ソ連がマッカーサーに身柄の引渡しを要求した「樋口季一郞」

趙甲濟(チョ・ガプジェ)の超少数派サイトから井戸の外のバンダービルドさん。

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ソ連がマッカーサーに身柄の引渡しを要求した「樋口季一郞」

バンダービルド

1938年3月8日、満州国特務機関長「樋口季一郎」中将にニュースが一つ飛びこんだ。
ナチスドイツの迫害を避け、畜舎のような劣悪な状態の列車にぎっしりと身を寄せた状態で、命をかけてようやく極東地方に避難したユダヤ人が、満州国から入国拒否を受けて、もう身動きができない境遇に陥ったというニュースだった。
気温が氷点下30度まで下がった極限のオトポール駅(ソ連と満州国との間の駅)で足止めされ、ユダヤ人たちは劣悪な環境に放置されてしまった。
これが「オトポール事件」である。
満州国外交部の入国拒否措置について、極東地域のユダヤ人協会会長だった「カウフマン」氏は、日本関東軍諜報機関の首長の特務機関長「樋口季一郞」中将に面会を要請した。
事実上日本の支配下にある満州国で、強大な権限を持つ日本関東軍の核心要職の「樋口季一郞」中将に、入国ビザを発給するよう満州国に命令してほしいと懇願するためだった。

「カウフマン」氏の懇願に接した「樋口」中将は、すぐには返事をしなかった。
当時、日本はドイツと同盟関係だったので、ドイツから逃れてきたユダヤ人たちを救済すると、ドイツから激しい抗議を受けるなど外交問題に飛び火する可能性があった。
併せて、満州国に対し、ユダヤ人に入国ビザを発給するよう「樋口」中将が命令するのは、明らかな行き過ぎに該当する。 
「樋口」中将が悩んだもう一つの理由は、過去「樋口」がロシアに赴任したとき、周囲の人々のほとんどが有色人種だという理由で差別してきたとき、ユダヤ人だけは「樋口」を差別しないで接してくれたという点を忘れることができなかったからである。 
「樋口」中将はしばらく悩んでから「カウフマン」氏に対して言った。

<カウフマン博士、ユダヤ人難民を要求されたとおりに受け入れましょう。これによるすべての責任は私が負います。>

「カウフマン」博士は、その時、その場で泣いてしまった。 
「樋口」中将は、その後一気に必要な措置を取った。
彼は満州国外交部に指示を出して、ユダヤ人難民に入国ビザを発行するよう措置した。
そして満州鉄道社本社の「松岡」総裁に電話をかけて、ユダヤ人を追加輸送するための列車を緊急に手配するよう要請した。
またユダヤ人に衣類や食品を提供し、患者には治療措置をしてあげた。
当時、この「樋口」中将のビザ発給措置で命を救われたユダヤ人は数千人に達するといわれている。 
「樋口」中将の措置を知ったドイツ当局は激怒した。
日本政府に向かって激しく抗議して、「樋口」中将の即時処罰措置を要求した。
これについて「樋口」中将は関東軍本部から出頭命令まで受けた。
しかし関東軍の司令部は、人道的措置によるものだということを勘案して、特別な責任を問わなかった。

以来、本土に人事発令を受けた「樋口」は、北海道札幌に本部を置く北部地域の防衛司令官として赴任した。
そして、その状態で終戦を迎えることになる。
ところが、終戦直後にソ連軍が北方領土を侵略してきた。
ソ連軍は両国間の中立協定を一方的に破棄し、当時日本の領土だった南サハリンと北方の島々を侵略して占領していった。
ソ連の意図は、すみやかに日本本土(北海道)に侵入するというものであった。
終戦後、日本政府の機能が麻痺した状態で、「樋口」司令官は独自の判断で、一戦不辞の覚悟で戦いに出る決断を下す。
そして北方地域に散らばった日本軍を急いで再整備し、ソ連軍の大々的な攻勢に対抗して戦った。
そして、最終的にソ連軍の侵攻部隊を壊滅させることになる。
これにより、ソ連軍の日本本土上陸の願いは失敗に終わる。
激怒したソ連は、「樋口」司令官を戦犯と規定して、日本を軍政統治していた米国に対して、「樋口」司令官の身柄を引き渡すよう要求した。
マッカーサーはソ連のこの要求を断固として拒否した。

以後開かれた東京裁判では、日本軍の核心要職にあった主要指揮官であったにもかかわらず、「樋口」は裁判にかけられなかった。 
「樋口」自身が裁判にかけられなかった具体的な理由を知ったのは、1950年に日本を訪問したアインシュタイン博士を介してだった。
当時、来賓としてユダヤ人のパーティーに招待された「樋口」は、パーティーの幹事の役割を引き受けた「ミハエル・コーガン」というユダヤ人から、今まで自身をめぐって行われた出来事を初めて知ることになる。
ソ連が「樋口」の身柄引渡しを強く要求したとき、きっぱりと拒絶した連合軍総司令部(マッカーサー)の背後には、米国国防総省があった。
そして、このような米国の国防総省の後ろで影響力を行使していたのは、ニューヨークに本部を置いている世界ユダヤ人協会だった。

「樋口季一郎」が満州国の国境オトポールで身動きできなかったユダヤ人たちを救済してくれたおかげで、この時命を救われたユダヤ人のうち何人かが、ニューヨークの世界ユダヤ人協会で働くようになっており、後にユダヤ人協会は、「今こそオトポールで受けた恩を返す時だ!」という内容で、世界各地に散らばっているユダヤ人たちを対象にして、「樋口救命運動」を繰り広げたのだ。
そして、このようなユダヤ系の努力が、最終的に米国国防総省を動かし、国防総省が連合軍総司令部(マッカーサー)を動かしたものである。 
「樋口」がソ連に身柄が引き渡されなかったこと、東京裁判にかけられなかったこと、すべてが凍土の地オトポールで「樋口」から恩恵を受けたことを決して忘れなかったユダヤ人たちが見せてくれた報恩だった。
以後「樋口季一郎」(1888~1970年)は、複数の機関と企業から顧問就任などの要請を受けたが、すべてを断って隠居して、82歳で生を終えた。

バンダービルド

引用ソース
https://www.chogabje.com/toron/toron22/view.asp?idx=&id=139627&table=TNTRCGJ&sub_table=TNTR01CGJ&cPage=1


*どこかモヤモヤした気持ちになるお話です。
もちろん樋口季一郎氏に対してじゃないです。
彼が助かったのは「たまたま」ですよね。
東京裁判と、その裁判で殺された多くの「戦犯」と呼ばれる人は、その「たまたま」の恩恵を受けなかった人ですが、その中にきっと樋口季一郎氏と同じようなまっすぐな人もたくさんいたんだろうなと考えると、本当に胸が痛みます。そういう意味でのモヤモヤです。

杉原千畝氏ほど知られていない、語られないのは何故でしょうね。
こっちの話は関東軍を美化してしまいかねないから語りたくないのでしょうか。
樋口季一郎氏は「軍人」としてがっつり戦ったからでしょうか。
あるいは東京裁判でのエピソードなど、後日談も語りにくさがあるからでしょうか。

ちなみに私は杉原千畝氏の「美談」については、ちょっとしたモヤモヤがあります。
ステキな人道主義者だという思いは変わらないんですが、そのときに大日本帝国政府を単純な「悪役」に設定して善悪二元論的に語る話が多いことに違和感を感じるんです。

違和感を説明するために、たとえ話をしますね。
今、私たち日本国民の多くが、中東の難民の受け入れを拒否してますよね?
仮にもし今、中東の難民を、派遣された一外交官が、「命のビザ」を書きつつじゃんじゃん日本にフリーダムに送りつけてきたらどう思いますか?
もちろん中央政府の政策をあえて無視した一外交官の
独断です。
日本政府側は独断でそういうことをしたその外交官を厳重注意しつつも、送られてやってきた中東の難民のことは、想定外といえど、受け入れて国費で衣食住の面倒を見ることにしました。
仮定の話ですが、仮に今こういうことがあった場合、日本政府は「悪」でしょうか?私たち国民はどう思うでしょうか?

もちろん当時のユダヤ人と今の中東の難民では、置かれてる状況も経緯もまったく違うわけだから、一律に語るべきじゃないというのは分かってます。
分かっててあえて言いたい。
私は杉原千畝氏の「美談」については、ちょっとしたモヤモヤがあります。
ステキな人道主義者だという思いは変わらないんですが、そのときに大日本帝国政府を「悪役」に設定して善悪二元論的に語ることに違和感を感じるんです。
善悪二元論で対立軸を作って語るのは楽チンだけど、そんな単純な話にしてはいけないと思います。








韓国人のコメント


馬登(ハンドルネーム)
感動的です。


ピルタル(ハンドルネーム)
複数の人を救った者でさえ、主要指揮官だったという理由で裁判にかけられなかったことをいぶかしがったという部分から、当時の東京裁判が報復的で懲罰的な裁判であることは知られている事実だけど、改めてそれを感じさせられますね。


キムイルジュン(ハンドルネーム)
良いコラムです。
命を生かすのは善行の中で最も素晴らしい善行です。


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