インドと日本の蜜月が不愉快なものになっていく理由

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インドと日本の蜜月が不愉快なものになっていく理由


他の国の植民地の歴史を調べてみると、デジャヴのような繰り返しと向き合うことになる。
その中で、私たちの歴史を連想する部分が多い。
インドは地理的な位置や文化的背景から見て、私たちとの類似性は多くないが、奇妙なことに、英国の支配から脱して解放を迎えた日が8月15日だ。
また1947年に独立を達成した後、分断の試練を経験し、内部で戦争をしたのも似ている。

それに加えて独立を勝ち取るために絶えず抵抗していたという事実も見逃せない。
インドの建国の父と呼ばれているガンジーは、反植民抗戦の史実をことごとく吸い取る巨大な「ブラックホール」のような存在だった。
しかし、ガンジーの非暴力運動は知られているが、他の闘争方式については私たちはあまり知らない。
実際、あまりにも陸地が大きくて人口が多く、長い植民地の歴史を持つ国なので、実際には激しい武力抗争が繰り広げられていた。

1909年にロンドンで英国インド大臣の政治顧問のカズン・ワイリーが殺害された。
インドの植民地統治に大きな影響力を行使していた彼は、当時英国内のインド人留学生たちの活動を注視し、情報網を敷いていた。
殺害者はロンドン大学に留学中のマダン・ラル・ティングラ(1887-1909)だった。
ティングラはインド青年会のメンバーだったが、この団体はインドの完全な自治のための武装抗争もいとわない秘密結社組織だった。

ティングラが処刑直前に残した文は、インドはもちろん英国社会に少なからぬ衝撃と感動を与えた。
当時通産長官だったウィンストン・チャーチルは、「愛国心をこれ以上に崇高に表現することができるだろうか」と感心した。
彼の文章は、祖国への愛と、英国を憎悪する心でいっぱいだった。
「私は外国の銃剣で抑圧された国は永遠の戦争状態にあると考えている。今私たちはどのように死ぬかを学ばなければならず、これを教える唯一の道は自ら死ぬことである。私はまた同じ国に戻って生まれ、同じように神聖な死を迎えることができることを祈っている。」

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インドの独立運動家ティングラ(左)と彼に殺害されたカズン・ワイリー(1848〜1909)


100年以上前に「安重根の学習」に努めたインドの熱血青年

ティングラ事件の三か月後、安重根の義挙が起きた。
ティングラと安重根の偉業には、いくつか似た点がある。
1909年に発生したもので、国内ではなく海外で行われたということ。
また殺害された二人は植民地政策の責任者だという事実も共通点として指摘できる。
伊藤博文は初代朝鮮統監をつとめたし、カズン・ワイリーは植民地インドを再び分裂させる「ベンガル分割」政策に深く関与していた。
ティングラが彼をターゲットにしたのもこのためだった。
ティングラと安重根の二人とも、自分たちの偉業は「テロ」ではなくて戦時に行った「軍事的行為」と主張した点も目を引く部分だ。

また筆者が最も注目した部分は、安重根の義挙が、インドの義烈闘争に影響を及ぼしたという事実である。
インドの法律家で歴史学者のサンカ・コス博士は「インド武力抗争のルネサンス」という本で「安重根の義挙に鼓舞されたヒンドゥー民族主義青年は、伊藤暗殺を徹底研究し、自分たちの行為が正当であるという絵を描いた」と書いた。

1900年代の初めから、インドではイギリス人を狙った暗殺の試みが絶えなかった。
ベンガル州だけで総督、知事、治安判事などを狙撃した事件が30回も行われるほどだった。
主に10代の少年が犯したことだった。
かれらには愛国心があるだけで、自分たちの行為を裏付ける理論的な知識は皆無だった。
違う見方をすれば、安重根はかれらの無分別な行為に対する正当性と行動の方向を提示する「家庭教師」の役割を果たしたわけだ。

興味深いのは、このような独立戦士の一人が日本にインドカレーを広めたという事実である。
ベンガル出身のビハーリー・ボース(1886〜1945)は1912年にイギリス人総督を暗殺しようとして失敗し、日本に亡命した。
彼は日本の右翼勢力の助けを借りて、東京新宿の中村屋レストランで隠居した。

本来インドの伝統的な料理であるカレーは、植民地時代にイギリスに伝わり、明治時代に西洋文物の一つとして日本で普及した。
ボースはレストランのオーナーに、英国を経由した「養殖カレー」ではなく、骨のあるチキンに香辛料を分散させた「純インドカレー」を披露した。
カレーがレストランの主メニューとして採用され、ボースは主人の娘と結婚までした。
ボース夫婦の縁から取った「愛と革命の味」レシピでよく知られているこのレストランは、100年以上経った今も営業を続けている。
帝国主義侵略と武装抗争でつづられたアジアの独立闘争史には、このような「切ない」のエピソードも隠れている。 

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ビハーリー・ボースと妻の俊子。 右は東京の中村屋レストランと純インドカレー


インド武装闘争は1915年、南アフリカ共和国から帰国したガンジーが、「サティアグラハ」という非暴力運動を展開して徐々に消えた。
だからといって、彼の哲学の精神がインド人すべてを抱くことはできなかった。
ガンジーに続いて国民会議の議長をつとめたスバス・チャンドラ・ボース(1897〜1945)は、武力抗争主義者だった。
彼はインドのコルカタ大学に次席で入学し、英国ケンブリッジ大学を卒業した植民地の最高のエリートだった。
第二次世界大戦が勃発すると、彼はガンジーに武力蜂起を呼びかけたが拒否されて、むしろ植民地当局に逮捕された。
自宅軟禁中に劇的に脱出したチャンドラ・ボースは、ナチスのヒトラーを訪ねて支援を要請したが、ソ連侵攻作戦に余念がなかったヒトラーはこれを拒否した。

そんな時、「カレーの婿」のビハーリー・ボースが彼に接近し、日本と手を握ることを提案した。
当初インドは日本は関心の外だった。
大東亜共栄圏や日本軍の作戦範囲にも含まれていなかった。
しかし太平洋戦争時、英マレー半島を占領した日本軍は、捕虜にしたインド人と英国人6万5000人の処理の問題が頭痛の種だった。
チャンスを得たビハーリー・ボースは日本政府を説得し、かれらをインド軍に編入させて、そのリーダーになった。
しかし肝心のインドの兵士たちは、彼を日本の「傀儡」だと思って信頼していなかった。
困ったビハーリー・ボースと日本政府は、同じベンガル出身で有名な指導者のチャンドラ・ボースを迎え入れるに至ったものである。

日本の支援を受けたチャンドラ・ボースは、1943年にシンガポールで自由インド臨時政府を樹立した。
彼はインド人捕虜を中心に4万5000人の兵力で3個師団を創設した。
このようにして組織された「インド国民軍」は、英国に宣戦布告して、日本軍と一緒にインド本土に進撃した。
亡命した二人のボースの夢がかなえられるかと思った。
しかし「インパール作戦」で日本軍が英国にひどい敗北を喫し、インド国民軍も瓦解する状況に置かれた。
その後台湾にとどまっていたボースは、1945年8月ソ連に亡命を試みて、飛行機の爆発事故で死亡したことが知られている。

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大東亜会議に出席したチャンドラ・ボース(左の写真の右端)、日本の安倍首相とインドのモディ首相が手を握って挨拶する姿


中国に対抗して「歴史連帯」で経済・安保蜜月時代を開くインドと日本

解放から70年が過ぎた今、インドでは「歴史を正す」論議が熱い。
2016年にインドのモディ首相は、「英国が戦勝国にもかかわらず、急いでインドを去ったのは、ガンジーのためではなく、(日本の支援を受けたチャンドラ・ボースの)インド国民軍のためだった」という内容の英国の機密文書を公開したのだ。
また、ネルーが独立の英雄チャンドラ・ボースを「戦犯」と指摘した記録も発見されて、インドがひっくりかえったりもした。
これまで「聖域」だと思われていたガンジーとネルーの非暴力運動に対する批判が登場し、武力抗争を擁護する声が強まっている局面である。

懸念されるのは、このような雰囲気を看破した日本政府が、インドと「歴史連帯」をぐんぐん強調している点である。
インドを訪問した安倍首相は、チャンドラ・ボースの子孫に会って、「多くの日本人がまっすぐな抗争を繰り広げたボースに深く感銘を受けた」と持ち上げた。
そして日本は、インド国民軍が日本と一緒に戦ったことを掲げて、インドとの軍事協力を強化しているのだ。
10月末、モディ首相の訪日に合わせ、日本の自衛隊がインド陸軍と共同訓練をすることにした事実も尋常ではない。
侵略戦争をまるでインド解放のための戦争であるかのように掲げる日本の行動は醜いが、こういった「歴史歪曲」が国際社会に受け入れられてしまうというのが、さらに胸に重い現実である。

来る10月26日は安重根義挙109周年になる日だ。
帝国主義侵略を審判した安重根の義挙を「一生懸命学んで」いた植民地インドが、今日本の軍国主義回帰に便乗している姿は、私たちにとっては不愉快なものである。
このように入れ替わった国際情勢の中で、私たちはどのような道を行くべきなのだろうか。 

引用ソース
https://news.v.daum.net/v/20181022140005302


>>懸念されるのは、このような雰囲気を看破した日本政府が、インドと「歴史連帯」をぐんぐん強調している点である。
インドを訪問した安倍首相は、チャンドラ・ボースの子孫に会って、「多くの日本人がまっすぐな抗争を繰り広げたボースに深く感銘を受けた」と持ち上げた。
そして日本は、インド国民軍が日本と一緒に戦ったことを掲げて、インドとの軍事協力を強化しているのだ。
侵略戦争をまるでインド解放のための戦争であるかのように掲げる日本の行動は醜いが、こういった「歴史歪曲」が国際社会に受け入れられてしまうというのが、さらに胸に重い現実である。
>>帝国主義侵略を審判した安重根の義挙を「一生懸命学んで」いた植民地インドが、今日本の軍国主義回帰に便乗している姿は、私たちにとっては不愉快なものである。

>>こういった「歴史歪曲」が国際社会に受け入れられてしまうというのが、さらに胸に重い現実である。


日本がインドの独立に貢献したことのどこが「歴史歪曲」なんでしょうね?








韓国人のコメント


・良い文章、ありがとうございます。
日本の厚顔無恥が嘆かわしいね。
韓国はあまりにも日本に振り回されていて、利口さがない。
日本の外交術が世界に受け入れられているのがあまりにも息苦しいです。
共感211非共感2

・↑日本に長期滞在していた人ですが、韓国人は日本についてあまり知らない。
日本はどんな小さな行動でもすべて計画的です。
韓国の専門センターも多いです。
韓国を専門的に分析する人も多くて、韓国のニュースは数十分ごとにアップロードされていて、北朝鮮に関する件も膨大な専門家が分析しています。
韓国語も韓国人よりも上手です。
逆に韓国は、日本政府の分析センターもないのでは?

・↑インド人のボースの話は三日天下の金玉均と似ています。
愛国心を利用し、日本で徹底的にもてあそばれた知識階層で、日本の軍国主義を見抜いていませんでした。
日本は協力したのではなく、代理人が必要だっただけ。
インドと日本の動きも似ていると思います。

・↑日本との戦争を待っている。
ひっくり返して飲み込んでやろう。

・↑金大中=豊田大中
日本の天王(天皇)が死んだときに弔問へ行った。


・10.26はタンタン節です。
1597年10月26日、李舜臣将軍が鳴梁海戦で日本を撃破し、1909年10月26日、安重根が伊藤博文を狙撃し、1920年10月26日、金佐鎮将軍が青山里戦闘で日本を撃破し、1979年10月26日、金載圭が高木正雄(*朴正煕)を狙撃しました。
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・↑すごい〜

・↑歴史への興味がすごいです。

・↑すべて日本と関連がありますね。

・↑金載圭将軍にも敬称をつけましょう。

・↑おーー、グッドである。

・↑2016年10月26日はろうそく革命開始、朴槿恵退陣デモの出発点。

・↑素晴らしい一日ですね。

・↑驚くべき事実ですね。
10.26を記念日とすることができないでしょうか?

・↑一つも例外なく日本人を倒した日である。


・しっかり見ろ、世界情勢を。
これだから、なおさら韓国は北朝鮮と共に行かなくてはならないんだ。
情けない保守バカは安倍万歳しているが。舌打ち
共感54非共感7


・どんな大義名分も永遠ではないという事実である。
当面の実利問題があるし、また歴史を忘却するという問題があるから。
東アジアは中国と日本という膨張主義国のせいで、恒久的な平和はありえない。
今の平和も力の均衡によって支えられている一時的な平和である。
中国が恐ろしい勢いで膨張しており、日本は依然として強固である。
もし韓国が過去のように国力が弱ければ、必ずこれらの国々の政治的、軍事的な属国になる。
だから韓国も膨張しなければならない。
韓国が日本ほどの国力を持てば、東アジアのバランスは非常に安定して長く続くだろう。
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・↑共感!!


・10. 26は金載圭義士が日本人将校の高木正雄、韓国名朴正煕を銃殺した日でもある。
韓国人はこんな時こそ日本人を警戒しなければならない。
日本に旅行に行くな。日本車に乗るな。それが愛国である。
貿易赤字は5000億ドル以上である。
ムンジェインはなぜ貿易赤字を減らそうと努力しないのか。反省しろ。
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・↑米国のせいだ。
黒字が多いと淘汰される。
中国も黒字を削減しようとしている。
ムンジェインのせいにしないで。


・日本は典型的な機会主義者だね。
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・東亜日報や朝鮮日報とはレベルの違う記事だね。
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・事実関係を一つ明らかにします。
インドは最初から日本に対する感情が悪くない。
日本が鬼畜米英を前に出して戦争をしたからです。
そしてインドにとって幸いなことは、日本の領域がインドシナで終わったことです。
おかげでインド人は、日本の残虐さを見なかった。
しかもインドは英国を追い出すために、日本を引き込むことまでしました。
ナンセンスで話にならない日本の美化は、そのような過去の経験があるからです。
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・インドは倭寇の略奪にあわなくてはならない。
そうすれば我々がなぜこんなに倭猿が嫌いなのか分かるだろう。
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・10月26日は独立闘士安義士を記念するべき日。
親日の日本軍将校の朴正煕を記念する日ではない。
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・時事ジャーナルの記事を覚えておきます。
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・中国の牽制という共通の目標があるので…
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・結局、自国の利益が優先される歴史だ。
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・日本はインドを食べようという野心で助けたのだろう。
もし国民軍が勝利していたら、インドをイギリスのように植民地支配していただろう。
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・よく読みました。
インドと当時の国際情勢をしっかり説明しておられますね。
私も問題点に共感します。
韓国も近代史をきちんと知っておく必要がありますね。
そうしてこそ今何が問題なのかが分かると思います。
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・必要だから手を握ったんだ。
私たちのするべきことは、こんなくだらない分析なんかではなく、豊かに生きて、統一して、国力を世界トップ5にすることだ。
それだけが私たちが進むべき道である。
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・日本とインドに関連する事実をはじめて知りました。
ありがとうございます。
チョッパリたちのずる賢さがよく分かりました。ふふ
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・国際社会は常に国益と力の論理が先だ。
なのに韓国外交は何も知らず、高尚さを国際関係で発揮して、常に相手の「善意」に期待する。
外交は必ずギブ・アンド・テイクが基本である。無料はないということだ。
外国に何かを与えてもらうには、韓国も必ず何かを与えなければならない。
メディアが報道しないが、私はずっと前から、韓国は核弾頭と中距離ミサイルを持たなければならない考えていた。
それだけが日本、中国、ロシア相手に独立を守る唯一の方法だからである。
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・後日の日本の第2の侵攻を防ぐのは、北朝鮮の核しかない。
南北軍が日本を防ぐには、その道しかない。
後日のためにも、北朝鮮の核は捨ててはならない。
一度核を捨てると二度と作れなくなる。
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・インドはなぜ日本の悪らつさが分からないのだろうか?
敵の敵は仲間ということか…
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・日本が水に沈んで難民として私たちに手を差し伸べてきても、放置しておこう。
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・天は必ず倭人どもに天罰を下すだろう!
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・日本の醜い行動は生まれつきのものだ。
私たちは親日派を除去できないので、いまだに犬豚の国に住んでいる。
自ら親日派を除去できない私たちに誰を罵る資格がある?
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・安!重!根!
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・米国はある瞬間に日本を殴る。
それがトランプの作戦である!
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・日本とインドが蜜月だから何?
日本がすることは無条件に嫌い?どういう根性だ?
ムン罪人が安倍ぐらいちゃんとしろ。
何もできてないくせに、他国のせいにするな。
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・国際関係において、今日の利益のためには、昨日の敵とも共に進まなければならない。
過去のみにとどまっていることはできない。
しかし625南侵をしてまだ赤化統一を虎視眈々と狙っている現在の主敵北朝鮮は、私たちと共に進むことはできない。
北朝鮮と主体思想派にだまされてはいけない。
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・インド太平洋防衛の参加は、米国と日本が先に熱心に要求してきた。
しかしムンジェインが拒絶したんだけど。
これで今更不愉快と言うのか?
共感1非共感9


・いつまで過去に埋没しているのか?
日本とインドがなぜこのようなことをしているのか、考えてみたらどうだ?
日本とインドを合わせたよりも国防費がはるかに多い中国のことは目に見えてないのか?
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