミン(*元ベトナムの首相)の賢明な指導のおかげ」ということにしていると言った。
こういうヴォー・グエン・ザップの謙虚な態度のために、20世紀の最も偉大な戦略家の一人であるヴォー・グエン・ザップの戦史学的な研究が難しいという言葉も付け加えた。
これは、ヴォー・グエン・ザップは自分の戦果について語らないので、局地的な面での当時のベトナム軍の指揮・作戦情報を確保しにくいという意味でもある。
こういった面でも、ヴォー・グエン・ザップの沈黙は、世界の情報機関からの「ベトナムの保護」になっている感じである。

ヴォー・グエン・ザップの話を介して趙甲済先生は、ベトナム戦争でなぜ米国が敗れたのかについての中核を簡単に解説する。
13世紀にベトナム軍がモンゴル軍を防いだ秘訣を説明する部分での推理も興味深い。
当時強大だったモンゴル軍を撃破したのは、エジプトのマムルーク軍、日本の鎌倉幕府の武士と神風、そしてベトナム。この三国だけだった。
趙甲済先生は、この三国はすべてモンゴル系の民族だったという共通点があるとし、モンゴル軍を防げるのは、彼らの心理をよく知っているモンゴル民族だけという法則があるのかも知れないと言った。

趙甲済先生の説明を読んで、では代表的なモンゴル系の私たちの先祖は、なぜモンゴル軍を防げなかったのだろうと思った。
位置的要因、地形的要因、気候的要因が大きいだろうが、人間の問題もあるだろう。

趙甲済先生の指摘のとおり、ベトナム戦争の英雄ヴォー・グエン・ザップは、すべての功績をホー・チ・ミンに回す。
ホー・チ・ミンがかれらの文化や習慣やシステムの中で、道徳的で清廉で頼りがいがあって徳があったことは事実だが、ヴォー・グエン・ザップの人柄だって素晴らしいものである。
ヴォー・グエン・ザップの態度を見ていると、ベトナム民族の気質を考えさせる。
この問題を考えるうち、自然とモンゴル軍を防いだ(ただし自然の力で防いだものだが)日本民族の気質を考えることにつながった。

金鍾泌と許和平…
なぜこの点で、いきなり金鍾泌と許和平を思い出すのだろうか。
おそらく、彼らに対する認識、私たち民族に対する認識のためだろう。
この二人の功績や才能についての評価は様々である。
金鍾泌と許和平は、韓国の現代史においての影響力や階級的位置、社会的認知度の面で、階級差はあるが、どちらも人間的な魅力が相当あって、非常に有能で、その有能さを超えるほどの瞬発力と人文的教養がある。
人間的に交際すると大変面白い二人である。

しかし、私の主観的な評価だと、その二人は非常に自己中心的で利己的である。
英雄になる技量はあったが、経国の大業(*国を治めるための重大な事業であり、永久に朽ちることのない盛大な仕事)を成し遂げることはできない人物だと思う。
というか、この二人は韓国という国の気質を象徴的に表している二人だと思う。

許和平はまだ生存しているので、評価するには用心深さが必要だろう。
金鍾泌についてだが、彼の発言を総合すると、「朴正煕Company創立の最大出資者は私だ!」ということである。
5.16についても、金鍾泌は「実は私の作品」と言っている。
朴正煕政権の前半部の統治や成果についても、金鍾泌は「私が成し遂げた韓日国交正常化と情報部の創設と、これを積極的に活用した政局の運用があったから可能だった」言っている。
こういう金鍾泌の主張がどの程度正しいのか、それを判断する能力は私にはない。
「朴正熙- 金鍾泌」ラインについての歴史的評価は、人によって異なるものである。
ただし、こういうふうに自分を自慢する金鍾泌の思考や価値観は、ヴォー・グエン・ザップ将軍の謙虚さとはかなりの違いがある。
金鍾泌の姿は、まさに「韓民族の気質」である。

通常、ヒーローは自己中心的なものである。
自分が歴史であり、自分が世界の中心であり、自分が正義という気持ちを抱いている。
これを動力にして大業を成す。
では、金鍾泌はヴォー・グエン・ザップ将軍より英雄と言えるだろうか。
同じモンゴル系だが、ベトナムと日本の民族は、私たち韓民族とは気質が違うように見える。
ベトナムと日本の民族は、一人の英雄と共に歩んだことそのものに満足している人物が多くいる。
だからこそ彼らは、英雄を作り出すことを知っているし、その英雄を持ち上げる方法も知っている民族である。
英雄を作り、英雄を求心点にして大業を成し遂げる品性が内在している。
一方で韓国の歴史を振り返ると「英雄は、実際には私だった!」と言い出す人が多い。

朴正煕は、無名の数多くの声なき愛国者を英雄にしてくれたし、そういった愛国者たちは朴正煕を英雄として記憶している。
しかし、どこから始まった話なのか分からないが、「金鍾泌は朴正煕からが激しく牽制を受けていた」という噂をよく聞く。
主に知識層が、「朴正煕は独裁的で他人への猜疑心が強かったから」などと言っている。

世界各国の紙幣を見ると、現在の自分の国の英雄や建国の功労者を入れる場合がほとんどである。
韓国の紙幣には、大韓民国の人物はなくて、滅亡した朝鮮時代の人物だけだ。
さらに国難を乗り越えた将軍は一人もなくて学者だけである。
しかも「良妻賢母だった学者の母親」が、李舜臣のような英雄も抜いて5万ウォン札の中に座っている。
申師任堂が蒋英実より大きな功績があるのか。母子が貨幣で幅をきかせているのは何なのか。

「全斗煥政権」を非難する人たちはいても、チャンセドンの悪口を言う人は珍しい。
主君への忠誠が重要な封建主義的時代を振り返っても、韓国の歴史の中にはチャンセドンのような人物は珍しい。みんなガンジースタイルだ。
日本の歴史書には、チャンセドンのようなタイプの人物が多く登場する。
主君という概念が消えた現代になっても、ベトナムには指導者に功績を回すことを知っているヴォー・グエン・ザップがいて、日本には明治維新の志士を称える人々が多い。

歌手のキムセファンは、一歳年上の兄のユンヒョンジュが電話をしてくると、最近は必ずこう言うという。「セファンの兄だが…」
そう、韓国人には、関係ないときでも階級で自分の身分を明らかにする人々が多い。
「キム社長だ!」「パク教授だ!」など。
ただ「キムです」と言うのは難しいのか。
日本の場合、そういう通話をする場合は稀である。
必要な場合に「○○ 社の社長の○○です」という程度である。

紙幣にまで奴隷時代の支配層の祖母の顔を入れた韓国に、ヴォー・グエン・ザップよりも金鍾泌タイプの人物が多く存在するのは当然のことだ。
これは、階級闘争的に、「武」より「文」を優先するという価値観が、私たちに根強く埋め込まれているからである。
英雄を作ることを知らず、英雄を引き摺り下ろそうとする価値観から来たのだろう。

同じモンゴル系でありながら、儒教、漢字文化圏である日本民族に、韓国のような階級闘争的な価値観が根付かなかったのは、彼らの死生観が私たちとは違うからだろうと思う。
韓国民族と日本民族の死生観に違いがあるのは、韓国人には唯物論的価値観が根強く埋め込まれているからである。

すべてのことを物理中心に眺める唯物論的な思考は、構造的に物質を崇拝するようにするしかなく、これが法と道徳をないがしろにする最も大きな原因となる。
したがって「物質を警戒しなければならない」という論理が生じてしまう。
このような論理が定着すると、清貧が強調されすぎ、挙句の果てには誰が最も清貧であるかという名分が社会的な様々な勝負で「武器」として使われる。
これは最終的に「物質は悪」という偽善的な概念を持たせ、これが階級闘争的な思考につながっていく。
実在するすべてのものを物理的に見る唯物論では、人間がお互いの便宜のために作った機能的なもの、無形的なものですら物質とみなす。
階級闘争的思考は人間を感情的にする。

一方で、唯物論的な価値観から遠くなるほど、物質を快適に受け入れる。
これがむしろ、市場経済という概念を作るし、人々がそれに納得もできる。
日本民族に流れる死生観は、唯物論的なものとは遠く、一種の信仰心に近いもので、これは奇妙なことに、プロテスタントの教義と似た点が多い。
プロテスタントの教義で市場経済体制が胎動した点に照らしてみると、江戸時代の日本が封建主義的でありながら商工業が発達したことが理解しやすいようだ。

盧武鉉政権時、韓国のプロテスタント信者がイラクでISの前身である武装組織に拉致されたことがある。
布教目的でイラクに行ったと明らかにした彼は「生きたい」と叫んだ。
しかし斬首された。
非常に残念なことに、助けてほしいと言いながら死を迎えたのは、信仰的な側面からみると一種の裏切りだった。
死後に天国に行けるという教義を布教するなかでの死は殉教であり、助けてくれと叫ぶのは信者として適切ではない態度だからである。
人間の本能は死の前で超然とするのは難しいが…

これと対照されることもある。
2015年、いわゆるISによって斬首された日本人後藤健二。
彼は自分より先に拉致された日本人の取材をしようとして拉致された記者だった。
この日本人記者は助けてくれといわなかった。
むしろ死亡直前の後藤健二の映像を見て、瞬きをモールス符号にして「助けてはいけない」というメッセージを送ったという分析もある。
これについて「どうせ自分は死ぬので、日本政府が公然と出てはならないという記者の遺言」と見る人々が多い。
助けてはならないという声を叫べば斬首映像を公開されないという考えでそうしたものと見られている。

真実が何なのか知ることはできないが、助けてくれと哀願せずに死を迎えたのは、日本民族の固有の死生観に触れる側面がある。
このような死生観を感じさせる点はまだある。
後藤健二の遺族の態度である。
彼らは家族の惨事のとき、「このたび後藤健二が世の中を騒がせて大変申し訳ない。彼の釈放のために努力してくれた日本政府と各国政府、無事の帰還を願ってくれた国民に心から感謝する」という声明を出したのだ。
2007年にアフガニスタンで拉致された韓国国民の遺族が「政府に拉致過程の全貌を問い詰める!」と不満を示したものとは明らかに対照される。

ヴォー・グエン・ザップ将軍の謙遜が、一人の英雄を支える全体主義共産国家の姿を見せているものと見るのが難しい理由は、別れる時の趙甲済先生の問いに対する答えのためだった。
健康の秘訣は何なのかと聞かれると、ヴォー・グエン・ザップは「毎朝体操をすること、それから常に私ではなく他人のことを考えていることです」と答えた。
生が残り少ない老人の言葉には心が込められている。
他人のことを考えるというのは、言い換えると愛国心である。

ヴォー・グエン・ザップはホー・チ・ミンにすべての功績を回すことによってベトナムを一層団結させて自分の名を歴史に残している。
逆に5.16 の主体が自分だと暗に自慢してきた金鍾泌は、金大中政権を誕生させ、保守勢力の分裂のきっかけを提供した。
私たちの歴史は分裂の歴史と言っても過言ではない。
その点に照らしてみると、金鍾泌とヴォー・グエン・ザップの態度の違いは、私たちに示唆するところが大きい。

太極党

引用ソース
https://www.chogabje.com/toron/toron22/view.asp?idx=&id=156646&table=TNTRCGJ&sub_table=TNTR01CGJ&cPage=1





*おもしろい話ですね。

↓こっちも参考記事。