韓国語の「悔しい」と日本語の「悔しい」の違い
学校では教えてくれない日本史(シンサンモク)

ひさびさの書評記事です。

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韓国語の「くやしい」と日本語の「くやしい」の違い

【書評】シンサンモク著「学校では教えてくれない日本史」

[オーマイニュース イヨンジュン記者] 

<遠い国隣の国>日本編で読んだ話がある。
昔のお店では、例えば赤い絹をが欲しいというと、倉庫に置いていたものを持ってくるシステムだったが、新しいお店は、客が直接布を見ることができるように展示したら大ヒットしたという話だった。
それが江戸時代に起きたと書かれていた。
江戸時代というと、韓国は朝鮮時代だが、あまりにも現代的ではないか。
信じられなかった。

しかし<学校では教えてくれない日本史>を読んで考えが変わった。
江戸時代にはそのような「マーケティング革命」も十分に起こりうる時代だった。
江戸時代は同時代の私たちの歴史、すなわち朝鮮時代後半とは全く違う時代だった。

英雄たちの闘争で綴られた戦国時代や幕末に比べると、江戸時代はどうしても退屈である。
しかし静の中の動というべきか、その時代は歴史のエネルギーが凝縮される過程だった。
江戸時代に起きた社会的変化のいくつかは、同時代のヨーロッパより先進していたのだ。

封建制度がもたらした意外な結果

聖徳太子、南北朝時代の初期、また明治時代に日本の王室が歴史の前面に出たことはある。
しかし日本の歴史のほとんどは幕府の歴史である。
幕府というのは、ただ大名の中で最も強い者に過ぎない。
幕末に、長州藩や薩摩番のように、幕府の指示を遠慮なく破る領主があらわれたのも、この制度の根本的な限界が表面に現れたというだけである。

江戸幕府は大名を牽制するため「参勤交代」という制度を実施した。
これは基本的に、高麗の其人制度と同じ人質制度だった。
しかし、大名や家族はもちろんのこと、家臣まで1年ごとに江戸と領地で交互に生活しなければならないという点が異なっていた。

数十人から数百人の人々が、遠い距離を移動しなければならないので、宿泊施設はもちろんのこと、食事や娯楽など、各種消費財の需要が大きくなった。
米や布を持ち歩いて経費を支払うよりも、貨幣のほうがはるかに楽だったので、貨幣経済も大きく成長した。

二度の世界大戦以前のヨーロッパと同様、江戸幕府も金本位制を選んだ。
問題は、オランダを通じた貿易取引決済に銀を使用していた点である。
既に戦国時代から盛んに行われていた貿易のおかげで、日本は中国と同じように、ヨーロッパ列強が南米から強奪してきた銀を吸いこんだ。
江戸幕府がはじまった当時、日本全体の商業の中心地だった大阪は、そのような理由で銀を中心とした貨幣経済を謳歌していた。
したがって、大名は税金を出すためには金を、商業活動に使用するためには銀を手に入れる必要があった。

結果的に、金を交換する業者が現れた。
かれらは交換に伴う差額(spread)を得るだけには止まらなかった。
貴金属を直接持ち歩いて決済すると、リスクとコストが大きいので、かれらは互いに書類での支払いを代行することになる。
これにより、預金証書、手形、小切手などのサービスが発生した。

幕府の金本位制は意図しないもう一つの革新をもたらしたが、まさに地方貨幣の開発である。
金兌換を基本とする金本位制は、最終的に金の保有量に貨幣量が縛られる。
したがって、貨幣が不足した藩主は手形を発行した。
しかしこれは幕府の貨幣発行権への挑戦になってしまう。

だから藩主たちは、自分の領地内でのみ有効な手形を発行していたが、これが地方貨幣の「藩札」だ。
最近は韓国でも一部の自治体が地方貨幣を地域経済の活性化の手段として活用しているが、日本は既に300年前に、そのようなものを使っていたというのが驚くばかりだ。

出版文化も隆盛した。
政府や宗教が出版を掌握していた朝鮮や近代ヨーロッパとは異なり、日本では需要に基づいた出版が活発だった。
これにより、江戸時代の新聞は、地震などの自然災害のニュースや痴情殺人のように、人々が読みたい事件を扱っていた。
本を借りて読むことができる貸本所はもちろんのこと、本を持ち歩いて貸す貸本業者もたくさんあったので、読書大国日本の根が深い。

学ぶことは学ぼう

著者は「日本をあまりにも知らなすぎる」私たちの現実を嘆いている。
一般的に韓国人は、19世紀後半に韓日両国間の格差が発生したと考えている。
日本が開港したが、朝鮮は鎖国政策に固執したせいで遅れたという考えである。

著者はそうではないことを示すためこの本を書いた。
日本が19世紀末、すでに列強の仲間入りをした背景には、265年にわたる江戸時代がある。
江戸時代の日本は、社会、文化、経済全体の膨大なエネルギーを積み上げ、その力を背景に、帝国主義強盗団の終電に乗ったのだ。

エピローグで再び著者は光る論点を提示する。
韓国語の「くやしい」と日本語の「くやしい」が妙に違うということだ。
韓国語の「くやしい」は内部に相手への怒りをためるものだが、日本語の「くやしい」は自分にどんな問題があるのかを見て回り、同じことを繰り返さないために自分自身を変えることである。

日本は米国に、朝鮮は日本に強制的に開港させられ、治外法権を含む通商友好条約を結ばされた。
韓国は歴史の時間に治外法権について学んで憤慨する。くやしいことだ。
しかし日本は、19世紀後半から先進国の法制を研究し、1896年にいわゆる「6法体系」を完成させる。欧米列強に負けない法制に基づいて、日本は各国との条約改正交渉を行って、治外法権を一つずつ消していくのだ。「くやしい」ことを二度と繰り返さないために。

幕末、新しい世界を作るため改革者を自任していた維新の志士は、最終的には愚かな道を選んだし、弱肉強食を信じる帝国主義者が戦犯を育てた。
そんな歴史を羨望する理由はない。
しかし第2次世界大戦の敗北後、すぐに回復した日本の底力は、違う観点から見なければならない。

歴史を導いていくのは民衆の力である。
日本は朝鮮よりほぼ3百年前に民衆を育てた。
農奴ベースの経済で突然列強の仲間入りをしたロシアと同様、日本も封建制度を乗り越えて上がり強大国となった。
しかし封建制度があまりにも長い間続いたおかげだろうか、江戸時代の民衆はもはや愚かな大衆ではなかった。
読書や旅行、そして議論を楽しんでいた彼らは、すでに時代の矛盾を乗り越える準備ができていたのだ。

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引用ソース
https://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=103&oid=047&aid=0002200803







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学校では教えてくれない日本史(シンサンモク)

韓国に不足しているものが、民間、市場、商業であることを感じた。 


この本は、民間、市場、商業の面から、日本の江戸幕府時代について語った大衆用の歴史書である。
同時代を扱った「明治維新はどうして可能だったのか」と「静かなる革命」が明治維新を中心とした本だとすると、この本は江戸時代そのものに焦点を当てているという差がある。

第1章に登場する江戸時代のいくつかの近代的制度や文物についての記述は、私自身はすでに多くの部分を既に知っていたにもかかわらず、勢道政治の暗黒時代であった時代の朝鮮としきりに比較してしまった。
これを読むと、私たち韓国人たちをどんどん自己恥辱感に陥らせる。
もちろん「明治維新はどうして可能だったのか」と「静かなる革命」の著者たちと同じく、「日本が優秀な国だったということをクールに認めよう」とは思うけれど。

第2章と第3章で著者は、「天下普請」(幕府が大名に課した公共事業役務)と「参勤交代制」が、江戸時代の発展をもたらした「偶然の装置」だったという。
現代の経済学の視点から見ると、両方とも「総需要喚起政策」と見ることができる。
自然と疑問がわくのは「江戸時代に生産性の発展をどうやって現実化したのか」であろう。
いわゆるケインズ - シュンペーターの議論においては、この天下普請と参勤交代制は、基本的にケインズ的な政策と解釈することができるということだ。
この二つが社会の間接資本を増大させて、生産性の向上に役立ったし、またこの本の主題でもある民間市場での商業の発展に伴う(革新を奨励する!)いくつかの制度の確立が、総供給を増やす最も模範的な方法となった。
しかし西洋の産業革命を主導した「製造業の発展」が抜けているというのが何か寂しい。
その代わりとなったのが、いわゆる「勤勉革命(industrious revolution)」による農業生産量の増加のようで。
とにかく日本は当時世界最大の都市で、消費、商業が主導する都市だった。

第4章では味噌が戦闘食糧だったという話を読んで、戦争が技術革新を促進させる重要な契機になっているということを改めて確認させられた。

第5章、江戸時代における旅行の大衆化を扱った部分では、当時の日本の経済力が、年間100万人以上の旅行者がいるほど強かったんだということを知った。
ただし、「観光が近代統治基盤の強化と統合意識涵養に繋がり、国家の発展の基礎を築いた」という結論は、私には拒否感がわいた。

第6章、出版文化を扱った部分で紹介されていた「好色一代男」という小説をインターネット検索してみると、日本が誇る世界初(11世紀)の小説「源氏物語」のパロディ的な本だという記事があった。
日本の出版文化の発展の根がかなり深いという話である。
すべての権利(知的財産権)の確立と、貸本屋(書籍流通)の発展については、ただ羨ましいだけだ。
沈清伝や春香伝など、韓国を代表する古典小説はあるが、作者不詳の理由は、まさにすべての権利が確立されていなかったからではないだろうか。
著者は、民間、市場、商業が主導していたので、日本の出版文化が発達したという結論を書いている。
朝鮮の失敗要因はもちろん政府が主導したからだろう。
日本の出版文化の発展は、「漢字」というハンディキャップを乗り越えておこなわれたので、さらに驚くべきことだと思う。

教育を扱った第7章でも、民間や市場主導での教育を強調している。
新学問など様々な教育が行われた藩校はもちろん幕藩の産物である。
庶民教育の中心の民間教育機関の寺子屋は、朝鮮の書堂と似ているように思えるが、読み書きや計算(そろばん)を教えていたこと、それから「往来物」という教科書が、実用的な面に重点を置いてさまざまな内容を教えていたことが異なっている。
明治維新を導いた松下村塾や、蘭学専門の適塾などのオープンなプライベート教育機関は、朝鮮では似たものを見つけるのも難しい。
「能力のある専門知識人が、知識の創出や伝授する活動をするだけで、市場原理によって収入を得て生計を維持することができた」という江戸時代の日本。もしかしたら現在の日本も同じなのかも知れないが、過去の朝鮮、いやおそらく現代の韓国でもありえない話である。
おそらく世界的に見ても韓国だけ根強い「私教育の抑制」心理は、まさにこの「民間、市場主導の教育が発展していない」ことにある可能性がある。

「読売」というニュースと「引札」というチラシの原型について語った第8章も、「民間主導」と「商業、自然発生した印刷メディア」がキーワードである。

第9章は、かの有名な蘭学の象徴であり、日本の翻訳の起源である「解体新書」の話である。
華岡青洲という医師が、西欧に先立つ1804年に全身麻酔の手術を成功させたし、その麻酔薬の主原料だった「朝鮮朝顔」が現在の日本外科学会のロゴだという話を聞くと、また万感の思いが交差する。

第10章は日本の江戸時代を代表する地図製作者の伊能忠敬の紹介である。
当然「大東輿地図」を作ったキムジョンホのことが思い出されるが、やはりすべての面でキムジョンホよりも伊能忠敬のほうが優越していると認めざるをえない。
伊能忠敬はキムジョンホより先に、地球は丸いという天文知識を活用し、発展した測量技術で3万キロを超える日本のすべての海岸を直接実測し、1:36,000の巨大な地図を、幕府の積極的な後援の下で製作した。
彼はすでに明治時代から国民的英雄だった。
「自己恥辱感」というのはこのような時に使う表現である。

第11章は翻訳の基本とされている辞典の編纂の話である。
日本の西洋文書の翻訳が、日本はもちろん韓国と中国を含む東アジア全体の近代化、西欧化の「通路」になったというのは、すでによく知られている。
ただ、私が注目したのは、最初の蘭和辞典「ハルマ和解」を引き継いださらに詳しい蘭和辞典「ドゥーフ・ハルマ」の編纂は幕府が主導していたという事実である。
教育や出版は民間が主導していたが、地図や辞典の編纂には政府が直接乗り出したということだ。
当時幕府が「自分たちが直接乗り出さなければならないこと」が何なのかを知っていたということだろうか。

第12章は、民間、市場、商業、そして貨幣経済の発展が(ただし手工業だった)木綿を中心とした繊維産業の発展、すなわち「繊維革命」へと続いたことを語っている。
特に、江戸という世界最大規模の消費都市の成立が、タオル、暖簾などさまざまなニーズを生み出して、繊維産業の発展の原動力となったことを強調する。
「都市の勝利」といったところだろうか。
18世紀末、染色職人の「デザインコンテスト」があり、しかも入賞作品の「カタログ」まであったという話で、また改めて驚いた。

第13章は、服の色をねずみ色、茶色、紺色の3つに制限した幕府の「贅沢禁止令」によって、むしろ民間業界がこれに対応し、中間色の段階を細分化して標準化した「藍四十八色」につながったと紹介している。
この中間色、混合色が日本の伝統文化となり、「粋」「いなせ」などの「シンプルな洗練」を生んだのである。
藍色を二十二段階に分け、それぞれの色に名前を付けたというのを見て、突然私たちの韓国語も「青っぽい」「むらがあってくすんで赤い」「白みがかっている」などいくつか擬態語が発達しているという「私たち韓民族文化の誇り」を思い出した。
しかし、日本の色の名前には実体があって、標準化されていて、一対一の対応ができているのに対して、我々の色の名前は実体がなくて、言語という主観的で抽象的な世界だけに存在するという違いがある。
根本的に私たちの色の名前は、文学を魅力的にするかも知れないが、実際の繊維産業やデザイン産業には何の貢献もしていない。一言でいうと商業的ではない。

第14章では陶器が紹介される。
韓国の陶工たちが壬辰倭乱の時に引きずられて行って発展させた、まさにその陶磁器である。
ところで著者は、私たちに馴染みの沈寿官ではなくて、日本の陶磁器産業の元祖の李参平を紹介しています。
彼のいた佐賀県有田では「陶器の神」として祀られているという。
もちろん李参平が朝鮮に残っていたら、支配層のホットな後援を受けることもなかったし、オランダを通じて陶器をヨーロッパに輸出することもなかったし、ゆえに根本的に陶器を産業化することもできなかっただろう。
沈寿官はなぜ我々韓国人に有名なのだろうか?
彼の「薩摩陶器」は工業化に成功しなかったのだろうか?
訳もなく気になった。

第15章は19世紀の日本の開港と、明治維新以後、有田の陶器産業が海外輸出の突破口を見つける過程を叙述している。
佐賀県出身の大隈重信の積極的な支援により、1873年にオーストリア・ウィーンで開かれた万国博覧会に超大型陶器を出品し、輸出拡大の契機としたものである。
その後の1876年、米国フィラデルフィア博覧会に、民間が陶磁器会社を作って自費で参加して、最終的に1877年にニューヨークのブロードウェイに陶磁器など日本の商品を専門に販売する店を開いたという。
この点から思い出すのが、1900年のパリ万国博覧会に大韓帝国が参加したことだ。
当時大韓帝国は、「総力を傾けて」韓屋の形の展示館を作り、複数の展示品を出品した。
さて、大韓帝国の威勢を誇るという以外の目的、つまり「民間が主導して商品を輸出する意図」はあったのかと聞きたい。
いろいろな記事を探してみたが、そういう話はなかった。

第16章は江戸時代の三大知識の流れとして、荻生徂徠の儒学、石田梅岩の心学、そして蘭学を挙げている。
荻生徂徠が朱子学を批判しつつ、古典を重視したということ、そして丸山正雄によって「日本近代政治思想の先駆者」として崇められたのは、すでに「静かなる革命」だった。
「学校では教えてくれない日本史」という本は、民間、市場、商業を強調したためか、商人の哲学を提唱した石田梅岩の心学を重要視している。
石田梅岩はいう。「商業は世界を利することである」「商人の利益というものは、天下に認められた秩禄である」…こんな視点を持った人が朝鮮に果たして存在していただろうか?私の知る限りいない。
石田梅岩の言葉は、マックス・ウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」を思い出させる。(今グーグルで検索してみたら、石田梅岩はマックス・ウェーバーの200年前にそう言っていたと知った。)
こういう「心学」があったので商業が発展したのだろうか、それとも商業が発展したので「心学」が誕生したのだろうか。
次の文を見ると、著者は後者だと思っているようだ。
「朝鮮の知識人の発展は、同じ時代の日本に比べて単調だったが、それは朝鮮の知識人の能力の問題ではなくて、それだけ社会が停滞していたという証拠である。」

事実「静かなる革命」は、明治維新のベースとなった江戸時代の3大分野として国学、儒学、蘭学を提示する。
心学は儒学の一分野として少し紹介されただけだ。
もちろん「学校では教えてくれない日本」は、民間、市場、商業の面で時代を分析した本なので、心学を強調したのは自然だともいえる。
一方で国学が象徴する「国家主義」「天皇制」が、今日の日本を作っている一つの重要な軸だということも覚えておく必要が明らかにある。

第17章と18章は、これまで江戸時代について賞賛一辺倒だった論調を変えて、当時の貨幣制度の問題点を指摘している。
江戸時代の貨幣制度は、金、銀、銅、すべてを使用した「三貨制」であり、頻繁な貨幣改革によって一貫性が欠けていたというものである。
また当時の貨幣制度は、金貨と銀貨の間の交換比率がよく変わっていて(大阪は銀貨、江戸は金貨を使用していた)、民間部門の貨幣経済と公共部分の米穀本位経済が共存していて、幕府が発行した中央貨幣と各藩が発行した地方貨幣(藩札)が共存していたなどの問題点があった。
このような問題があったにもかかわらず、上に示した参勤交代制と天下普請などに支えられて貨幣経済が定着したというのが著者の説明でる。

しかし韓国人である私の目には、このような点は問題点ではなくて羨望すべき点に思える。
基本的な問題が多いとはいえ、とにかく貨幣経済自体がうまく回っていて、貨幣価値の調整に伴うインフレやデフレ、「金融梗塞」や「元禄好況」などを、日本はすでに17-18世紀に経験していたというのが不思議でうらやましい。
朝鮮は19世紀初頭まで、米穀や綿布などモノを貨幣として扱う経済であり、金属の貨幣の調整に伴う全国的な「マクロ経済変動」があったという話など聞いたことがない。
江戸と大阪地方の貨幣が違っていて、それによって為替レートが変動するので「両替商」という両替所が生まれ、これが金融機関へと発展したというのも、私たち韓国人の目からみると不思議である。
いやいや、日本は17世紀にすでに変動相場制と信用金融経済を経験していただなんて!

貨幣経済と米穀本位経済の共存が、米の生産性の向上と価格の下落によって、結局は貨幣経済の勝利へと帰結して、武士階級から商人階級に富が移動する結果を生んだというのも、やはりうらやましい。
「一方で朝鮮の士大夫は(日本の武士階級のように)経済活動に従事していなかったが、高利貸しを介して富を蓄積することができた」というのを読んで、大きな課題を感じた。
韓国の指導層は、富と名誉と権力のすべてを持とうとする。
武士の俸禄米を現金に交換した「札差」が、「札差株仲間」という閉鎖的な組織を結成し、その持分である「株」が財産権の性格を持つようになったのが、現在の「株式」という言葉へと繋がったという話も不思議である。

各藩の地域通貨の使用が、独立した財政運営を通じた「藩政改革」を可能にしたという内容は、薩摩や長州などの藩がどうして明治維新を主導できたのかについて理解させてくれる。
朝鮮でも、複数の官庁が貨幣を鋳造したが、このように地方が独自で貨幣を作って流通させたことはなく、実際完璧な中央集権政府だった朝鮮では不可能なことだった。
やはり地方自治は簡単にできることではないようだ。
いずれにせよ、このような貨幣制度の矛盾により、江戸幕府は終わることになったが、私たち韓国の視点から見ると、こういった矛盾も日本の発展を促進したという側面が明らかにあるだろう。

今日の韓国が直面している諸問題は、まさに日本の発展の原動力だった「民間、市場、商業」の不足に起因するという結論を下したい。
日本語の「くやしい」も導入し、この「民間、商業、市場」を発展させて、過剰な政府の影響を軽減するため「切歯腐心」をしなければならないのではないだろうか。
「フランチャイズの鶏の価格は1万7000ウォンなのに、生の鶏の価格は1300ウォン」という記事が今日も浮かび上がっているのを見ると、まだ行く道は遠いようだ。

引用ソース
http://blog.naver.com/PostView.nhn?blogId=neolone&logNo=221088066395&beginTime=0&jumpingVid=&from=search&redirect=Log&widgetTypeCall=true&directAccess=false


*書評の紹介はひさしぶりですね。
この本がどれだけ読まれたのか、調べ方が分からないので不明ですが、
少なくとも韓国においてベストセラーリストには一度も載ってないようです。



私はとくに参勤交代が、江戸期、そしてその後の日本にもたらした影響ははかりしれないと思います。
読んでみたいな。
こういう本、どっかの出版社が日本で翻訳出版しないのかな。
それなりに需要あると思うんだけどな。