[パク・ドンイの野球レポート]「ハンカチ王子」と「怪力の子」の運命

連勝止まったの、ホント残念でした。
でもまたこれからだね。


8902
 26歳、同い年の投手の田中将大と斉藤佑樹




#斎藤佑樹。彼は「ハンカチ王子」だった。

投球の途中、額から汗が流れると、彼は普通の選手のようにユニフォームの袖では拭かなかった。
いつものユニフォームの下ポケットに入っていたハンカチを取り出して、汗を拭いた。
アニメ映画に出てきそうな白い肌と気さくな目元、そして水色のハンカチまで加わって、彼は人々から「ハンカチ王子」と呼ばれた。

人気も王子以上だった。
早稲田実業高校3年生だった彼は、そのへんのプロ選手に劣らないほどの人気を享受した。
学校には一日に千通以上のファンレターやプレゼントが届けられたし、メディアは彼の動静をもれなく紹介した。

すべての名声と人気は、抜群な実力に裏付けされていたので可能なことだった。
2006年夏の甲子園大会で、彼は「怪物打者」の中田翔が率いる大阪桐蔭高校を制圧して、早稲田実業高校を決勝にまで導いた。
特に、中田を4打数無安打3奪三振で完全に封鎖して、日本野球界の新星として浮上した。

夏の甲子園大会で優勝しさえすれば、彼の価値は何倍にもなるのは自明だった。
しかし、優勝を速断するのは早かった。
彼の前には大きな壁があった。
その壁は、まさに駒澤大学付属苫小牧高校の同い年の投手、田中将大であった。

min
高校時代「怪力の子」と呼ばれた田中


#田中将大。彼は「怪力の子」だった。

2005年の夏の甲子園大会で、苫小牧で2年生だった彼は、時速150kmの剛速球を投げていた。
さらに高速スライダーとフォークボールを自在に投げ、連戦連勝を収めた。

どんなに彼の投球が素晴らしかったか、苫小牧での試合を中継した解説者は「今まで高校野球を中継しながら、あんな怪力の子供を見たのは初めてだ」とし「プロでプレーするなら、通算200勝以上も期待される投手だ」と賞賛を惜しまなかった。

実際に彼は、高校2年生のときから「超高校級投手」という修飾語がつけられていた。
体格条件も、斎藤とは比較にならないほど良かったし、成長の可能性は、他の高校の投手たちよりもはるかに高い評価だった。

彼の好投で、苫小牧は夏の甲子園大会で史上6回目大会2連覇のチームになった。
3年生の時の2006年にも、田中は怪力を発揮していた。
その年の夏の甲子園大会の決勝戦まで、苫小牧を導いたのだ。
もし決勝戦で勝利すれば、苫小牧では史上2番目に夏の甲子園大会で大会3連覇を占める「不滅のチーム」になるところだった。

日本のマスコミは、彼の一挙手一投足を取材して、果たして彼は苫小牧を「不滅のチーム」に引っ張れるか視線を集中させた。
しかし苫小牧が「不滅のチーム」になるには、必ず越えなければならない山があった。
それは、決勝戦の相手である早稲田実業高校のエース、斎藤佑樹だった。

min (1)
2006年夏の甲子園大会で優勝が確定した後に歓呼する斉藤


#2006年8月20日。
甲子園球場で行われた夏の甲子園大会決勝戦で、斎藤と田中は退くことができない試合を行った。
この日先発登板した斎藤は、延長15回まで一人でマウンドを守った。
田中も3回から登板して、延長15回まで渾身の投球を行った。
結果は1対1の引き分け。
息詰まる投手戦を見守った5万人の観衆は、引き分けで競技が終わったにも関わらず席を立たず、二選手が繰り広げた名勝負に惜しみない声援を送った。

問題は、次にあった。
37年ぶりの決勝引き分け事態が起こると、日本高校野球連盟は、「翌日の再試合で勝負を決したい」と発表した。
既に大会6試合のうち5試合を完投した斎藤は、疲れ果てた状態だった。
田中もあまりコンディションが良くないにも関わらず、チームの大会3連覇のためマウンドに上がって、延長15回までに165個の投球数を記録したほどだった。
日本の野球界は、早稲田実業高校と苫小牧の決勝の再試合では、両方の投手の投球を見ることができないと予想した。
しかし、そうではなかった。

決勝の再試合でも、斎藤は先発投手として登板した。
田中も例外ではなかった。
1回裏、先発投手が1失点して崩れるとすぐに、2番手としてマウンドに上がった。
両方の投手は8回まで全力を尽くして投げた。
この時までは、幸運の女神が斉藤側に笑顔を送ると思われた。
早稲田実業高校が苫小牧に、8回まで4対1とリードしていたからだ。

しかし苫小牧は9回に入って安打と本塁打で2点を奪い4対3となり、1点差に追いつくと、瞬く間に試合の流れが苫小牧で向かって流れていった。
幸いなことに、斎藤が三振とフライで2アウトを取ったが、かといって安心はできない場面だった。
最後の打者が、「一発長打」を備えた田中であったのだ。

運命のいたずらなのか、斎藤と田中は最後の瞬間に、投手と打者として出会って、斎藤は決定的場面で時速147kmの速球を投げた。
速球を狙ってホームランを記録しようとした田中は、この球を逃さずに精一杯スイングした。
結果は空振り三振​​。

「怪力の子」田中を三振にしとめた「ハンカチ王子」斎藤は、拳を握って優勝に歓呼した。
逆に田中は、目の前で逃した優勝が惜しかったのか、苦い表情を浮かべてダッグアウトへと歩いて行った。

大会7試合のうち6試合で完投し、合計69イニング(当時の大会記録、投球数948個)を投げてチームを優勝に導いた斉藤は、一躍日本野球界の英雄として浮上した。
当時斉藤は、「ライバル」田中への挨拶を忘れず、田中のことを「私たちの世代で最高の投手だ」と褒め称えた。
惜しくも優勝を逃した田中も斎藤を指して「最後まで力が残っているすごい投手だ」と賞賛を惜しまなかった。

min (2)
日本のプロ野球で「最高の投手」の仲間入りした田中


#2006年の夏を熱くした二投手は、2007年になって別の道を選んだ。
斎藤はプロの誘惑を振り切って、早稲田大学に入学した。
田中は高校を卒業してすぐに、楽天ゴールデンイーグルスのユニフォームを着た。

斉藤は「大学で様々な学問に触れて、体力と技術に磨きをかけて、プロで良い活躍を広げることができる基盤を用意したい」と言い、自身との約束通り、「学業」と「野球」という二匹のウサギを得るのに成功した。
大学4年の間に斎藤は、平均以上の学業成績をあげながらも、31勝323奪三振を記録して、日本の大学の最高投手になった。

田中も自分との約束を守った。
早目にプロ行きを宣言した田中は、「日本プロ野球最高の投手になるのが目標だ」と明らかにしたが、2007年のデビューシーズンで186と1/3イニング(リーグ4位)を投げて、11勝(リーグ2位)7敗196奪三振、防御率3.82を記録して、パ・リーグの新人王に輝いた。

2011年に斎藤が早稲田大を卒業して、日本ハムファイターズに入団すると、日本の野球界は「斎藤-田中」のライバル関係がついにプロで見られるようになった」と、二選手のライバル関係が、低迷した日本プロ野球の人気をよみがえらせる好材料になってくれることを願った。

斎藤がデビュー戦とした千葉ロッテマリーンズ戦で勝利投手になると、日本野球界の風は現実になるように思えた。
斎藤はケガで19試合だけに先発登板したが、6勝6敗、防御率2.69で、新人としては良い投球をした。
しかし田中と比較するには力不足な成績だった。

同年、田中は「斎藤は私のライバルになるには不足している」ということを証明するかのように、16試合連続クオリティスタート(6イニング3失点以下)を記録して、19勝5敗(1位)奪三振241個、平均自責1.27(1位)勝率.792(1位)で、日本の特別賞である「沢村賞」を受賞した。

min (3)
早稲田大学時代、大学の最高投手として君臨した斉藤


この年、二投手は5年ぶりの対決を繰り広げたこともあった。
2011年9月10日、日本ハム-楽天戦は、二選手の対決が競技の前から話題を呼んだ。
日本の野球界が希望していたライバル対決が、現実に繰り広げられる瞬間だった。

斉藤は「ライバル」田中との一戦で最善を尽くした。
プロデビュー以来、初の完投試合をして4失点、まともな投球を披露した。
しかし、プロでの斎藤は田中の敵ではなかった。
田中は9回まで完投して、5安打12奪三振1失点で、勝利投手となった。

田中は斎藤との対決で勝利を収めた後、「これまでは斎藤とは住んでいる世界が違っていた。斎藤が大学リーグでプレーしているとき、私はプロリーグでプレーしていた」とし「いつものように、今日の登板でも、相手投手が誰なのか全く意識せずに投げた」と話した。
一言でいうと、「ルーキー斎藤とプロ5年目の自分を、同じレベルで比較するのは無理だ」という婉曲な指摘だった。

2012年も斎藤は、田中の壁を越えられなかった。
斎藤は開幕戦完投勝利を獲得して、気持ちの良い出発を見せたが、コンディション乱調と肩の負傷で、その年は5勝8敗、防御率3.95を記録するにとどまった。

一方田中はシーズン序盤のスランプと腰の負傷を克服して、10勝4敗奪三振169個、平均自責1.87で、2年連続1点台の防御率を記録して、奪三振王に輝いた。

この年の4月13日の斎藤との対決でも、田中は8回まで7安打8奪三振1失点、6イニングを投げて7安打3奪三振で1失点の斉藤を抑えて、勝利をたぐりよせた。
7月13日に行われた3度目の対戦でも、田中は8イニングを無失点に抑え、6イニングで5失点した斉藤に完璧な勝利をおさめた。
3回の対決で田中が例外なく勝利投手になると、日本のマスコミはもはや二投手に「ライバル戦が持つ意味」とか「相手をどう思うか」というような質問を投げなくなった。

2013年は二選手の運命が明らかに分かれた年だった。
右の肩の負傷に苦しんでいた斎藤は、シーズンを2軍で開始した。
しかし2軍でも成績は良くなかった。
多失点の試合が多かったし、投球イニングも長くなかった。
紆余曲折の末1軍の舞台に立ったりもしたが、1試合に登板して4イニング6失点、防御率13.50を記録した後、再び2軍へと降りて行った。

斎藤の2013年が最悪の年だとすれば、田中には反対であった。
最高のシーズンだった。

この年田中は先発で27試合に登板して、24勝無敗、奪三振183個、平均自責1.27、勝率1.000を記録して、パ・リーグの最優秀賞と沢村賞を一挙に獲得した。
特に田中は、所属チーム楽天を創立初の日本シリーズ優勝に導いて、2007年プロ入りするときに「日本最高の投手になりたい」と言った自分との約束を、最終的に達成してしまった。

min (4)
ニューヨーク・ヤンキースに入団した後、明るく笑っている田中


#シーズン24連勝、前年まで合わせると28連勝の記録を立てた田中は、2013年のシーズンが終わってから、米大リーグへの進出を宣言した。
彼のアメリカ行きは順調に進行された。
2014年1月、田中はニューヨーク・ヤンキースと7年で総額1億5千500万ドルのマンモス契約を結んで、夢に描いたアメリカの舞台を踏んだ。

田中は大リーグで6連勝日米通算34連勝の記録を継続した。
5月20日、シカゴ・カブス戦で6イニング4失点で敗戦投手となって「連勝」は止まったが、日本と同じように大リーグの舞台でも好投して、田中は新たな目標である「メジャー最高の投手」に向かって思いっきり走っている。

一方、斎藤はまだ長い暗闇の中にある。
昨年3千500万円だった年俸は2千800万円に落ちて、彼の周りを取り囲んでいた多くのファンやメディアは、巨大な掃除機が扱いこんでいったように、どこかに消えて久しい。

投球もそのままだ。
斎藤は3月29日オリックス戦に先発登板して、6イニング9安打4奪三振4失点で敗戦投手となった。
それでもこの時は、慎重に斉藤の復活を期待する人々がいた。
しかし4月10日の楽天戦で1と1/3イニングで2安打4四球3失点で無気力な投球を見せると、日本の野球界は、先を争って「斎藤の不振は今後も続くだろう」という否定的な意見を吐き出した。

田中が連勝を繰り広げたのとは対照的に、2012年6月6日以降、たったの1勝もおさめることができなかった斉藤は、最終的に楽天戦が終わると2軍行きの通告を受け、現在2軍で汗を流している。

鼓舞的な要素があるとすれば、斎藤はこれまでの消極的な姿勢とは異なり、今は積極的に変化を受け入れていることだ。
日本を取材していた中で会った日本ハムの関係者は、「斎藤が『正統派投手』というプライドを捨てて、現実が要求する新しい投手になるために努力中だ」として「速球も時速140km台半ばに回復して、2012年冬から研磨したシンカーもある程度完成の段階に入った」と伝えた。

そのような理由があったからだろうか。
田中の日米通算連勝が止まった5月20日。
同じ日に斎藤は巨人の2軍戦に先発登板して、7イニング4安打2四球6奪三振2失点と好投した。
速球最高球速は時速146km 。
2軍の試合ではあったが、日本ハムの関係者は「最近になって最も良い投球だった」と斎藤の投球を賞賛した。

min (5)
2軍で復活を狙っている斉藤


#いつ頃二選手の運命が再び変わるか、誰も分からない。
多分最初から二選手は、比較対象ではなかったのかも知れない。
2006年の夏は斉藤にとって「真夏の夜の夢」だったのかもしれない。

しかし斉藤は「2006年の夏がなかったら、今の私もなかった」とし、「いつになるかわからないが、あの夏の歓呼を再び味わえる日が訪れることを期待する」と述べている。
26歳の同い年の投手、斉藤と田中。
今、彼らはライバルではない。
彼らはそれぞれのステージで、自分だけのステップで、自分たちが設定した目標に向かって進んでいる。
二選手の人生の第3幕が、どのように繰り広げられるかを見守るだけだ。

引用ソース
 http://sports.news.naver.com/sports/index.nhn?article_id=0000001195&category=worldbaseball&mod=read&ctg=news&office_id=295&nh=20140523115625


韓国人のコメント


・伝説のチーム、KIA2軍にメジャーリーガーが3人いるというが、それを思い出す。
共感1310非共感41

・↑ふふふ

・↑田中「伝説を描くKIAに入りたかった。しかしKIAに入るには、私の実力が不足していたので、ヤンキースに入団することになった。」
カーショウ「KIAは世界最強無敵のチーム。ヤン・ヒョンジョンのピッチングとナ・ジワンの打撃は芸術。私がKIAに行ったら2軍に行くしかない」
ふふふ

・↑ふふふふふふふ


・パン・チョクセという悪口を言ってても、こういう記事を見ると、記者たちのなかではよく研究している人のようだ。
共感960非共感80

・↑記者× ブロガー○

・↑誰もが知ることのできる内容を、うまく包装する能力が優れているだけである。

・↑ブロガーらしくアピール力が良いだけ。ふふふふふ
でも、専門知識はなくて、猫も杓子も知ってることを並べて書く。ふふふ
しかもたまに小説も書いている。

・↑この方は日本の野球からメジャーの歴史までご存知の方のようだよ。

・↑研究って。ふふふ
日本の野球をほんの少し知っていたら、田中と斎藤のライバル関係は周知のことなのに。ふふふふ

・↑プロ野球の記事は全部そんなものじゃないの?
スコアボードを見れば、誰がいくつのヒットを打ったとかすべて分かるんじゃない?

・↑ステータスを並べるだけのキム・ヒョンジュンよりは、はるかに記者らしいよ。
パク・ドンイは、いろいろな記事を足で取材もしてる。
キム・ヒョンジュンは、インターネット検索して翻訳、終了。

・↑これを研究といえるのか…
二投手の投球動作や体型を比較して書いたわけでもなく。
ただ、文字通り日本の野球ファンなら誰もが知っている内容を書いただけで、それ以上でも以下でもない。
ブログにでも載せておくのがぴったりという程度の記事。

・↑日本の野球ファンなら誰でも知っている内容であっても、記事はもっと広い大衆のために書くものだ。
一般大衆に野球を紹介してくれる記事だろう?


・2006年も、顔以外は田中がすべての面で上だった…
共感663非共感40

・↑田中はハンサムな顔ではないが、それでも可愛くて、人気の面でも現在の日本人投手の中ではトップだ。
ダルビッシュでさえ、人気の面では田中に押される。
打者まで合わせても、松井はすでに退職したし、イチローを除いたら、田中より人気のある選手はなさそうだ。(岩隈もハンサムだが、不思議なことにそこまで人気がない。)

・↑岩隈は口を覆って帽子を脱がず、絶対笑わないようにしていたら、めっちゃ美男…

・↑岩隈は不倫のために打撃を受けたのです。
そしてダルビッシュは、信じられないだろうが、日本によく行ってる友人によると、混血だからヘンな目で見られることが多いんですよ。
人気のないことでは黒田も有名です。
mlb最高球団の開幕戦の先発投手だったが、日本の記者がやっと十人少し来ただけだったという。

・↑すべての面ではないでしょう。
最終的に、甲子園優勝は斎藤の栄冠だったので、すべてのスポットライトも斎藤のものだった。
当時は斉藤>>>田中だった。マスコミでの取り上げられ方もそうだ。

・↑ダルビッシュが混血のせいで人気がないなんて馬鹿話だ。
田中と人気の1、2位を争ってるのに。

・↑ダルビッシュは離婚して人気が落ちたよ。
田中は結婚して人気上昇。
田中夫人のブログが人気である。

【韓国の反応】韓国人「田中将大は結婚前の勝率が65%で、結婚後の勝率が96%らしい」~米国メディア「田中、現存最高投手の一人」絶賛


・田中…高校2年生の時150kmを投げ、フォークボールまで自在に投げた…
韓国のプロ野球選手でも、150kmも投げられなかったり、フォークボールを自在に投げる選手自体が多くないのに…
田中はそれを高校2年生の時に??
人間ではなさそうだ。
共感634非共感47

・↑今、大谷翔平がもっと良い。
球威はダルビッシュ以上だ。
ただメンタルがちょっと弱い。
メジャーリーグの先輩たちに会って、ちょっと会話すると大きく成長するだろう。

・↑フォークボールは普通は投げない。
腕に無理が行く。

・↑日本人は腕が鋼なのか?
日本人がみんな投げているフォークボールを、韓国人は腕に無理が行くといって投げないけど。

・↑わが国はスライダーを必須として学ぶが、日本はそんな感じでフォークを学ぶ。

・↑日本は落ちるボールを重視する傾向があるので、フォークボールを、腕に無理をかけることなく投げる方向へと発展したんです。

・↑高校生の時のハン・ギジュ……

・↑ハン・ギジュはバブルだ。

・↑ハン・ギジュはバブルではなく、高校酷使の名残でしょう。

・↑ハン・ギジュ…高1の時158でカーブも脱高校級。
今すぐプロにきても10勝はいくだろうと言われていた。

参考記事(この記事を書いたパク・ドンイ記者による長文の情緒的記事です)
【韓国の反応】誰が韓国と日本の「怪物」を「退物」にしたのか【野球/辻内崇伸】


・↑これで思い出すのは、記者がメジャーリーグのスカウトに「パク・チャンホよりも優れた高校野球選手がいるのに、なぜ彼らではなくパク・チャンホを連れて行ったのか」と尋ねたら、そのスカウトいわく「肩が生きている選手がパク・チャンホだけだ」って…


・今の斉藤は、ヤンキースのエース田中とは比較すらできないが、韓国に来たらよくやるんじゃないか。
KBOの右手投手で斎藤よりも上手な投手はいない。
傭兵投手だから成功は保証できないけど、純粋な実力でKBOの2先発もありえる。
共感416非共感92


・プロ野球で体格の重要性を悟らせてくれる事例である。
単純な身長と体重ではなく、体型を見なければならない。
田中の場合、胸と首が非常に厚い。
このような選手は怪我もあまりせず、シーズンを通して一貫性がある。
オ・スンファンの場合も、背は低い方だが、堅いボディを持っている。
国内でも高校野球で争っていたリュ・ヒョンジンとナ・スンヒョンは今は比較できない状況になった。
もちろん体格が大きくなくても耐久性に優れた選手はいる。
しかし、球団を運営する際は、確率を無視してはならない。
共感59非共感5

・↑訳もなく運動選手を見る時に、両親の体型を見るのではないね。

・↑メジャーで投手として理想的な体格は、身長190、体重100キロだといわれている。


・斎藤は、高校での酷使で怪我をして、レベルの低い大学リーグで試合感覚を維持して、治療して体の回復しようとしたが、失敗したようだ。
無茶苦茶な高校での酷使に耐えるには、ハードウェアが必要だ。
田中は文字通りモンスターハードウェアだからよく持ちこたえたようだが、それも年をとったら分からない。
共感37非共感3


・パク・ドンイ記者様、素敵な小説のような記事を読ませてもらいました~~^ ^
共感40非共感6


・しかしなぜみんな沢村賞を日本のサイヤング賞と呼ぶのか分からない。
沢村が間違いなく先なんだが。
サイヤング賞ができたのは1956年だけど、沢村賞は1947年に制定されました。
サイヤング賞は抑えの投手も受けられるが、沢村賞は先発投手のみもらえる。
さらに沢村賞は、受賞基準が定められていて(25試合以上出場で15勝以上10敗以下、勝率6割以上、150K以上、完投10回以上、ERA2.50以下)、最初から沢村賞受賞者がいないシーズンもある。
共感40非共感14

・↑最近はその基準はただのガイドラインというだけで、年に一人は必ず選ばれるよ。


・田中、緊張しろ。ふふふふふふふ
パク・ドンイの呪いが始まる。
共感35非共感10


・田中が実質モンスターだ。
高校時代から酷使されていたが、斉藤のように肩をやられず、昨年もたくさん投げたが、今年の姿を見ると…
松坂のように、いつ折れるか危険だが…
とにかく同じ東洋人であっても日本の投手たちの耐久性はすごい。
共感28非共感4


・当時の斉藤の人気はまさに高校野球のアイドルと呼ばれるほどだった。
しかし今の斎藤はプロで生活が可能かという岐路に立っている…
斎藤がさまよっている間、田中は日本の野球を焦土化させて、MLBに入城。
こういうことを見れば、野球だけでなく、いろいろなスポーツで、高校のライバルたちは克明に交錯した運命を示している場合が多い。
共感27非共感6


・ハル…延長15回まで一人の選手が投げたのか?
日本の高校野球も酷使するのか?
共感20非共感3


・実力は田中が高校時代から一枚上だった。
ところが斉藤が、小さい体格でも負けない姿を見せたから、日本人たちが感動したよ。
ハンカチも一役買ったし、名前も漫画でよく登場するユーキ。ふふ
共感19非共感4


・日本の高校野球は友情と純粋な情熱を見せるが、韓国の高校野球は、失策したらお互いのせいするのに忙しい。
テレビの生中継なのに自分のチームの悪口をいったり。
カメラがなかったら、どのくらいの馬鹿騒ぎか…
ここで、先進国と後進国の国民の民度の差が分かる。
共感17非共感4


・久しぶりにまともな記事を読んだ。
共感13非共感3


・本当に素晴らしい記事だった。感動。ふふ
共感10非共感2


・ともかく、日本の野球システムは全く羨ましいですね…何千もの学校が出場する大会だなんて…
共感11非共感4

・↑何千もの学校とはいっても、実際に韓国の高校のように専門的に野球だけに没頭している学校は、100ヶ所ほどに過ぎない。
残りはほとんどサークルの野球水準だ。
 

・このストーリーは映画にしなければならない…
共感9非共感3

・↑映画はありませんが、似たような漫画は多い。ふふ


・パク・ドンイ記者様の呪いが始まるのか!
田中バイバイ~サヨナラ~

共感14非共感8


・漫画のようなストーリー
共感6非共感2


・めっちゃ映画だ。
この後両方ともがうまくいけば、映画化してもいい。
共感6非共感2


・ハン・ギジュ-リュ・ヒョンジン/斎藤-田中
共感9非共感5


・両方とも高校時代に無茶苦茶な酷使されたが、ハードウェアが良い田中は耐えて、ハードウェアが落ちる斉藤は耐えられなかった。
共感3非共感0


・高校時代から普通ではなかったんたな。
共感4非共感1


「パク・ドンイ記者の呪い」とやらが気になります。
呪われないでね、まーくん!

斎藤佑樹も復活してほしいです。

当時、メディアが大騒ぎしすぎだったと思うんだ~…
 


塩韓スポーツさん(あ、ブログ名が変わってる)
韓国ネチズン反応…田中将大がメジャー初黒星、日米通算の連勝は34で止まる
韓国ネチズン反応…ダルビッシュが7回2失点で4勝目、防御率2.35
MLB NEWSさん 
海外の反応「田中将大のスイングはヘリコプターみたい」カブス戦先発登板
海外の反応「 田中将大の連勝記録は最弱のチームで終わってしまうのか?」カブス戦先発