韓国内「国民情緒法」の二大山脈
「資本主義(市場経済)」と「思いやり」に慣れていない社会

趙甲濟(チョ・ガプジェ)の超少数派サイトから井戸の外のバンダービルドさん。
 
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韓国内「国民情緒法」の二大山脈

バンダービルド


<全斗煥追徴金特別法>


- 正式名称:「公務員犯罪に関する没収特例法の一部改正案」

-2013年6月27日、国会本会議を通過

- 元々法律で定められていた全斗煥元大統領の追徴の有効期限の時効(2013年10月)を2020年まで延長させて、追徴対象にして、さらに全斗煥元大統領本人以外の第三者(家族など)にも拡大できるように定めた法案

- この法律によって、検察の「追徴金還収チーム」が設立されて、全斗煥元大統領の家族の財産差し押さえが実施されて、2015年の年末基準で1134億が返還された状態



<親日財産帰属法>


- 正式名称:「親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法」

-2005年12月29日制定

- 日露戦争後1945年8月までに発生した親日行為で形成された財産を国家に帰属させるという特別法

- 本特別法制定以前の判例(事例)として、1997年に李完用のひ孫のイ・ユンヒョン氏が、国を相手に出した訴訟で、当時のソウル高等法院第2民事部(裁判長グォンソン)は、1審を破棄して、「国家は、ソウルの北阿峴洞(プガヒョンドン)545番地一帯の先祖の土地(約712坪)をイ・ユンヒョンに返すこと」と命令。 
(判決理由)「反民族行為者の子孫だからといって、財産に対する法律の保護を拒否するのは、法治国家とはいえない。また、反民族行為者を罰し、その財産を没収する反民族行為処罰法が1951年2月​​14日施行から3年で廃止された点と、それから長い歳月が流れているのに、国会が法を制定していなかったのだから、今になって遡及して、過去の業績を正義や観念だけを前に出して問題視するのは、むしろ社会秩序に反するといえる」

- 「親日財産帰属法」は事実上、過去の親日行為とは関係のない、今日の子孫のための法的措置

- この法律によって、国と子孫の間に発生した訴訟93件(2016年2月現在)のうち、91件で国が勝訴して、子孫の財産が国家に帰属処理された(国の勝訴率97%)

- 「子孫はほとんどの財産還収に不服として、行政訴訟と憲法訴願を提起しているが、ほとんどすべてで敗訴して、却下されている」
(ウィキペディア内の本特別法の説明より)


☞上記の法は、直接の当事者ではなく、第3者をターゲットとする連座制の法であり、一部は遡及的な性格まで帯びていて、事実上違憲である。
それにもかかわらず、これらの法が健在なのは、韓国内では憲法よりも高いところに位置する、いわゆる「国民情緒法」が存在するからである。


P.S)

さらには、特定の職にいた盧武鉉氏を大統領にまでしたように、「連座制」から完全に自由化され、民主化(?)された自由な大韓民国が、どうして公平性もなく、特定の人物について「連座制」を行うのか大変疑問だ。
よくよく見ると、この国の国民(韓国人たち)は、特定の性向に所属する人物には限りなく慈悲深くて、その反対側の人物にはどうしてこんなにがめつくて過酷なのか、全く謎である。

- 特定の傾向にいつも利用だけされている「役に立つ馬鹿」(レベルの低い右派)がこの地に多いのも、こういった謎がもたらされた原因の一つのようだ。


バンダービルド

引用ソース
 https://www.chogabje.com/toron/toron22/view.asp?idx=&id=134540&table=TNTRCGJ&sub_table=TNTR01CGJ&cPage=1


*連座制に遡及法、どっちも韓国人の大嫌いな「後進的」なものですね。
これに関する韓国人の議論を見ても、法的妥当性の側面で議論になってるのを見かけたことがないよ。
名分国家なので、「連座制や遡及法を使うべき名分」があれば良いってことになる。
しかも韓国人はこの「名分」を美しくたてることこそが先進的だと勘違いしてたりする。
この韓国人特有の思考様式がわからないので、日本人には韓国が狂ってるように見えるのです。



韓国人のコメント


正解と不正解(ハンドルネーム)
未開人のように行動するから、未開だといわれるんですね。
なぜ未開といわれるのか理解できない人たちが、
また不平を言いたてるような気がします。


アンチバンダー(ハンドルネーム)
こいつは何故、よその国の法律を持ってきて、生意気にどうのこうの言うのか。
お前の国の日本の自衛隊法で、自衛(*自慰)して遊んでろ。 



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「資本主義(市場経済)」と「思いやり」に慣れていない社会

バンダービルド

韓国社会は、世界レベルの経済外形(GDP)に似合わず、「資本主義(市場経済)」マインドと、他人への「思いやり」マインドがアマチュアレベルである。
韓国社会のノーショウ(No-show、予約後に事前連絡なくドタキャン)現象が多くの点で深刻だという。
ノーショウ現象が著しい原因は色々あるが、代表的なものとして、「資本主義(市場経済)」マインドが希薄だという点を挙げることができる。

たとえばレストランで昼食の予約をしておいて、事前に連絡もなくレストランに現れない現象は、「ピークタイムに予約席を空席のままにしなければならない食堂が、他の客を入れられずに損害にあう可能性がある」ということにまで考えが及ぶ「経済マインド」が不足していることが原因と見ることができる。
もしこのような経済マインドがしっかりあれば、予約したものの行けなくなったときに、レストランに事前連絡(予約キャンセル)を必ずするようになるだろう。

【韓国の反応】また韓国が世界一位!「予約して連絡せずドタキャンする『No-show』で世界一位…本当に恥ずかしい習慣」


今回、市中のある業者が、国家機関傘下の団体に寄付(衣類など)をした後に勃発した事態も同じである。
何らかの事情によって、この団体は寄付された物品を処分することになったわけだが、ここに「資本主義(市場経済)」マインドが団体関係者にはあまりにも希薄だったという情況が感じられる。
寄付された物品を安値で第3者に売り渡したと現在は知られているが、もし団体の関係者が、最小限の「資本主義(市場経済)」マインドを持っていたなら、このようなことは発生しなかっただろう。
市中のモノの価格が形成されるのは、基本的には需要と供給によるものであり、それは経済の基礎知識である。
それを知っていれば、寄付した企業を危険に陥れることになる処理(安値で企業の物品を売却)だということが分かるからである。
また、このような場合、物品売却(現金化)に先立って、少なくとも最初に寄付した企業に事前に意見を聞いてみるのが基本的なマナーである。

【韓国の反応】「反日愛国詐欺師ソ・ギョンドクが韓国企業から金を巻き上げたゲスい手口」


ピークタイムに予約席を維持されたせいで、損害を受ける可能性のあるレストラン所有者の心情になって考え
る「思いやり」が不足しているし、安値で売られた物品のせいで、同じ商品を販売している寄付企業が直面する困難な状況を察してみる「思いやり」が不足している。
そのせいで最終的にノーショウが発生し、寄付をめぐる葛藤も発生するのである。
一日も早く、外形(GDP)にふさわしい「資本主義(市場経済)」マインドと「思いやり」のマインドを備えなければならない。
そうしてこそはじめて、お互いに楽になる。

バンダービルド

引用ソース
https://www.chogabje.com/toron/toron22/view.asp?idx=&id=134565&table=TNTRCGJ&sub_table=TNTR01CGJ&cPage=1


*バンダーさんのコラムに限らず、韓国人の書いたものを読んでて違和感を覚えるのは「先進国は思いやりがある」というような主張。
そのせいで韓国人は、途上国(後進国)に対してあまりにも失礼な発言をナチュラルにする。ナチュラルすぎてビビる。

日本メディアはどっちかというと、「コンクリートジャングルで触れ合いがなくなった日本!それに比べて、途上国は人との繋がりが密で情があって暖かい」みたいな感じで語るのが好きだったりするし、それに日本人は慣らされてるから尚更ね。(とはいえ、途上国だから暖かいみたいな主張もどうかと思うけどさ。こっちにも上から目線を感じるときがある)

いずれにせよ「先進国は思いやりがある」というような主張は、なんか違う気がする。
先進国と後進国を隔てるものって、そういった「情」じゃないと思うんだけどな。
大事なのは「法の支配」だと思う。
で、それとは別に「不文律」がある。

どの国にも法律にはなってないその国の不文律があって、みんな無意識のうちに守りながら生きているってだけじゃないかなと思う。
悪い言い方をすれば同調圧力。これも無意識に守ろうとする。
日本社会の最も大きな不文律は「他人に迷惑をかけない」だと思う。
ものすごーく曖昧だけど、日本人が思う以上に社会を良い意味でも悪い意味でも縛っている。

韓国社会の不文律or同調圧力には、「情を強要する」があると思う。
バンダービルドさんがせっせと訴えてる「思いやりを持って先進国になろう!」も、ある種の「情の強要」だと思うんだよね。

「情を強要する社会」は、シンドイと思う。
確かに思いやりは大事なんだけど、違和感がぬぐえない。


バンダービルドさんのコラム(一部)
【韓国の反応】ある韓国人の悩み「いつからか韓国の歴史教科書の記述が主観的で偏向していると思うようになり、信じられなくなってしまいました」