日本人にはあって、韓国人には相対的に不足しているもの

趙甲濟(チョ・ガプジェ)の超少数派サイトから井戸の外のバンダービルドさん。

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日本人にはあって、韓国人には相対的に不足しているもの

バンダービルド

最近の韓国内の雰囲気(反日)を見ていると、韓国人たちは主に、被害意識、復讐心、言い争い、偏狭さ、執拗さなどの否定的な要素が際立つようだ。
一方で、寛容や大胆さ、上品、気品など、相手を感動(感激)させる良いものはほとんど行方不明になっているようだ。
 
今のような韓国の国民性のレベルでは、絶対に日本に追いつくことができない。
一介の国民一人が見せる上品(気品)さが、国益に大きな寄与をした事例がある。
隣国の事例である。

 
美海軍提督を変えたもの

2014.4.30 趙甲済ドットコム内メンバーディスカッション

「アーレイ・アルバート・バーク」(Arleigh Albert Burke、1901~1996年)は、第二次世界大戦と韓国戦争(6.25)を推進した米国の海軍提督であり、アイゼンハワーとケネディ政府当時、海軍参謀総長を務めた人物である。
米海軍の歴史の中で唯一、「海軍参謀総長」の職を3回も再任するほど優れた人物であり、現在の「米海軍の父」と呼ばれている。
彼は功労を認められて、まだ生きている人物にもかかわらず、米艦艇にその名がつけられ、「神の盾」イージス艦の土台となる革新的な駆逐艦「USS Arleigh Burke(DDG-51)」が1991年に就役した。
現在、「Arleigh Burke-class destroyer」と命名された主力イージス艦が、米海軍で60台以上運用されている。

アーレイ・バーク提督は、参謀総長在任時代から、韓国海軍の戦力増強に大きな助けを与えた。
バーク提督は就任翌年の1955年から、輸送艦・掃海艦などの支援をしただけでなく、護衛艦、上陸ロケット艦などの戦闘艦を韓国に導入してくれたし、5年間で引き渡された艦は合計35隻で、おかげで韓国海軍は、掃海、護送、機雷敷設、対艦対潜作戦など、様々な作戦を立体的に行うことができるようになった。
韓国海軍の近代化と戦力増強に大きく寄与したバーク提督の業績を称える意味で、「故アーレイ・バーク提督胸像除幕式」が2012年11月鎮海海軍士官学校で行われている。

第2次世界大戦当時、南太平洋で日本と海戦を行ったバークは、戦争が完全に終わった後も、日本に対して極度の反感を持っていた。
フォーマルな場でも、「ジャップ(Jap)!」 「黄色い猿!」というふうに日本を軽蔑して憎悪した。
しかしバークは、戦後日本派遣時代、「草鹿任一」(1888~1972年)元日本海軍中将と知己となって、以前とは態度が変わって、日本が早く被占領の身分から抜け出せるよう尽力し、「日本の海上自衛隊」の創設にも多大な貢献をすることになる。 
「海上自衛隊の父」と呼ばれるほど日本に貢献したバークは、功労を認められて、1961年に日本政府から「勳一等旭日大綬章」を授与されるに至る。

しかしバークが日本への態度を劇的に変えることになったきっかけは、別のところにあった。 
6.25当時、バークは少将の階級で極東アジア海軍副司令官として日本の「横須賀」に赴任することになる。
猛将として知られているバークは第2次大戦当時、いくつかの駆逐艦を率いて、南太平洋のソロモン海域で日本海軍と命をかけた熾烈な戦闘をしてきただけに、彼の日本への反感と敵意は、通常ではなく、当時の彼はしぶしぶ命令に従って日本に赴任にしたと見ることができる。

ところが彼は、泊まった日本帝国ホテルで予想外の経験をすることになる。
6.25当時、休戦交渉のための国連代表でもあったバークは、北朝鮮との交渉が難関にぶつかるなど、さまざまな問題のために非常に疲れて鋭敏になる日々が続いた。
韓半島と日本を頻繁に行ったり来たりする必要のあったバークは、宿泊施設の帝国ホテルに着いたとき、いつでも従業員から「ようこそ、お疲れ様でした」という親切な挨拶を聞き、韓国に出発するためホテルを出るときは必ず「どうかごゆっくり行って来てください」という挨拶を聞いた。
当時、戦争で先行きの見えない時代状況で、簡単に聞けないこういった友好的な挨拶は、少しでもバークを楽にしてくれた。
ところで、バークがホテルに泊まるとき、彼の部屋には花が一輪ずっと置かれていた。
造花ではない新鮮な生花で、毎日違う種類の花に変わった。
バークはホテルがもともと提供してくれるサービスだろうと思っていたが、事実はそうではなかった。
バークは、自分の部屋を担当している女性従業員が、自分がもらう給料の一部で、花を毎日新しいものに変えていたということを知ることになる。
提督は彼女を呼んで感謝の言葉を伝え、いくつか会話を交わした最後に、彼女が戦争未亡人で、夫は海軍将校として駆逐艦に乗っていたという事実を知ることになる。
そして、まさにバークが活躍していたソロモン海域で戦闘中の駆逐艦と共に散華していたことを知ることになる。

話を聞いたバークは、いくら猛将だったとはいえ、精神が狼狽して、その場で、「あなたの夫を私が殺したかもしれません。何卒ご容赦ください」と言って謝罪の意を伝えた。
すると、彼女はまったく乱れずに答えた。

「いいえ。提督が私の夫を殺したとしても、悪いのは『戦争』です。提督がその時に何もしなかったなら、提督が死んでいたかもしれません。提督は間違っていないし、悪いことは一つもありません」

その場でバーク提督は、何かに大きく頭を殴られた気分になってしまった。
そして、「私はなぜ日​​本をこんなに嫌いなのか?私が頑固者ではないか?」という考えを持ち、その日以降、バーク提督の日本への考えは完全に変わった。

以来バーク提督は、米国政府相手に説得に出ることになる。
日本海軍の復活を警戒していた米国政府は、提督の情熱的で粘り強い説得で、日本に対して、「海上警備隊」の創設を許可することになる。
しばらくして米海軍の最高幹部である参謀総長の座に上がったバークは、日本の海上自衛隊に向けた支援に一層積極的に出ることになる。
その代表的な事例が「域外造船」だ。
域外造船は、米国政府の予算で、外国の艦艇を該当の外国で建設するもので、敗戦国でこの恩恵を享受したのは日本が唯一だった。
日本の域外造船について、日本海軍力の復活を懸念する反対派が米国政府内で非常に強かったが、提督は、このようなすべての反対を抑えた。
併せて、PV2という対潜哨戒機の供与をしたのも代表的な事例である。
米国ロッキーダイヤモンド社で製作されるとすぐに、日本の海上自衛隊に16機供与された、
この飛行機は最新鋭機で、当時の米海軍にもほんの数機しかなかったので、当時米第7艦隊所属のパイロットと将校たちが海上自衛隊に「P2V」を見学しに来るほどだった。

バーク提督は生前に多くの功労をあげて、米国政府からはもちろん、外国からも多くの勲章を受けたが、彼の葬儀の時は、彼の遺言に基づいて、他のすべての勲章をすべて除外して、唯一日本からもらった勲章だけを彼の胸に付けて葬儀を行うほどになっていた。 

「反日闘士」だったバーク提督の心を動かし、結果的に祖国(日本)の国益にまで寄与することになったのは、戦争未亡人の小さな「真心」と「上品(気品)さ」だった。


バンダービルド

引用ソース
https://www.chogabje.com/toron/toron22/view.asp?idx=&id=133619&table=TNTRCGJ&sub_table=TNTR01CGJ&cPage=1



*フィクションも混ざってそうですが、いい話だなと思います。こういう話、好き。
日本人好みの話だね。


ところで質問です。
もしも米国が韓国で、日本が韓国に対して同じような態度をとったら、結果的にどうなるでしょうか?

韓国なら、「ウリナラが勝ったから日本人はおとなしく従うようになったんだ」と把握しそうです。
「自分たちが上位である、甲である」という認識を深くしそうです。
マウンティングで日本が腹を見せたと把握して、「ウリの命令に従え!」となりそうです。
ますますタチの悪い要求を重ねてくるようになりそうです。

日本式の美徳、私は、少なくとも韓国に対しては使うべきじゃないと思います。



韓国人のコメント

正解と不正解(ハンドルネーム)
上品さ。
韓国では、大統領からも見るのが難しい品が、日本だとホテル従業員にも存在している。
そこから私たちは何を感じるべきか。
良い文でした。
上品さをもう一度考えさせてくださって、ありがとうございます。


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