日本統治下の韓国人の参政権
救国や国益の増進とは何の関係もなかった存在

日本統治下の韓国人の参政権
バンダービルド
更に、1945年4月には改正衆議院選挙法と改正貴族院令が公布され朝鮮半島から7人、台湾から3人が貴族院議員に選ばれ、衆議院についても朝鮮、台湾、樺太に新たな選挙区を設け、それぞれ23人、5人、3人の定数を定めました。
確かに内地に比べて人口当たりの議員数は極端に少ないですが、順次増やしていく予定であり、彼我の経済や教育の水準の違いなどを考慮すれば開始当初としては妥当だったのではないでしょうか。
これに対して、終戦間際のアリバイ作りだという人もいるでしょうが、それは後知恵というもので、8月15日が来るまで日本が負けると思っていたのは詳細に戦局を知り客観的に判断できる極少数の人間だけでした。
それに当時は大多数の日本人が内鮮一体を固く信じており、たとえ戦争に負けたとしても台湾はともかく朝鮮が日本から分離するなどとは夢にも思っていませんでしたから、歩みは遅くとも日本政府は本気で一歩一歩、朝鮮半島出身者の政治参加への道を開く努力をしていたのです。
また、朝鮮半島においては朝鮮出身の日本人に政治家だけではなく高級官僚への道も開かれており、朝鮮総督府では知事13人中5名程度は朝鮮系日本人で主要局の局長クラスにも多数の人間が登用されており、1943年ころになると内地の中央官庁にも朝鮮系日本人が採用されるようになりました。
日本の朝鮮統治は当時世界中で欧米列強により当たり前のように行われていた現地を搾取対象としか見ない植民地政策とは明らかに一線を画していたことは否定できません。
もし、今も日韓併合が続いていれば国会議員の半数は外地から選ばれ、霞が関にも多数の朝鮮半島出身者が勤務し、朝鮮総督府は北海道や沖縄の開発庁のようなものになり、最終的には自ら解体していたかもしれません。
日本政府は併合当初から李王家の当主は王、その親族を王公族として皇族に準ずるとし、朝鮮貴族も日本の華族に準ずる待遇を与え、生まれたときから人権のなかった人たちを救うために奴隷制度を廃止し、かつてないほど学校を増設して教育機会の均等化を図り、創氏改名により名前に基づく差別の解消を試みるなど、一貫して朝鮮民族をなるべく同等に扱おうとしていました。
確かに現在の基準に比べると不十分な点もあり、一部の不心得者が差別をしたかもしれませんが、少なくとも当時のアメリカが日本人移民を排斥する法律を作るなど国をあげて人種差別を行っていたような事実はなく、この問題も他の問題と同様に個人ではなく国家が何をしたのかを見るべきではないでしょうか。
何しろ日本は第一次世界大戦後のパリ講和会議の国際連盟委員会において、連盟規約に人種差別の撤廃を明記するべきだと世界史上初めて提案しているのですから、当時の欧米列強とは違い自国内で人種差別を容認できるはずがありません。
日本政府が朝鮮系日本人に参政権を与えたのは日韓併合以来一貫して漸進的に取り組んできた差別解消を目指した政策の延長線上にあるものだと言えるのではないでしょうか。
おそらく、このような話を現在の韓国人にすれば、十中八九怒り出し「我々は、そのようなことは望んでなかった。」と言うでしょう。
しかし、当たり前のことですが、今の日本人が当時の日本人と考え方が違うように、今の韓国人の考え方と当時の朝鮮系日本人の考え方は違います。
日本政府のそのような政策に対して当時の人々の心境は本当のところはどうだったのでしょうか。
当時の朝鮮系日本人たちは「同じ日本人である自分たちだけが徴兵されないのはおかしい」と、自分たちに徴兵制が適用されないことを不満に思い、併合から23年たった1933年には、朝鮮半島出身者に対しても徴兵制を適用するよう帝国議会に請願書が出されるほどでした。
しかし日本政府としては、もしかすれば自分たちに反旗を翻すかもしれない何万の若者に軍事訓練を施して武器を与えることに慎重になったのか、兵員が充足していたからなのか「時期尚早」と、彼らの願いは退けられました。
しかし、そんな彼らの願いに応えようとしたのか、支那事変が勃発したからなのか、翌1938年度から徴兵制ではなく陸軍特別志願兵制度が実施され朝鮮系日本人にも一般軍人(高級将校や憲兵補助員などの軍属になる方法は以前からあった)になる道が開かれました。
徴兵制は6年後の1944年9月に朝鮮系日本人にも適用されることが決まりましたが、実際の入所が翌年の1月からだったので、全員が訓練期間を終えることなく終戦を迎え、朝鮮系日本人の徴兵兵士は1人も戦地に出征しておりません。
では、実際に戦地で戦った志願兵の実態がどうであったのか、各年度の志願者数と入所者数を見てみます。
30万人もの多くの若者が祖国のため死地に赴くに等しい入隊を希望したという事実は消し去ることはできません。
人それぞれの意見はあるでしょうが、彼らの中には特別攻撃隊に志願した人もいる訳で、彼らは国が変わっても己にできることを出来る限りやろうと、自らの意志で日本人として西欧諸国の植民地支配に対抗すべくアジア諸国解放のために大東亜戦争を戦った誇りある立派な軍人だったのだと私は思います。
そんな彼らは大韓民国設立後、長年にわたり軍隊で主要な地位を占め、朝鮮戦争においても勇敢に戦い祖国を守りぬきました。
そんな祖国の恩人たちを、自分たちの主張を正当化するために「日本に騙された愚か者」「祖国を裏切った親日派」などと売国奴扱いをするのはどうかしているとしか言いようがありません。
日韓両国の国民はともに「歴史を直視」して、日本人はかつて同胞として大東亜戦争を共に戦った韓国人に敬意を払い、韓国人は欧米諸国の植民地支配と戦った自分たちの先祖に誇りを持ってもらいたいものです。
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引用ソース
https://www.chogabje.com/toron/toron22/view.asp?idx=&id=137244&table=TNTRCGJ&sub_table=TNTR01CGJ&cPage=1
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一色正春
元海上保安庁保安官
(主な内容抜粋)
それはどういうことかと言えば、朝鮮や台湾などの外地は、日本と同じ国になったといっても、ついこの間まで違う国であったため、内地とは経済や教育の水準だけではなく、生活慣習、ものの考え方や言語が根本的に違いましたから、当初から憲法をはじめとする日本の法律は一部しか適用されていませんでした。
ですから外地は日本の法律を作る議員を選ぶ場ではないと考えられ、今のように在外投票というシステムがなかったため外地に住む人間は内地出身者であっても選挙区がないため選挙権や被選挙権がなく、反対に内地は日本の法令が適用されているわけですから、そこに住む日本人は出身に関係なく法律を作る議員を選んだり選ばれたりするということです。
つまり日本と朝鮮は併合により同じ国になったため両国の国民は同等の参政権を持つようになったのですが、法律の適用範囲の問題で出身を問わず外地居住民は国政選挙に投票できなかったということです。
そして、内地における参政権は、どこかの国のように空手形ではなく、選挙権に関しては日本語の読み書きができない朝鮮半島出身者にはハングルによる投票も認めており、被選挙権に関しても朝鮮半島出身者の朴春琴が朝鮮名のまま東京の選挙区から衆議院議員選挙に4度立候補し、そのうち2回当選して通算9年間代議士を務めています。
参政権とは読んで字のごとく選挙権と被選挙権に代表される政治に参加する権利で公民権とも言い民主主義国家の根幹をなす権利です。
戦前、日本の議会構成は選挙によって選ばれる代議士で構成される衆議院と、皇族、華族、勅任議員によって構成される貴族院の二院制でした。
戦前、日本の議会構成は選挙によって選ばれる代議士で構成される衆議院と、皇族、華族、勅任議員によって構成される貴族院の二院制でした。衆議院選挙の選挙権は、当初、納税額による制限がありましたが、1925年から25歳以上の日本国籍を持つ男子であれば本籍や納税額に関係なく投票が可能になり、被選挙権(立候補する権利)も本籍(出身地)による制限はなく、日本国籍を有する30歳以上の男子であれば誰にでも代議士への道は開かれていました。
ただし、選挙区は内地に限定されていたため、住む場所によって選挙権は制限されていたと言えます。
戦前、日本の議会構成は選挙によって選ばれる代議士で構成される衆議院と、皇族、華族、勅任議員によって構成される貴族院の二院制でした。
戦前、日本の議会構成は選挙によって選ばれる代議士で構成される衆議院と、皇族、華族、勅任議員によって構成される貴族院の二院制でした。衆議院選挙の選挙権は、当初、納税額による制限がありましたが、1925年から25歳以上の日本国籍を持つ男子であれば本籍や納税額に関係なく投票が可能になり、被選挙権(立候補する権利)も本籍(出身地)による制限はなく、日本国籍を有する30歳以上の男子であれば誰にでも代議士への道は開かれていました。
ただし、選挙区は内地に限定されていたため、住む場所によって選挙権は制限されていたと言えます。
それはどういうことかと言えば、朝鮮や台湾などの外地は、日本と同じ国になったといっても、ついこの間まで違う国であったため、内地とは経済や教育の水準だけではなく、生活慣習、ものの考え方や言語が根本的に違いましたから、当初から憲法をはじめとする日本の法律は一部しか適用されていませんでした。
ですから外地は日本の法律を作る議員を選ぶ場ではないと考えられ、今のように在外投票というシステムがなかったため外地に住む人間は内地出身者であっても選挙区がないため選挙権や被選挙権がなく、反対に内地は日本の法令が適用されているわけですから、そこに住む日本人は出身に関係なく法律を作る議員を選んだり選ばれたりするということです。
つまり日本と朝鮮は併合により同じ国になったため両国の国民は同等の参政権を持つようになったのですが、法律の適用範囲の問題で出身を問わず外地居住民は国政選挙に投票できなかったということです。
そして、内地における参政権は、どこかの国のように空手形ではなく、選挙権に関しては日本語の読み書きができない朝鮮半島出身者にはハングルによる投票も認めており、被選挙権に関しても朝鮮半島出身者の朴春琴が朝鮮名のまま東京の選挙区から衆議院議員選挙に4度立候補し、そのうち2回当選して通算9年間代議士を務めています。
更に、1945年4月には改正衆議院選挙法と改正貴族院令が公布され朝鮮半島から7人、台湾から3人が貴族院議員に選ばれ、衆議院についても朝鮮、台湾、樺太に新たな選挙区を設け、それぞれ23人、5人、3人の定数を定めました。
確かに内地に比べて人口当たりの議員数は極端に少ないですが、順次増やしていく予定であり、彼我の経済や教育の水準の違いなどを考慮すれば開始当初としては妥当だったのではないでしょうか。
これに対して、終戦間際のアリバイ作りだという人もいるでしょうが、それは後知恵というもので、8月15日が来るまで日本が負けると思っていたのは詳細に戦局を知り客観的に判断できる極少数の人間だけでした。
それに当時は大多数の日本人が内鮮一体を固く信じており、たとえ戦争に負けたとしても台湾はともかく朝鮮が日本から分離するなどとは夢にも思っていませんでしたから、歩みは遅くとも日本政府は本気で一歩一歩、朝鮮半島出身者の政治参加への道を開く努力をしていたのです。
また、朝鮮半島においては朝鮮出身の日本人に政治家だけではなく高級官僚への道も開かれており、朝鮮総督府では知事13人中5名程度は朝鮮系日本人で主要局の局長クラスにも多数の人間が登用されており、1943年ころになると内地の中央官庁にも朝鮮系日本人が採用されるようになりました。
日本の朝鮮統治は当時世界中で欧米列強により当たり前のように行われていた現地を搾取対象としか見ない植民地政策とは明らかに一線を画していたことは否定できません。
もし、今も日韓併合が続いていれば国会議員の半数は外地から選ばれ、霞が関にも多数の朝鮮半島出身者が勤務し、朝鮮総督府は北海道や沖縄の開発庁のようなものになり、最終的には自ら解体していたかもしれません。
日本政府は併合当初から李王家の当主は王、その親族を王公族として皇族に準ずるとし、朝鮮貴族も日本の華族に準ずる待遇を与え、生まれたときから人権のなかった人たちを救うために奴隷制度を廃止し、かつてないほど学校を増設して教育機会の均等化を図り、創氏改名により名前に基づく差別の解消を試みるなど、一貫して朝鮮民族をなるべく同等に扱おうとしていました。
確かに現在の基準に比べると不十分な点もあり、一部の不心得者が差別をしたかもしれませんが、少なくとも当時のアメリカが日本人移民を排斥する法律を作るなど国をあげて人種差別を行っていたような事実はなく、この問題も他の問題と同様に個人ではなく国家が何をしたのかを見るべきではないでしょうか。
何しろ日本は第一次世界大戦後のパリ講和会議の国際連盟委員会において、連盟規約に人種差別の撤廃を明記するべきだと世界史上初めて提案しているのですから、当時の欧米列強とは違い自国内で人種差別を容認できるはずがありません。
日本政府が朝鮮系日本人に参政権を与えたのは日韓併合以来一貫して漸進的に取り組んできた差別解消を目指した政策の延長線上にあるものだと言えるのではないでしょうか。
おそらく、このような話を現在の韓国人にすれば、十中八九怒り出し「我々は、そのようなことは望んでなかった。」と言うでしょう。
しかし、当たり前のことですが、今の日本人が当時の日本人と考え方が違うように、今の韓国人の考え方と当時の朝鮮系日本人の考え方は違います。
日本政府のそのような政策に対して当時の人々の心境は本当のところはどうだったのでしょうか。
また、参政権と表裏一体である徴兵制はどのように行われていたでしょうか。
徴兵制というと、私が子供のころから繰り返し聞かされてきたのは「朝鮮は力ずくで日本の植民地にされ、徴兵で兵隊にとられて無理やり戦争に行かされた」というような類の話ですが、はたして本当に朝鮮半島の人たちは命ぜられるまま己の欲せざる戦争に行くような主体性のない人間ばかりだったのでしょうか。
徴兵制というと、私が子供のころから繰り返し聞かされてきたのは「朝鮮は力ずくで日本の植民地にされ、徴兵で兵隊にとられて無理やり戦争に行かされた」というような類の話ですが、はたして本当に朝鮮半島の人たちは命ぜられるまま己の欲せざる戦争に行くような主体性のない人間ばかりだったのでしょうか。
自称「他国を侵略したことのない平和国家」の朝鮮半島には地位や名誉を失い投獄されても徴兵を拒否した、カシアス・クレイのような人は1人もいなかったのでしょうか。
当時の朝鮮系日本人たちは「同じ日本人である自分たちだけが徴兵されないのはおかしい」と、自分たちに徴兵制が適用されないことを不満に思い、併合から23年たった1933年には、朝鮮半島出身者に対しても徴兵制を適用するよう帝国議会に請願書が出されるほどでした。
しかし日本政府としては、もしかすれば自分たちに反旗を翻すかもしれない何万の若者に軍事訓練を施して武器を与えることに慎重になったのか、兵員が充足していたからなのか「時期尚早」と、彼らの願いは退けられました。
しかし、そんな彼らの願いに応えようとしたのか、支那事変が勃発したからなのか、翌1938年度から徴兵制ではなく陸軍特別志願兵制度が実施され朝鮮系日本人にも一般軍人(高級将校や憲兵補助員などの軍属になる方法は以前からあった)になる道が開かれました。
徴兵制は6年後の1944年9月に朝鮮系日本人にも適用されることが決まりましたが、実際の入所が翌年の1月からだったので、全員が訓練期間を終えることなく終戦を迎え、朝鮮系日本人の徴兵兵士は1人も戦地に出征しておりません。
では、実際に戦地で戦った志願兵の実態がどうであったのか、各年度の志願者数と入所者数を見てみます。
1938年に7.3対1の競争率だったのをはじめ、20対1(1939年)、27対1(1940年)、45対1(1941年)、62対1(1942年)とどんどん高くなり、1943年には6000人の募集に対して30万人以上が応募して、50対1以上の競争率になりました。
こういうことを言えば、当時の人たちは「皇民化教育で洗脳されていた」「騙された被害者だ」などと言って反論する人がいますが、はたして昔の朝鮮民族全員が何年間も騙され続けた愚鈍な人間だったのでしょうか。
中には、そういう人もいたかもしれませんが、国力がないばかりに他国に併合され、苦しい生活の中で懸命に生きていた人たちを、今の時代に生きる自分たちの都合のために馬鹿にするのはいかがなものでしょうか。
こういうことを言えば、当時の人たちは「皇民化教育で洗脳されていた」「騙された被害者だ」などと言って反論する人がいますが、はたして昔の朝鮮民族全員が何年間も騙され続けた愚鈍な人間だったのでしょうか。
中には、そういう人もいたかもしれませんが、国力がないばかりに他国に併合され、苦しい生活の中で懸命に生きていた人たちを、今の時代に生きる自分たちの都合のために馬鹿にするのはいかがなものでしょうか。
30万人もの多くの若者が祖国のため死地に赴くに等しい入隊を希望したという事実は消し去ることはできません。
人それぞれの意見はあるでしょうが、彼らの中には特別攻撃隊に志願した人もいる訳で、彼らは国が変わっても己にできることを出来る限りやろうと、自らの意志で日本人として西欧諸国の植民地支配に対抗すべくアジア諸国解放のために大東亜戦争を戦った誇りある立派な軍人だったのだと私は思います。
そんな彼らは大韓民国設立後、長年にわたり軍隊で主要な地位を占め、朝鮮戦争においても勇敢に戦い祖国を守りぬきました。
そんな祖国の恩人たちを、自分たちの主張を正当化するために「日本に騙された愚か者」「祖国を裏切った親日派」などと売国奴扱いをするのはどうかしているとしか言いようがありません。
日韓両国の国民はともに「歴史を直視」して、日本人はかつて同胞として大東亜戦争を共に戦った韓国人に敬意を払い、韓国人は欧米諸国の植民地支配と戦った自分たちの先祖に誇りを持ってもらいたいものです。
バンダービルド
引用ソース
https://www.chogabje.com/toron/toron22/view.asp?idx=&id=137244&table=TNTRCGJ&sub_table=TNTR01CGJ&cPage=1
*一色正春さんのコラムまで読まれてるのね、バンダーさん。
一色さんは、尖閣諸島での中国漁船衝突映像の流出事件において「sengoku38」の名前で映像をYouTubeへ最初に投稿された方ですね。
そして海上保安官を辞められた。
大事なのは「事実」ですね。
ただ、、、
>>日韓両国の国民はともに「歴史を直視」して、日本人はかつて同胞として大東亜戦争を共に戦った韓国人に敬意を払い、韓国人は欧米諸国の植民地支配と戦った自分たちの先祖に誇りを持ってもらいたいものです。
私、これだけは無理です。
100%の感情論で自慢できる意見ではないという自覚もありますが、私には無理です。感情的に無理。
そのぐらい私はあの国がすっかりダイキライ。
韓国人のコメント
・正解と不正解(ハンドルネーム)
良い文ですね。
嘘や歪曲に慣れている韓国人は信じにくいが、
しかしこの主張は、多くの点で事実に合致する真実として信頼できると思います。
・未来指向(ハンドルネーム)
私が趙甲濟ドットコムのサイトに接続する理由の一つは、韓国の歴史教科書はもちろん、国内で出版された教養書籍のどこでも接することができない、こういった知識に接することができるからです。
上記の文の内容が虚偽なのかもしれないが、もし事実だとするならば、なぜ隠すのでしょうか?
・未来指向(ハンドルネーム)
私が趙甲濟ドットコムのサイトに接続する理由の一つは、韓国の歴史教科書はもちろん、国内で出版された教養書籍のどこでも接することができない、こういった知識に接することができるからです。
上記の文の内容が虚偽なのかもしれないが、もし事実だとするならば、なぜ隠すのでしょうか?
*日本ですら公の場ではなかなか語れない、耳にすることができない話ですから…
江藤隆美議員が「植民地時代に日本は悪いこともしたが、良いこともした」という発言が大バッシングキャンペーンの餌食になって長官を辞任したのは1995年のこと。今から20年前の日本の姿です。
「悪いこともしたが、良いこともした」で辞任ですよ。
なんというおそろしい言論弾圧の時代だったんでしょうか。
今もなお、不誠実なサヨクマスコミがこういった「事実」から懸命に目を背けてるけど、少なくとも今はこの程度の発言で大バッシングキャンペーンして辞任に追い込むことはできないレベルにはマシになったかな…
韓国もサヨクも、自分たち好みのストーリーにあわない「事実」はキライなんでしょうね。
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救国や国益の増進とは何の関係もなかった存在
バンダービルド
¶次に提示された5つのうち、救国や国益の増進とは無関係な存在なのに、救国と国益の増進に献身したり提案したりしていた他の四つの存在よりも、今日はるかに韓国のリーダーたちや国民たちからの声援や関心、サポートを独り占めしている存在は?
①国軍戦死者
②李承晩大統領
③6.25参戦戦死国連軍(米軍など)
④国軍捕虜(北朝鮮内にいる)
⑤元慰安婦
☞滅びる民族は、<しなければならない事>、<しなくてもいい事>を区別できず、主に逆のことを行う。
- しなければならない事をせず、しなくてもいい事に熱心な国である。(国が滅びる前兆の一つ)
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引用ソース
https://www.chogabje.com/toron/toron22/view.asp?id=137234&cpage=1&no=120403
バンダービルド
引用ソース
https://www.chogabje.com/toron/toron22/view.asp?id=137234&cpage=1&no=120403
*朝鮮戦争で祖国を守るために戦った英雄が「親日派」として糾弾されてる国ですからね。
前はそういう人のことを可哀想だなと思ったりもしてましたが、今はそういう同情はしないようにしてます。
そういう日本人の同情心まで利用して韓国が「英雄作り」をして反日に邁進してきたことを知ってしまったからです。知れば知るほど馬鹿馬鹿しくなるんだよね。
安重根も、李舜臣も、そして慰安婦も、結局は反日したい韓国人にとって都合のいいヒーローでしかない。
バンダービルドさんの人気コラム(一部)












