作られた近現代史…日帝時代「強制徴用」という神話②

メディアウォッチというサイトからイオヨン氏。

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作られた近現代史…日帝時代「強制徴用」という神話②

イオヨン

【韓国の反応】韓国人「『強制徴用』という神話を作ったのは在日朝鮮人の『朴慶植』をはじめとする1960年代以降の研究者である」の続き


「労務動員」は、基本的には自発的、あるいは日本への密航のツールとして活用されていた

明らかにしておかなければならない。
「徴用」以前の「募集」と「官斡旋」段階では、朝鮮人は「労務動員」に応じなくても日本政府はこれを法的に処罰しなかった。 
「強制」ではなかったのだ。

実際、「労務動員」と関連した仕事は、炭鉱など普通の人が避けるいわゆる3D業種が多かった。
「労務動員」当時、日本企業は募集員を朝鮮に派遣して、朝鮮総督府の行政組織をサポートしていた。

しかし、いくら官庁が介入したとしても、「労務動員」が持っている「個人の自発的選択」という名の属性は変わらない。
大韓民国も、政府次元でドイツに鉱夫をクウェート建設労働者として大量に送ったことがあるし、こういったことは海外での原発建設など今も続いている。これらを「強制徴用」と言うのか?

1939〜40年に韓半島に大きな不作があった。
これにより、日本企業が計画した人員の数倍以上の朝鮮人が「労務動員」に志願した。
「強制徴用」なら、そんなふうに志願者が数倍になるなんてありえない。

一方で「徴用」は、米空軍が韓日海峡を掌握した1945年3~4月ごろになると、事実上不可能になった。
だから比較的短期間だけ実施されていたものであり、日本に行った朝鮮人労働者72万4千人のうち徴用で行った人は10万人前後だろうと推定される。

要するに、1939年以降、日本に渡った朝鮮人すべてを「強制」動員された人々と見ることはできないし、日本による朝鮮人労務動員をひっくるめて「強制的だった」ということはできないというのが筆者の結論である。

「徴用」を含め、日本に行った朝鮮人たちは、何らかの労働をし、生活をしていた。
果たして悲惨でみじめなものだったのか。
朝鮮人労働者の労働環境の実体を確認するにおいて、念頭においておくべきことがある。
「脱出」「逃亡」である。 

当時の新聞をざっと眺めてみれば分かることだが、当時のほとんどの朝鮮青年は、産業や文化で先進していた日本に憧れていた。 

だから、それ以前はもちろんのこと、さらには「徴用」が実施されていたときも、高額の費用をかけ、小さな船を利用し、命をかけて日本に密航しようとする朝鮮人が多かった。
一部は成功したが、一部は玄界灘で死亡した。

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▲日本の北海道の炭鉱で、朝鮮人労働者に200〜300ウォンの大金を前払いして募集したという当時の東亜日報の記事。 記事には朝鮮人労働者が2年の契約期間という採用契約を破り、都市へと脱出し、建築雑夫などの仕事をしているという内容もある。

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▲日本に渡航しようとする朝鮮人たちが集まって釜山港が混雑しているというニュースを伝えている日本植民地時代の記事を掲載。1938年の在日朝鮮人は約80万人に迫っていた。日本の炭鉱は渡航した朝鮮人が最も多く行く職場の一つだった。


危険な密航までして日本に行きたい状況だったので、朝鮮人の中には「労務動員」という制度を 「利用」する人も多かった。
合法的に安全かつ費用もかからず日本に渡って行くことができたからである。

しかし彼らは、日本には行きたかったが、「労務動員」によって日本が朝鮮人に要求していた炭鉱のような困難で大変な事業所には行きたくなかった。 

だから彼らは日本に到着した後、可能な限り最も迅速に、ほぼ1カ月以内に炭鉱や鉱山から逃亡し、工場や土木工事現場など、より良い労働環境を備えたところへと再就職した。
これは、今日の大韓民国においても、外国人労働者にしばしば見られる現象である。

今回の最高裁の再上告審判決を迎えた原告たちは、当時「日本製鉄」で勤務していたという。
工場は業務環境が炭鉱や鉱山よりもはるかに良かった。 

ここで重要な事実を指摘しておく。
かれらは1941年から1943年の間に働いており、その頃はまだ「徴用」自体が朝鮮では実施されていなかったということだ。

少なくとも彼らは「労務動員」、すなわち「募集」や「官斡旋」の形で就職したというのが明らかである。
しかも当時の生活の話を聞いても、私たちが常識だと思っている「強制徴用」のイメージを思い浮かべるのが難しい。

日帝時代に日本の炭鉱や工場で働いていた労働者たちは、料亭、劇場、映画館など各種文化生活を楽しみ、故郷に送金も正常にできた。
遊郭に行ってギャンブルでお金を使い果たしたという記録も残っている。 

今日韓国にいる外国人労働者と比較してみても、当時の朝鮮人は高い生活水準を享受していたということが分かる。

(*続きます)

イオヨン

引用ソース
http://www.mediawatch.kr/news/article.html?no=253741


*日本人全員に読んでほしいですね。








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