[ソンジェウのメジャー?メジャー!]大谷で再び照明があたるベーブ・ルース

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[ソンジェウのメジャー?メジャー!]大谷で再び照明があたるベーブ・ルース

「ジキル博士とハイド氏」か!
オープン戦まで投打の両方で不振を免れず、シングルAレベルという皮肉まで甘受しなければならなかった大谷翔平が、シーズンが始まるとそんな話などあったのかというように、好投と猛打を続けている。 
3月30日、オークランドとの開幕戦で指名打者で8番の打順でデビューした大谷は、最初の打席で右前安打を記録して、大リーグ初安打となった。
もちろんその後4回の打席では凡打で退いたが、あまりにも強い非難に苦しめられた大谷にとって、初打席での安打は大きな負担を消したようだった。

そして4月2日、先発レギュラーシーズンの初登板に乗り出した。
オープン戦を通じてなんと15点台の不振で道を失ったようだった大谷に、すべての関心が集中した。 
1回を三振2個を含む三者凡退でうまく退けたが、2回に危機を迎える。
1死後、マット・ジョイスとスティーブン・ピスコッティーに連続安打を許し、若い巨砲マット・チャップマンに3点本塁打を許し、オープン戦の悪霊が再び訪れた感じさえした。
しかしここまでだった。
その後大谷は15打者相手に14人をアウト処理し、シングルヒットも許さず、6イニング3失点6奪三振で勝利投手になったのだ。
最高球速は99.6マイルで平均球速は97マイルを越えた。

そしてホームに戻って再び打席に立った彼は、クリーブランド・インディアンスのジョシュ・トムリンを相手に初ホームランを飛ばす。
そこで止まらず、その日の試合で2安打をさらに打ち、4打数3安打3打点の猛打を繰り出す。
活躍は次の日の5日の試合まで続いた。
今度は昨年最優秀防御率、サイヤング賞の受賞者コーリー・クルーバーを相手に2ランを記録したものである。
この失点はこの日クルーバーが失った唯一の得点だった。
この日もヒットをさらに加えて、3試合で打者として出場して.429だったオープン戦の大谷は消えた。

今シーズンは始まったばかりであり、打者としはわずか3試合、投手としては1試合の出場がすべてである。
しかし彼の華麗なデビューは、彼のニックネーム「日本のベーブ・ルース」を自然に思い浮かばせる。
米国内の野球の保守主義者たちは、「あえてルースと比較を…」と言うが、実際に大リーグで同シーズンに打者と投手の両方で15試合以上出場した最後の選手がまさに1919年当時のボストン・レッドソックスのベーブ・ルースだから、比較対象になるしかない。

一体ルースを別の選手とあえて比較の対象として取り上げられることに消極的になる人がいるのだろうか?

まずルースの登場は、メジャーリーグのホームラン時代出発を知らせた。
彼の出現以前は、「デッドボールの時代」、すなわちホームランではなく、洗練された打撃と速いボールに依存するタイ・カッブスタイルの野球が主流だったが、彼の登場は「ライブボール」の時代、最終的には野球においてホームランが与える魅力を知らせた存在だからである。 
1895年ボルティモアで生まれたルースは孤児院で育った不遇の子供時代を送った。
本名はジョージ・ハーマン・ルースだが、子供のようなあどけない性格と子供からの絶対的な愛を受けて「ベイブ」というニックネームがまるで本名のように認定された選手である。 
188cmの身長で97kgとなっているが、実際の体重はこれをはるかに超えていると知られている。
通算で22年間走り、記録した714本のホームランは後日ハンク・アーロンとバリー・ボンズによって破られたが、いまだにホームラン王の象徴と呼ばれているのは、すでに指摘したように、ホームラン時代の出発点だからである。

彼が最初の契約したチームはオリオールズであり投手としてデビューした。
しかし大リーグデビューは1914年、ボストン・レッドソックスで19歳のときである。
当時すでにルースは投打兼業選手で初お目見えした。
投手としては主に先発をつとめたが、当時の雰囲気上、試合の流れによってはブルペン登板もした。
ここから大谷とのつながりが始まる。
事実、彼の投手としての活躍は、ボストン時代である。
1920年、ニューヨーク・ヤンキースとのトレード以後、彼の登板は合計5試合に過ぎず、最後の登板は1933年で9イニング5失点したが勝利投手となった記録である。
最終的には投手としての彼の記録は10年で、163試合に登板してそのうち先発は147試合だった。
94勝46敗の成績で、防御率は驚くべきことに2.28だった。
当時のメジャーリーグの流れを感じることができるのは、完投試合がなんと107試合で、完封も1919年9回を含めて通算17回で、通算セーブも4回あった。

投手としての最高のシーズンは21歳だった1916年で、44試合に登板して23勝12敗、1.75の防御率はリーグ1位だった。
彼が消化したイニングはなんと323.2イニングで、今だと想像もできないイニング消化能力だった。
その翌年も24勝を挙げたので、ルースの投手としての能力は認めざるを得ない。
またワールドシリーズでの登板は今も記録に残っている。 
1916年と1918年のワールドシリーズで3試合に登板してすべて勝利し、31イニングを投げて0.87の防御率を記録し、ワールドシリーズ30イニング以上投げた投手で最も低い防御率記録保持者である。

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打者としてのルースについてだが、実際のところ1918年までは投手の比重が大きい選手だった。
しかし1918年に95試合にしか出場せず11本の本塁打を打った当時、この記録はリーグ1位だった。
それでチームは投手の比重を減らし、1919年130試合に出し、一塁手を守らせて打者として投入し、これに報いるように.322の打率で29本塁打で再びリーグ1位になった。
この記録はその前の一シーズン最多本塁打の24をはるかに超える記録だった。
当時打者は精度を高めるためバットを握った両手を離してコンタクトに集中していたが、ルースは今日のように両手をくっつけてバットを掴んでパワーを最大化させた。
以降ヤンキースに参加した彼は真のホームラン王になる。
1920年54本、21年には59本塁打を放ち、1927年には60本を記録し、1961年にヤンキースの後輩ロジャーマリスが61本を打つまで一シーズン最多本塁打記録だった。
通算打率も.342で、彼が記録した通算.690の長打率と1.164OPSは永遠の記録として残っている。

こんなすごい記録の所有者のルースを大谷と比較すれば、ルースのファンは気持ちが良くない。
しかし過去100年間行方不明になっていた投打兼業選手が誕生しただけでも、十分な注目となる。
現実的に大谷が投手を放棄しない限り、ルースの打者キャリアを跳び越えるのは不可能である。
現在所属チームのLAエンジェルスは、彼は週に2、3試合ほど打者として投入すると発表した。
このような計画を守っていけば、シーズン中打者としては60〜70試合以上の出場が難しい。
いくら24歳の若い選手で、出場3試合で2本塁打を記録したとしても、シーズンが進むにつれて疲労は蓄積する。
二桁本塁打を記録して2割台後半の打率を記録すれば正常と見ることができる。

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投手としては、通算防御率は難しいだろうが、通算勝ち数は超える可能がある。
そのため6人ローテーションを採用した状況で、シーズン中に怪我しない場合は25回から27回の登板が可能で、2桁の勝ち数を十分に狙うことができるし、大リーグで活躍するに十分な可能性がある。 
5年間、日本のプロ野球で42勝15敗2.52の防御率を記録した彼が、メジャーリーグでどんな記録になるかは焦眉の関心事である。
主な武器フォークボールとスライダーで良いという評価で、球速も良かったが、彼のフォーシームの平均回転数は2200回を軽く超えるレベルでメジャーリーグの平均にも及ばず、たとえ100マイルの速いボールでも、打者には地味に見えて、結局は球速は思うように大きな武器にはならないという見方もある。

しかし一つ明らかなことは、誰もが簡単に行けなかった道を決めた選手であり、一応は成功の足を踏み出したことだ。
どんな姿でシーズンの最後を迎えるのか予測は難しいが、100年ぶりの選択をした選手を見ることができる野球ファンにとっては大きな幸運である。

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引用ソース
http://v.sports.media.daum.net/v/20180406142032630他


*私、実は最近ずっと藤井くんを追いかけて将棋ばっか見てたんだけど、ここのところ大谷…
我ながらこのへん私、ものすごくミーハーだわ。
藤井くんについては韓国の反応がほぼないのでブログとは結びつかないんだけどさ。








韓国人のコメント


・ベーブルースと比較する以前に、常識的に投手として最高球速165kmで完璧なスプリット駆使、打者として最高190km以上のスイングスピード、洗練されたバッティング力、速い足、全体的な野球理解を持った選手が地球上に存在したことがあったか。
さらに完璧なボディサイズにハンサムな容貌、何よりも最高の性格。
もう彼の試合を楽しめばいいだけだと思う。
共感137非共感41

・↑性格をどうして知ってるんだ?

・↑1年を過ぎてから評価しましょう。
まだ戦いは始まったばかりだ。

・↑バットスピード190kmなんて嘘を書かないで。
薬物時代のマグワイアとソーサが一番早かったが158kmだった。

・↑天は公平である。
隠されたあいつのアレは5センチ。


・すごい。
スポーツはスポーツだから、政治的な感情は入れないでください。
共感94非共感16

・↑MLBの大谷(日本人)優遇は政治的なものなのに、政治的な感情を入れるなって?
国家代表試合後、大谷を賛美していたコメント部隊の活動が続いているが…
コリアンメジャーリーガーを罵って大谷を賛美するコメントの推薦数が、非推薦数に比べて5倍以上多い状況だ。常識的に話にならない状況である。
大谷の試合を中継していたキャスターは、大谷がホームランを打つと、国代表がサヨナラ本塁打を打ったかのように喜んでいた。


・大谷はメジャーで成功しそうだ。
日本人だが、あいつは子供の頃から自分自身を完全に管理して、投手は身長が必要だという考えがあったので、徹底したマインドコントロールとストレッチで身長を高くしたという。
親は身長が小さいという…
共感85非共感17

・↑でたらめを書くな。
大谷の親は両方とも運動選手出身で、大谷の父の身長は185を超えている。


・ベーブ・ルースは神である!そう見れば良い。
共感18非共感2


・ベーブ・ルースはスポーツ選手の中で唯一伝記に登場する人だと知っている。
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*ちなみに韓国で昔から出版されてる「少年少女世界文学全集」とか「こども世界の偉人伝」の類は、たいてい日本の出版社が出したものの丸ごとコピーです。だから日本人が知ってる世界の偉人や日本人が知ってる世界文学などは、韓国人とものすごくカブってます。


・大谷すごい。応援する。
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・DNA検査を要望する。
間違いなく韓国人の子孫である。
扶余出身のオ氏で間違いない。
共感26非共感16

・↑説得力がありますね。


・ナイスガイ〜^^
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・ルースの打撃記録は最高だったが、投手の記録を見てさらに驚いた。
彼は生まれつきの最高の野球選手だった。
彼がむやみに食べないでもっと訓練を熱心にしていたら、さらにとんでもない記録を出していただろうね…
共感3非共感0


・オープン戦で大谷を罵りまくってたグクポン(*国+ヒロポン/愛国中毒)が綺麗にいなくなったね。ふふうふふ
うまいことは認めましょう。
豊富なインフラも羨ましく、プロとしてのマインドも韓国選手より良くて羨ましい。
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・百年に一人の天才だな…
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・ベーブ・ルース
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・日本人選手だが、実力ももちろん性格が良くて好きである。
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・当時は使っていたボールも今より大きくて重いので、単純な比較は難しいと聞いた。
とにかくモンスターはモンスター。
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・偉人伝を思い出しますね…ルース…
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・各種ルールを整備して、野球のボールの材質と規格を厳格に定め、一度使ったボールは再び使えないようにするなど規定の整備がライブボール時代を開いたし、その中にベーブ・ルースがいた。
天下のベーブ・ルースも、1900年より前に野球をしていたら、あんな記録は作れなかった。当時の野球があまりにもナンセンスだったから。
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・ルースじいさんがいなければ、ソーサもマグワイアも大谷も誰もいなかった。
記録よりも野球というものを世界的に知らせたから!
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・子供の頃、我が家にベイブルース偉人伝があったっけ。
共感0非共感0


・生意気すぎる。
メジャーに入ったばかりの選手を大リーグ最高の選手だったベーブ・ルースと比較するのか?
馬鹿記者よ、これが話になるのか?大騒ぎするな。
共感2非共感3


・これだから想像力が重要なのである。
漫画が現実になった瞬間である。
共感16非共感0


・漫画のような選手。史上最高。
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・ある日突然左投手に変身する漫画のキャラクター大谷。
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・興味深い記事ありがとうございます。
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・伝説と比較されるなんて…大谷も違う伝説になるのだろうか?
共感5非共感1


・ベーブ・ルースは野球のパラダイム自体を変えてしまいました。
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・記事面白い…とにかくブルブル
共感2非共感0


・リュ豚をモンスターと言っていた自分が恥ずかしい。ふふふ
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・大谷の物語が漫画なら誰も読まない。話にもならないナンセンスだと罵るだろう。
だから現実は時にはフィクションよりも不合理である。
想像以上の現実、まさにそれである。
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