日本が、韓国の過去の臨時政府に関心があるだろうか?
[寄稿]臨時政府を否定する日本の内心

上の記事は、いつもの趙甲濟(チョ・ガプジェ)の超少数派サイトから井戸の外のバンダービルドさん。
下の記事は、バンダービルドさんの記事に登場する朝鮮日報への
保坂祐二の寄稿記事。
 
非常に興味深いです。
このあたりのことって、韓国の反日を知るうえで欠かせない話なんですよね。


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日本が、韓国の過去の臨時政府に関心があるだろうか?

バンダービルド

29日、朝鮮日報は、『臨時政府を否定する日本の内心』という記事(寄稿文)を掲載した。
韓国に帰化した日本出身の大学教授記事で、初まりはこうだ。

「現在、日本では、臨時政府の歴史的意味を否定しようとする言説を簡単に見ることができる。出版物やインターネットサイトを通じて…云々と今の大韓民国の起源を否定して、その地位を地に落とそうとする意図を見せている。

日本側が、特定の意図(本音)で、今の韓国の過去の臨時政府を否定しているというようなニュアンスである。
しかし、率直に言って、今日の日本政府や国民は、韓国の過去の臨時政府に関心を持つ理由が全くない。
関心どころか、たいして(正しく)知らないだろう。
韓国の臨時政府に関心がある可能性のある日本人は、専門の歴史学者など、特に韓国に関心を持っている少数である。

寄稿は、日本国内の出版物やインターネットに、韓国の臨時政府と関連して、以下のような、韓国の位相を落とすための言説(3つ)があると主張した。
 
「臨時政府は国際社会で正式国家として認められたことはない」

「連合国の勝利で韓国が独立したのであって、臨時政府が韓国を独立させたのではない」

「韓国国民が自らの力で独立を勝ち取ったのではない」


しかし、これら3つすべて、韓国の立場では気分が悪いだろうが、明白な事実(Fact)に該当する。
メディア、出版、調査、表現の自由が保障された自由民主国家(日本)が、Fact(上記の3つ)に該当する内容を、私たち韓国が気に入らない内容だという理由で、日本国内で言及してはならないという法のようなものでもあるのか?

「臨時政府が大韓民国誕生に決定的役割をしたことを明確に知ることになる。…蒋介石が韓国の独立を支援すると約束して、その後カイロ会談で連合国相手に韓国を適切な時期に独立させるという合意を引き出し、中国軍と光復軍が抗日戦に参加したこと全部、臨時政府の抗日闘争がなかったとすれば不可能だった…」
とも書いている。

カイロ会談で蒋介石が果たした役割(韓国を独立させなければならないという主張)は、やや誇張された側面がある。
米国側の公式書類によると、会談時(1943年11月22日)にルーズベルトは、既に先に「韓国の未来とインドシナおよび他の植民地との相互理解を共にしなければならない」という意見を出したことが知られている。
むしろ蒋介石は、日本の降伏(8月15日)後も、韓国臨時政府の承認要求を拒否したことがあることが知られている。
寄稿者は、臨時政府の光復軍が抗日闘争に参加したと書いたが、実際は光復軍はこれといった闘争の実績が皆無である。 
1940年に組織されて、5年間準備だけして、そのまま終わった。
これと関連しては、韓国内の資料(韓国民族文化大百科)ですら、以下のようにまとめている。

「…日本の無条件降伏のため、実行に移す直前にキャンセルされて計画が失敗に終わってしまった。金九は『千辛万苦で数年苦労して参戦する準備をしたこともあるが、無駄であった』と日本の降伏を嘆いた…綱領を実践するためには、光復軍の国内進攻作戦が実現されるべきだったが、実現の直前に日本が降伏してしまったので、戦後、韓国の独立問題について、臨時政府の発言権がなくなってしまった。日本が降伏した後…米軍政当局は、臨時政府を認めなかったし、光復軍にも武装解除を要求した。そのため、臨時政府の要人は、個人の資格で帰国するしかなかったし、光復軍も武装解除した状態で帰国するしかなかった…」
韓国民族文化大百科「光復軍」の説明の中より。


寄稿はまた、
阿部信行朝鮮総督は1945年8月10日、ラジオの短波放送を通じて、日本の降参をあらかじめ知ったので、呂運享(ヨ・ウニョン)を訪ねて韓国の治安維持権限を委譲した。
朝鮮総督府は事実上、韓国に降参したのだ。
と書いた。

すでに米国側の二度の原子爆弾投下(8月6日、9日)で敗北が確定した日本が、韓半島内の日本人の無事帰国の現実的必要性などのため、特定の韓国人に治安維持権限を移譲したことが、どうして「日本が事実上韓国に降伏したもの」と言えるのか?
論理の飛躍もほどほどにして欲しいものだ。
そして、記事内容には「シゲミツ・アオイ」という名前があるが、当時の日本外相の名前は「シゲミツ・マモル(重光葵)」である。名前の誤りである。

結論として、今日の日本政府や多くの日本国民は、韓国の過去の臨時政府には現実的に関心などない。
したがって「臨時政府を否定する日本の内心」というタイトル自体、まず「過剰」に該当する。
日本が、韓国の過去の臨時政府を否定する特別な意図(本音)でもあるかのようにタイトルを付け、併せて、事実(Fact)に反する内容も多く、この記事は、ためにする「反日性の記事」に近いと見ることができる。

バンダービルド

引用ソース
https://www.chogabje.com/toron/toron22/view.asp?idx=&id=133580&table=TNTRCGJ&sub_table=TNTR01CGJ&cPage=1


>>29日、朝鮮日報は、『臨時政府を否定する日本の内心』という記事(寄稿文)を掲載した。
韓国に帰化した日本出身の大学教授記事で、初まりはこうだ。

この「韓国に帰化した日本出身の大学教授」というのは、韓国ウォッチャーの間では有名な保坂祐二です。
保坂祐二の話が載ってる過去記事は↓これ。


【韓国の反応】「ドイツ人、日本人、アメリカ人、世界の賢者が韓国を冷徹に批判する」

この例え方は誤解を生むので好きじゃないんですが、ある意味、日本人にとっての呉善花さんが、韓国人にとっての保坂祐二と言えるかもしれない。

保坂祐二の論理の最大の問題点は、「先入観なく事実を見て、事実に立脚して考えを導く」のではなくて、「結論ありきで、事実を都合いいように歪曲したり解釈したりする」こと。


韓国人のコメント


正解と不正解(ハンドルネーム)
地球のすべての人類が韓国に多大な関心があると信じている韓国人たち。
一言でいうと、地球が韓国を中心に回っていると信じている子供が、まさに私たち馬鹿韓国人の考えです。


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*以下、朝鮮日報に寄稿された保坂祐二の記事です。

[寄稿]臨時政府を否定する日本の内心

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保坂祐二、独立記念館非常任理事・世宗大教授 

明日は第97周年3・1記念日だ。
ウィルソン米国大統領の民族自決の原則にのっとり、世界史上初めて、非暴力運動によって、植民支配下にあった民族が独立を訴えた運動だった。
日帝は無慈悲にこの運動を弾圧したが、その後、韓国に対する武断統治を終わらせて、出版・メディアなどに一定の自由を与えるようになった。 

この3・1独立運動が、大韓民国臨時政府の樹立につながったのは周知の事実だ。
現在、日本では、臨時政府の歴史的意味を否定しようとする言説を簡単に見ることができる。
出版物やインターネットサイトを通じて、「臨時政府は国際社会で正式国家として認められたことはない」「連合国の勝利で韓国が独立したのであって、臨時政府が韓国を独立させたのではない」「韓国国民が自らの力で独立 
を勝ち取ったのではない」云々と今の大韓民国の起源を否定して、その地位を地に落とそうとする意図を見せている。 

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臨時政府樹立80周年資料展示会で公開された独立宣言書


しかし、歴史を正しく見れば、臨時政府が大韓民国誕生に決定的役割をしたことを明確に知ることになる。
1932年4月29日、上海の虹口公園で開かれた日王誕生日祝いと日本軍上海占領戦勝記念行事で、臨時政府が送った尹奉吉(ユン・ボンギル)義士が爆弾を投げた。
その後、ユン義士は死刑宣告を受けて、その年の12月19日、日本の金沢で銃殺された。
ところがこの義挙に接した中華民国の蒋介石は、「中国の100万大軍もできないことを朝鮮の一青年がやり遂げたのはすごい」と感心して、その後、金九(キム・グ)率いる大韓民国臨時政府を全面的に支援した。 

蒋介石が韓国の独立を支援すると約束して、その後カイロ会談で連合国相手に韓国を適切な時期に独立させるという合意を引き出し、中国軍と光復軍が抗日戦に参加したこと全部、臨時政府の抗日闘争がなかったとすれば不可能だった…

阿部信行朝鮮総督は1945年8月10日、ラジオの短波放送を通じて、日本の降参をあらかじめ知ったので、呂運享(ヨ・ウニョン)を訪ねて韓国の治安維持権限を委譲した。
朝鮮総督府は事実上、韓国に降参したのだ。
この時、建国準備委員会を発足させたヨ・ウニョンは1919年、在日留学生の2・8独立宣言と3・1運動に関与し。臨時政府創建に力をつくした人物だ。 

1945年8月15日、日本が無条件降伏して9月2日、降参文書に署名した時、署名したシゲミツ・アオイ外相は、ユン・ボンギルの爆弾投擲で片方の足を失った人物だ。
こういう歴史は臨時政府が韓国の独立を引き出すうえで力を使ったことを証明している。
1966年、朴正煕(パク・チョンヒ)大統領が台湾を訪問した時、蒋介石総統は、「尹奉吉義士の家族は元気か?」と訊ね「帰国したら良く世話することを願う」とお願いしたと伝えられる。 

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1946年2月中旬「民主主義民族戦線」が結成されたとき密談を交わす呂運亨(右)と朴憲永


1948年8月15日、大韓民国樹立当時、李承晩(イ・スンマン)大統領をはじめとする政府要人は、ほとんどみな臨時政府出身だった。
従って大韓民国政府は臨時政府を継承したのが事実だ。
日本の著名ジャーナリストの中には、「韓国は臨時政府を継承したという神話を作って反日運動に熱を上げている」という非常識な批判をする人もいる。
日本が韓国と友好関係を望み韓・米・日共助を望むならば、このような誤った認識を広める言説や報道を自制しなければならない。 

引用ソース
http://premium.chosun.com/site/data/html_dir/2016/02/29/2016022900433.html


韓国人のコメント


・二度の国共合作で抗日戦線を作って、第二次世界大戦の戦勝国となった蒋介石総統。
しかし毛沢東の共産党を信じてたという間違いと、彼の軍隊が腐敗して台湾に追い出させる境遇になった。
しかし、この方は、韓国の独立運動を助けてくれた恩人である。
台湾の立場から見れば、私たちは裏切り者に映るだろう。
歴史を正すには、本当の恩人に感謝する心が必要だ…毛沢東ではない。
賛成46反対0

・↑毛沢東は、自分の夫人(江青ら四人組)と最側近を利用して、文化革命を主導して、劉少奇や彭徳懐(6.25当時の中国軍の総司令官)など数百万人の自分の国民を虐殺して、金日成を助けて、大韓民国の南侵に加担した元凶だ…


・大韓民国の社会は、独立運動家や愛国者が迫害されて、戦没将兵の家族が貧しく生きている…本当に奇妙な国だ…
賛成23反対1


・否定も歪曲もなく、弱くてみすぼらしかったとしても、独立して抗日に命をかけた人のため、事実をそのまま見て評価する必要がある。
賛成21反対0


・記事をいくら読んでも、臨時政府のおかげで独立したという証拠は全くないように見えますね。
臨時政府、蒋介石、全面的な支援、抗日戦…こういう言葉は見えますが、そのために日本が降伏したという根拠がどこにあるのか?笑わせる。
賛成12反対45

・↑インドの独立において、「非暴力平和闘争をしたガンジーは独立に貢献していない」という言葉と同じだ。
また、「柳寛順烈士は非暴力平和運動をしたので独立に貢献していない」と言うようなものだ。
植民地時代にあなたの祖父は何をしていたのか?
反省するべきではないか?

・↑インドの非暴力平和闘争は、国際社会の注目を受けて、文明国だと自負していたイギリスが巨大な政治的圧力を与えたにも関わらず、独立に決定的な寄与を果たしたのが明らかである。
韓国の臨時政府は、誰にも公式に認めておらず、日本政府からの、政治的・軍事的圧力はほとんどないといっても過言ではない。
インドとごり押し比較せず、事実に基づいて反論する証拠がないのか。


・蒋介石は臨時政府を公式に認めることを拒否し続けていたのに、なんという出鱈目だ。
ルーズベルトと蒋介石、チャーチルの会談内容を記した米国務省の記録を見ると、蒋介石は韓国の独立にあまり興味を示さなかったとある。中国の昔の影響力を回復しようとする野心があった、つまり朝鮮の宗主国に復帰しようという意図を持っていたと書かれている。
そして、臨時政府の光復軍(300人ほどの貧弱な兵力)は、抗日戦に参戦したことなどない。
賛成10反対33

・↑光復軍が抗日戦に参戦していなかったという論理は全く変ですね。
それは、朝鮮戦争時に、後方から支援した部隊は戦争に参戦していなかったというようなものだ。
300人でも30人でも、国を取り戻すという意志で光復軍をサポートしたことそれ自体で、抗日戦に参加した神聖な私たちの先祖です。
なぜそのように貶めるのでしょう!
第2の尹奉吉が300人もいたのに、それが意味のないことでしょうか。


・日帝当時、中国人の人口が4億~5億人もいたのに、安重根義士や尹奉吉義士のような英雄が一人もいなかったという事実を知っているか?
日本が満州を食べ、上海や南京まで食べて、中国人30万人を爆弾で殺害しても、中国には安重根や尹奉吉のような義士が一人もいなかった。
賛成9反対1


・日本がこのように韓国を蔑視するのは、密かに「お前たちはまだ私達の植民地」という評価だということだ。
実際は、日本の朝鮮併合の成功は、極左1党独裁政権の貢献であった。
日本の妄想は、米国を除くと、歴史的に日本を支配した国はないという無限の誇りに基づくところが大きい。
いつか機会があれば日本を武力占領して、一度同じ目にあわせなければならない。
そうすればそんなことは言えなくなるだろう。
賛成9反対0


・保坂教授の文を読みながらいつも感じるのは、彼はいつも事実に立脚して文を書くということである。
歴史的にも韓国と日本は高句麗の血を分けた兄弟民族である。
そのような点で、感情的な文ではなくて、保坂祐二教授のように、事実に基づいた文章こそ説得力を持つ。
このような方と一緒に息をしていることが幸せである。
賛成8反対0


・大韓民国の建国の時点について、上海臨時政府の起源に反対し、1948年に国連主導下で政府が樹立されたと主張する人がいて、それが適切なものという大勢が構成されてきたが、上記の日本の学者の主張のように、悪賢い日本人の戦略に対抗するためには、独立の源を臨時政府に統一させなければならないようだ。
国内の歴史学者たちの相対的な無知と、戦略不在の国のせいで、未来のために悪い取り組みをしてるのが嘆かわしい。
賛成8反対0


・蒋介石が自国の利益を考慮したのは驚くことではない。
クジラ中国が、いつ私たちを独立国として明確に認めたのか!力のない国の悲しみだ。
しかし、臨時政府が、その難しさにも関わらず、命脈を続けて、日本に国を奪われた時代を代表することができたのは、臨時政府を最後まで引っ張ってきた方々と、その方たちの意を認めてくれた蒋介石の力が大きいといえる。
賛成8反対1


・尹奉吉義士爆弾投擲時に足をやられた日本外相は、シゲミツアオイではなくてシゲミツマモル(重光葵)。
降伏文書への署名時、米海軍ミズーリ号艦上で杖をついた彼の記録写真も残っている。
間違いを指摘したら、修正する考えはなくて、コメントを削除するなんて。
概念のない朝鮮ドットコム編集者。
賛成4反対0

 
・シゲミツ「マモル」を「アオイ」と間違って表記したのは朝鮮日報の間違いだと思う。
保坂教授は日本語で原稿を書き、重光葵と漢字で書いたのだろう。
問題は、葵は一般的なアオイ科の植物(葵など)を意味するが、人の名前として使うときは、たまにマモルとも読むということ。
日本語はこれだから困難。
賛成4反対0


・最近の約5年間で私は「日本人は果たしてどの程度正直?」というテーマで各種印刷物を説明しました。
多数の日本人が自分たちを「非常に正直な国民」と確信している傾向があるからです。
得られた結論は、「国民は概して正直だが、政治指導層やオピニオンリーダーや歴史学者らは、体質的な嘘つきが少なくない」です。
この記事を読んで、その感じを確認できました。
賛成2反対0


・よく整理された文をありがとうございます、保坂教授…
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