【動画分析】日本外務省制作のビデオを誤解しないでください

趙甲濟(チョ・ガプジェ)の超少数派サイトから未来指向さん。

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【動画分析】日本外務省制作のビデオを誤解しないでください

肯定的に見れば、この動画は特に歪曲した視点などない。


民族感情がいっぱいになって溢れている韓国の主要メディアは、日本のレポートを歴史歪曲と言うのではなく、自分たちが他の国の動画を歪曲解釈してはならない。

駐米日本大使館のホームページに上がった動画「戦後国際社会の国づくり:信頼のおけるパートナーとしての日本」の動画は、韓国語版も製作されているので、内容を簡単に知ることができますが、私はその動画を見ても、そこの一体どこに「韓国の経済発展は日本の支援のおかげ」という言葉があるのか​​分からなかった。

「アジア経済の発展の基礎を築いた」という言及は出てくる。
しかし韓国だけを取り出して話したわけでもなく、そのフレーズをどう読めば「日本が動画を作って、韓国の経済発展が自分たちのおかげだと広報している」と解釈する根拠となるのか。

浦項総合製鉄所と昭陽湖、ソウル地下鉄1号線などが、韓国経済発展の基礎となったのは事実である。
日本が言いたいのは、そのような韓国の経済発展の過程で、日本もパートナーとして参加したということをいっているわけであり、日本のおかげで韓国が経済発展したので、韓国は感謝を知るべきだと言っているわけではない。

肯定的に見れば、この動画は特に歪曲した視点などない。
日本の動画は、日本の動画は「韓国と日本の良かった時代を覚えておこう」として友情を強調している。でも韓国メディアの報道は、日本に対する嫌悪と誹謗だけを煽っている。

未来指向

引用ソース
http://www.chogabje.com/board/view.asp?C_IDX=60549&C_CC=AZ

ひっかかる場所がありますが、さすが超少数派サイト。(あくまでも超少数派サイトの意見だということを、ここは本当に大声で強調しておきたいです。)
この動画についての記事は↓この二つしか紹介してないですが、本当に発狂記事だらけでした。

【韓国の反応】韓国特大発狂!日本外務省が「戦後日本のアジアへの援助や国際貢献」などを紹介する動画を製作して駐米大使館ホームページのプロモーションビデオに
【韓国の反応】真実を指摘された韓国の発狂は続く!CNNで日本が政府CMを流す「戦後日本のアジアへの援助や国際貢献などを紹介」


さらに、あれだけ大量に批判記事が出てたけど、韓国人の大半が元動画を見てないのは、韓国語版の再生回数を見る限り明らかです。
「ソースに当たらない」「自分の目できちんと見て、自分のなかであるていど咀嚼してから判断する」ことが、少なくとも反日に関する限り、韓国人にはできないんです。


↓韓国語版


↓日本語版


↓英語版




韓国人のコメント


・私は動画を見ていないので、断定的なことは言いませんが、私の長年の国際的な経験から判断すると、上の記事を書いた筆者の意見にとりあえず共感できる。
日本について無条件に歪曲批判するのは、韓国国民の信頼性と完全性に害を及ぼす自殺行為である。
(このような報道態度と内容を見て、その国の国民性を、世界の政治家や学者が分析して評価する)
冷静さと落ち着きを育てなければならない。


・歴史的な企業である浦項製鉄の不正捜査を見ながら色々と考えると、苦々しさがわいてくる。
イ・デファンの「偉大な出会い-パク・チョンヒとパク・テジュン」にログインして読んでください。
Premium Chosunに連載されているものだが、誰も読んでいないのか。
製鉄所を作ろうとしたパク・テジュンが、どれだけ日本人のところを訪ね歩いたか、日本人がどれだけ役に立ったか、生き生きと記録されている。
それを読めば、人々はもっと理解することができるであろう。
加えて「朴泰俊(パク・テジュン)が見た日本」(下記)というソンウ・ジョンのコラムを読めば、さらに役立つであろう。
私は、日本人がそのような事実を示していないのだろうと思われる。

ここで、リー・クアンユー首相から一つ学んでみよう。
「日帝末期、シンガポールに空腹が蔓延していても、犯罪は事情が良かったときよりもむしろ減ったという。リー元首相は、『それは日本軍が厳しい処罰をしたからだった』と堂々と話した。
リー・クアンユーは死んだが、私はなぜシンガポールが厳しい国になぜなったのかを知りました。
リー・クアンユーは日本に学んだんだ。
もちろんパク・テジュンがも学んだし、朴正煕も学んだんだ。
しかし無学な朴正煕の娘は、お尻に角が生えたようだ。


*↓以下が、コメントの中に出てくる「朴泰俊(パク・テジュン)が見た日本」です。

朴泰俊(パク・テジュン)が見た日本
ポスコが危機に陥ったとき、彼は日本に走って行った
 
過去を忘れていなかった日本人は、ふんだんに韓国を助けた

その「巨人の時代」を読めば、今の韓・日はあまりにもみすぼらしい

ポスコが危機に陥ったとき、彼は日本に向かった 
過去を忘れない日本人は惜しみなく韓国を助けた 
その「大物の時代」を読むと、今の韓日関係はあまりにも貧弱だ 

日本が韓国を統治していた時代に日本で青少年期を過ごした元ポスコ名誉会長・朴泰俊(パク・テジュン)=1927-2011= 
は「一生忘れられない」思い出を本に記録した。水泳大会で1位になったが、朝鮮人だという理由で非難されて2位に下げら 
れたことや、米軍の爆撃があった日、防空壕(ごう)で起きたことなどだ。「防空壕は秩序がきちんとしている。この日はお年 
寄りたち、特におばあさんたちが立ち上がった。『若い人は奥に入りなさい。危険な所は私たちが守る。どうして本を持って 
来なかったんだい? 若者は本を開いて勉強しなさい』。防空壕の入り口にテントが張られ、若者が集まった一番奥には 
ろうそく2本がともった」 

朴泰俊は1位の座を奪われたとき「はらわたが煮えくり返ったが、我慢して自分自身を落ち着かせた」と書いている。防空壕 
でおばあさんに叱られたときは「植民地の大学生の胸に染み入り、故国に対する責任感を呼び覚ました」と述懐した。日本が 
与えた怒りには耐える一方で感動は受け止め、祖国のための原動力にしたのだ。 

朴泰俊が後に浦項総合製鉄(現・ポスコ)を興すに当たり、「恩人」と呼んだ日本人が数人いる。その一人は当代日本で最高 
の思想家と言われた陽明学者・安岡正篤だ。総合製鉄所プロジェクトが米国・ドイツ・英国・イタリアに断られたとき、韓国は 
日本に助けを求めるしかなかった。全責任を負って東京に向かった朴泰俊が真っ先に会ったのが安岡だ。日本政財界の 
「見えざる手」とされる大物だったからだ。 

安岡は「過去を反省して、韓国を助けることが日本の国益」という韓国観を持っていた。安岡はまず、技術協力のカギを握って 
いた稲山嘉寛・日本鉄鋼連盟会長の所に朴泰俊を行かせた。そして岸信介元首相ら政界の大物とも次々と会えるようあっせん 
した。朴泰俊の情熱に安岡の誠意が助けとなり、あいまいだった日本政府や日本企業の態度は熱い支持に変わった。ほかの 
先進国同様、日本が韓国を無視していたら今のポスコはなかっただろう。 

これとよく似た話をサムスン・グループ初代会長の李秉喆(イ・ビョンチョル)=1910-87=も残している。留学のために乗った 
連絡船で1等船室の近くに行ったときだった。日本人刑事が行く手を遮り「朝鮮人が1等船室に行くカネがあるものか。生意気に」 
とひどいことを言った。李秉喆は「後に事業に打ち込んだのは、民族の怒りを胸に深く刻み込んだあの小さな出来事があった 
からだ」と自伝に書いた。 

李秉喆は廃虚となった終戦直後、東京の古びた理髪店での出来事も書き残している。「この仕事はいつからしているのか」と 
聞いたところ、店主は「私が3代目なので、家業としてはかれこれ60年くらいでしょうか。うちの子も継いでくれたらと思うのですが…」 
と答えたという。李秉喆は「『日本は滅びない。絶対に再起するだろう』とそのとき思った」と書いた。 

1983年8月、李秉喆が後輩・朴泰俊を日本の保養地に呼んだ。「ブーメラン効果」を盾に日本の鉄鋼業界が光陽製鉄所建設 
への協力を拒んでいたときだった。その保養地には当時の日本政財界の大物・瀬島龍三や、その十数年前に浦項製鉄所建設 
を支援した日本鉄鋼業界の父・稲山嘉寛が一緒にいた。彼らから「協力する」との約束を取り付けた李秉喆は「ほかの言葉は 
いらない。『感謝している』とだけ言いなさい」と朴泰俊に言った。朴泰俊は「胸のつかえが取れたようなスッとした気持ちだった」 
と述懐している。 

李秉喆もこうした壁を乗り越えていた。その5カ月前に発表した歴史的なサムスンの半導体投資は、中核技術を提供した日本 
の半導体メーカー・シャープの果たした役割が大きかった。日本が海外に半導体技術を提供した初のケースだったのだ。 
李秉喆は「シャープの格別な好意だった」「シャープを国賊だと酷評する企業もあった」と述べている。韓日の架け橋となった 
瀬島龍三は回想録に「韓国は統一される。日本は(過去を)反省し、韓国の感情を受け止め、自由と民主主義を柱とする統一 
韓国が誕生できるよう協力すべきだ」と回顧録に記した。 

朴泰俊は日本で肉体労働に従事しながら子どもを育てた父の最期を看取れなかった。日本の首相候補だった有力政治家との 
夕食の約束を反故(ほご)にできなかったからだ。マイナス成長にあえいでいた1980年、韓国にとって日本の支援はそれほど 
切実なものだった。その日、朴泰俊が国益のため約束を反故にしなかった日本の政治家は安倍晋太郎、つまり現首相・安倍晋三 
の父だ。安倍晋太郎は生涯、韓国との友好に力を注いだ。翌日、朴泰俊は「泣くな。一生懸命に生きた」という父の遺言を知った。 

「大物たち」の時代だった。もちろん、当時も確執はあった。しかし、大きな流れは大物たちが胸に抱く「大義」を基準に動いた。 
豊かさを手に入れ、切実さがなくなったせいだろうか。国が老いて包容力がなくなったせいだろうか。あの時代の記録を読むと、 
今の韓日関係は小さく薄っぺら、幼稚で拙劣だ。(文中敬称略) 

〈朴泰俊ポスコ初代会長のエピソードは小説家イ・デファン氏『世界最高の鉄鋼人・朴泰俊』(2005年改訂第12刷)によるものです。 
このコラムに出てくる朴泰俊前会長のエピソードはほとんどこの本から引用し、ソン・ボク延世大学名誉教授ほかの『泰俊イズム』 
を参照しました。李秉喆サムスン・グループ初代会長のエピソードは自伝『湖巌自伝』(2014年第2刷)」を引用しました。瀬島龍三 
・元伊藤忠商事会長の回想録は『幾山河:瀬島龍三回想録』(1995年第2刷)から抜粋・整理したものです。〉 

鮮于鉦(ソンウ・ジョン)国際部長 

引用ソース
http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2015/03/04/2015030404648.html?Dep0=twitter&d=2015030404648

こういう記事にも、もはやウンザリですね。
これが「良かったころの日韓関係」だというのなら、心の底からいい加減にしろと言いたい。
「日本が韓国を助けるのは当然で、それは日本の贖罪であって、韓国は感謝する必要などない」ということしか、この記事からは読み取れない。
これが日韓友好論者の韓国人の主張ですよ。鼻で笑える。

日韓は本当に、ありえないレベルの断絶をしている。

未来指向氏のコラムの中で、知らないとさらっと読み流してしまう「ひっかかる場所」というのは↓この部分です。

>>日本の動画は「韓国と日本の良かった時代を覚えておこう」として友情を強調している。でも韓国メディアの報道は、日本に対する嫌悪と誹謗だけを煽っている。


日本が贖罪意識とやらで一方的に援助してた時代は確かに「韓国にとって良かった時代」でしょう。
お花畑日本人だらけの愚かだった時代だと、私は思います。日本にとっては。
べつに当時がんばってた日本人を罵りたいわけじゃないです。
私がその時代を生きていたら、私のようなひねくれたことを言う人間を嫌悪して、「お前のような奴がいるから友好ができないんだ」「お前は差別主義者だ」などと罵りつつ、率先して努力してたかもしれないから。

現場で美しい友情もあったのかもしれない。
でも、マクロな視点で振り返って見れば、間違った方向での努力でした。
今も同じだよ。日韓友好のイベントを今もやってる人たちがいるし、現場レベルで友情が存在してたりもするんだろうけど、マクロレベルではすべて間違った行動だと私は思います。
現場レベルで芽生えた個人個人の友好を、国と国との関係に良い形でフィードバックできる国とできない国があって、韓国はあきらかに後者です。



↓ポスコについて、比較的まともな韓国報道を改めて載せておきます。

新・韓日協力の時代において「パク・テジュンの精神」が必要な理由

両国国民とマスコミの見解の違い

パク・テジュンの資料を勉強していて残念だと思うのは、これまでポスコや光陽製鉄の起工式、竣工式のような様々な記念式典が数回あったが、日本の関係者や技術者を積極的に招待したことがなかったという点である。
イベントを報道する国内メディアも、日本への言及はなかった。

日本の多くの技術者が現場作業員や技術顧問の形で参加していて、パク・テジュンの情熱に感服し、韓国の技術者たちと渾然一体になってポスコを建設するために血の汗を流した。
ポスコ建設に参加した日本人技術者は、やりがいのある感動に満ちた経験談を書き記して、1999年「浦項製鉄の建設回顧録」という冊子を発刊した。

しかし国内メディアは、ポスコ建設の過程における日本の協力の報道はしなかった。
このような態度は、今日の日韓協力に関する報道姿勢においても表れている。
したがって大多数の国民は、ポスコは朴正熙とパク・テジュン、そして我が国の技術と力で建設した誇らしい国民企業だと考えている。
こういったことが、日韓間の信頼や協力を阻害する不信の要素として積み重なってきたという気がする。

韓国メディアは、日本の協力をあえて無視しようとした。
こうすることが、韓国国民の対日感情に合致する報道姿勢だと考えているようだ。
日本には原罪があり、私たちを助けるのは当然のことであり、特別にありがとうと感謝することなどないと思っているようだ。
韓国メディアの報道を見てみよう。

韓国独自の技術で建設した韓国初の一貫製鉄所の高炉から溶銑が生産され始めたのである。1970年4月の着工以来、3年3カ月の歳月をかけて待ちに待ったその瞬間、人々は互いを抱き合い、歓声をあげた。荒地で作業を始めてから5年、朴正熙大統領が1966年の訪米で米国の製鉄工場を視察してから7年後のことだった。工事費だけで1215億ウォン、京釜高速道路の建設費用の3倍にもなる莫大な金額だ。単一事業としては、史上最大の規模だった。」(朝鮮日報2003年7月2日付報道)

しかし日本のマスコミの報道とウィキペディア(Wikipedia)「ポスコ」検索結果は以下の通りだ。

「浦項製鉄所は、日本からの独立祝い金によって、1970年代前半に完成したものである。浦項製鉄所も日本からの資金援助と技術協力があって完成された。そして、1970年代後半には、脱イオン設備(イオンを除去する設備)、80年代には溶液処理装置(溶けている鉄を扱う設備)や粉砕弾投入設備が、そして90年代には鋳造機と電気亜鉛めっき設備が、日本から導入された。」

このように、韓国人と日本人の見解の違いは大きい。
したがって日本人は「韓国人は助けても感謝を知らない礼儀の無い人であり、信頼できない」と考えるのである。
これが大多数の日本人の、韓国国民に対する認識というのは、過度の飛躍だろうか。
このような信頼の不足の中で、パク・テジュンが日本からの全面的な協力を引き出して、浦項製鉄を世界的な製鉄所と作ったことについて、筆者は人間の勝利であり、大韓民国の祝福だと思う。

(後略)

引用ソース
 http://shindonga.donga.com/docs/magazine/shin/2011/03/22/201103220500005/201103220500005_6.html


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