「鉄条網=強制労働」という飛躍した記事
「鉄条網=強制労働」という飛躍した記事バンダービルド連合ニュースは12日に、「『半島人が逃げるのを防止するために2mのフェンスを新築』…朝鮮人強制労働文書を発見」という記事を出した。連合の記事では、「逃げるのを防止するための鉄条網の新築は、当時の朝鮮人が強制的に動員され、事実上監禁状態で強制労働に苦しめられたことを示す明確な証拠だと見ることができる」という主張で、「鉄条網=強制労働」というふうに飛躍させた。日本の炭鉱が、過去に作成された3ページの文書(物資明細書)の内容の中に、「半島人の逃亡を防ぐため、合宿所の周りに高さ7尺を延長して140間(1間1.818m)の有刺鉄線を新築せよ」というフレーズが入っているのが発見されて、今回記事化されたものだ。ところが正確に言えば、文書を介して明らかになったのは、「(炭鉱で)朝鮮人の逃亡を防ぐため、鉄条網を新築する指示が下された」という内容だけである。記事に出てくる「強制労働に苦しんでいたことを示す明確な証拠」という表現は恣意的主張であり、ただの推定である。記事の主張が無理筋だというのはすぐに分かる。常識的に考えて、本当に「強制労働」なら、その施設には最初から何よりも優先的に鉄条網を設備して完全に設置されているのがむしろ正常であり、常識的だからである。逆説的に、強制労働ではなかったので、最初は鉄条網が必要なかった状況だったが、途中から制御不可能な重大な問題(朝鮮人が大挙して逃亡する)が発生して、当初の計画になかった措置(鉄条網)が途中から出てきたとみなすのがむしろ妥当に見える状況である。また、逆説的に強制労働ではなかったという可能性が、記事の内容の中に出てくる。つまり、「徴用された労働者11万3千51人のうち、51.7%の5万8千471人が脱出したという記録がある」という部分である。徴用者の半分以上がエスケープ(逃亡)したというもので、もし当時、本当にしっかりとした「強制労働」だったら、脱出はほぼ不可能だったと見るのが常識で論理的な判断となる。「強制労働」に苦しむ人々は、現実的に、チャンスさえあれば突破口を求め、各種の試み(暴動など)をする可能性が大きいので、万一に備えて、周辺には銃で武装した見張り役がいて、場合に応じて、主要拠点には重火器(機関銃)まで配置されているのがリアルな現実の姿である。つまり、当時本当に「強制労働」システムだったら、脱出成功者数はほぼ僅かな水準になるし、実際に脱出しようとしたり、あるいは暴動などが発生していたら、悲惨な結果で終わっていた場合がほとんどだっただろうということだ。もしそうなら、(脱出者の射殺など)「強制労働」の問題は、これまで70年間も眠っていた可能性などありえないし、解放と同時に国際社会で大きな問題になって、ドイツのユダヤ人虐殺レベルですでに取り上げられていたものである。最終的に、なんと50%以上もの朝鮮人が「無事に」逃げることができたという現象が物語っているのは、逆説的にみて、「強制労働」ではなく、むしろ当時どれだけ人材統制(管理)をしてなかったのか推察できるというだけである。また、注目すべきことは、記事に出てきた50%以上の逃亡者の集計の基準の地点が、1943年末だという点である。朝鮮人の徴用は1944年9月から終戦まで約1年程度実施されたものだと知られている。1943年に、朝鮮人が日本軍に志願入隊しようとして、列を作って数十倍の競争率になった現象だけを見ても、朝鮮人への徴用が1944年以降だったという話が妥当だということを示唆している。次に、理論上、記事の中で「日帝治安局の特別高等警察が1944年9月3日に作成した『半島人労務者に関する調査票』によると、1943年末現在、福岡に強制徴用された労働者11万3千51人のうち51.7%の5万8千471人が脱出したという記録がある。」という表現は、ちょっと奇妙なものとなってしまう。徴用開始時点が1943年だということを、記事がその前に言っているからである。つまり、以下のうちのどちらかである。記者が書いたように、(これまでの日本側の主張とは違って)1943年以前からすでに朝鮮人の徴用があったか、そうでないなら、日本が1943年末の時点で作った「半島労働者に関する調査票」は、徴用者のことではなく、自由就業者を対象にして集計したものであるか、だ。もし第二がFactなら、「1943年末現在、福岡での労働者11万3千51人のうち51.7%の5万8千471人が脱出した記録がある」と書いてこそ正しい記事だが、記者が「強制徴用された」という表現を追加して「…福岡に『強制徴用された』労働者11万…」というふうに加筆したことになる。徴用以前は、主に自由意思による雇用だったことを勘案すると、徴用が始まった時点(1944?1943?)の後の場合は、日本国内の炭鉱などで、自由就職であらかじめ勤務していた朝鮮人に加えて、後に徴用によってやってきた朝鮮人が合流したという状況が発生したとみることができる。同じ職場で同じ仕事をしていたわけだが、理論上「自由就職出身」と「徴用出身」がいたということである。そのため、日帝がしっかりとした管理をしようとしたなら、自由就業者と徴用者を区別するために、徴用者のことは普通に「徴用者」と表記しただろうと考えられる。結局は日本が「半島人『徴用者』に関する調査票」と表現せず、「半島人『労働者』に関する...」と表現している日本のその資料は、1943年末時点の朝鮮人「自由就業者」を対象にして集計した資料ではないかと推定したほうが、正確である確率が高まることになる。記事に出てくる50%以上の朝鮮人(5万人)が逃げた理由としては、現実的にいろいろなケースが存在するようだ。もし自由就職で来たのに逃げたのであれば、事前に約束した条件とは違っていた(かなりの激務、約束よりも低い給与など)のかもしれない。現実的に、1年~2年などの勤務期間で約束(契約)してきたのをみると、あまりにも厳しくて、期間をすべてこなすことができずに途中で逃げた可能性を推定することができそうだ。この場合、そのビジネスの所有者の立場では、若い日本人たちがほとんど戦場に出ている状態で、「人材不足」現象がおきているため、契約期間を満たすまで何とか逃げないないようにと無理(鉄条網など)をした可能性が現実的にあるといえる。徴用で来た場合も、やはり逃亡の理由は、基本的に自由就業の場合(激務、思ったよりも低い給与)と大きく変わらなさそうだ。もちろん朝鮮人差別や暴行などの法違反の事例も理由になる可能性がある。結論として、以上のいくつかの推論が全て外れていたとしても、「鉄条網」を設置していたのが「強制労働」を意味するという記事の主張は、明らかに飛躍であり、論理上欠陥があるのは明らかである。もし記事の論理通りなら、今日の韓国の地(あちこちに鉄条網つきの設備が存在している)にも「強制労働」の事例が存在することになってしまう。バンダービルド引用ソースhttps://www.chogabje.com/toron/toron22/view.asp?id=129456&cpage=1&no=113409
*私が読みながら頭に浮かんだのは、
今も日本に技能実習生としてやってきた外国人研修生の失踪事例が相次いでいる事件のこと。
>>徴用された労働者11万3千51人のうち、51.7%の5万8千471人が脱出した
私の推測ですが、これが事実なら「密入国」したかったんじゃないのと思いました。
もちろん正確にいうと、当時の朝鮮人は法律上「日本人」だったので、「密入国」という言い方は正しくないかもですが。
いえるのは、終戦後の日本の混乱期にも、朝鮮人の密入国者が相次いでいたのをみると、この問題は戦前からずっとずっと発生していただろうということ。これは極めて論理的な推測です。
↓連合ニュースの該当記事はこちら。(朝鮮日報日本語版より)
塀高くし逃亡防止 朝鮮人強制労働の実態示す文書発見【ソウル聯合ニュース】世界文化遺産に登録された「明治日本の産業革命遺産」について、日本側が世界遺産委員会で言及した「forced to work」との表現は朝鮮人の強制労働を認めたものではないと主張する中、当時の日本の炭鉱で朝鮮人労働者の脱出を防ぐために高い板塀を設置したことを示す記録が見つかった。韓日文化研究所長で釜山外国語大名誉教授の金文吉(キム・ムンギル)氏がこのほど、福岡県の山野炭鉱の物資明細書を日本の博物館から入手し、聯合ニュースに伝えた。用途を「半島人合宿所」とした物資明細書は板塀の規模・構造について、「半島人」の逃亡防止のため、高さを7尺延長し、140間を張り巡らすとしている。金氏は、半島人は朝鮮人強制徴用者を意味し、7尺延長は既存の構造物(壁など)の上にさらに塀7尺を建て増すという意味だと説明した。7尺は約2.1メートルで、140間は約255メートル。金氏は逃亡防止のための設備について、「当時、朝鮮人が強制動員され、事実上の監禁状態で強制労働させられたことを示す明確な証拠」と強調した。物資明細書では工事の着工日を昭和19年(1944年)3月1日、完工予定日を同年3月31日と記している。板塀の設置は炭鉱で朝鮮人強制徴用者らの脱出が相次いだことに対応した措置とみられる。日本側は朝鮮人が強制労働させられた施設が含まれる産業革命施設について、ドイツ・ボンで5日に開かれた世界遺産委員会で世界遺産に登録されてから「強制労働」を認めたものではないと主張している。日本側が世界遺産委員会で「brought against their will」(意思に反して)、「forced to work」(強制的に労役)などと言及したことを受け、韓国政府は強制労働を認めたものと主張した。だが、日本側は「働かされた」と翻訳し、強制労働を認めたものではないと反発している。菅義偉官房長官は「1944年9月から1945年8月の終戦までの間に、国民徴用令に基づいて朝鮮半島出身者の徴用が行われた。これはいわゆる強制労働を意味するものでは全くないというのが、政府の従来どおりの見解だ」との考え方を示した。過去の侵略や植民支配は合法だったという日本側の従来の主張と歴史認識を繰り返したものといえる。だが、菅官房長官が言及した1944年9月以前にも朝鮮人の強制徴用があったことから、こうした主張は矛盾しているとの指摘もある。引用ソースhttp://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/07/12/2015071200883.html
バンダービルドさんのコラム(一部)














みずきさん翻訳おつかれさまです。
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